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出席日数が足りないと卒業できない?11歳の実話

「このままだと、小学校を卒業できませんよ」

義務教育をほとんど受けていなかった11歳の僕に、校長先生はそう言った。

「出席日数が足りない。だから卒業できません」

言われた意味はわかった。けれど僕は、出席日数が少ないという理由だけで、卒業できないと決まるのかを自分で調べることにした。

そのあと僕は保健室登校を選び、最後は校長室で卒業証書を受け取った。

これは40数年前に本当にあったことと、いま出席日数を数えている親御さんへ残したい「言葉の根拠を確かめる」という話だ。


僕の学校は、3階建ての本屋だった

学校へ行かない代わりに、僕には毎日のように通う場所があった。家から歩いていける、3階建ての大きな本屋だ。

朝から入り浸り、立ち読みと座り読みで一日が終わる。店員さんに追い出されない距離感も、いつの間にか覚えていた。

読み書きも計算も、テレビゲームと教育テレビ、そして本屋を図書館代わりにして覚えた。あの本屋は、ある意味で「自分で自分を教育する」と決めた僕の第2の学校だった。

学校へ行っていないと、わからないことをすぐに聞ける相手がいない。母は朝から晩まで働いていたから、疑問は自分で片づけるしかなかった。

何か疑問があれば、本屋で調べる。それが僕のやり方だった。

だから今回も、本屋へ行った。調べたかったのは、ひとつだけだった。

「出席日数が少ないと、小学校を卒業できない」

それは、本当なのか。


「できない」の根拠を、自分で探した

実は9歳のころにも、似たことを調べている。大人たちから何度も「学校は義務教育だから、行かないといけない」と言われ、教育に関する法律の本を読んだ。

当時の僕は、義務教育の「義務」は子ども本人に向けられた言葉ではなく、子どもに教育を受けさせる保護者に向けられたものだ、と理解した。

ただし、これは9歳だった僕の理解である。法制度の説明としては、単純に「子どもの権利だから、使わなくても問題はない」と言い切れるものではない。現在の学校教育法でも、保護者には子どもを就学させる義務が定められている。

11歳の僕が次に探したのは、「行かなくていいか」ではなく「卒業できるか」だった。

かなり探して、学校の管理規則に関する資料へたどり着いた。そこには、校長が児童の平素の成績を評価し、課程の修了や卒業を認められないと判断した場合、原学年に留め置くことができる、という趣旨のことが書かれていた。

漢字ばかりで、言葉も難しい。11歳の僕の解釈が合っている保証は、どこにもなかった。

それでも、ひとつだけ気づいたことがある。

出席日数だけで、結論が機械的に決まると書かれているわけではない。

卒業できるかどうかには、校長を含む学校側の判断が入る。僕には、そう読めた。


「できない」と「決められている」は違う

校長先生の言葉を、僕はもう一度考え直した。

「卒業できない」というのは、誰にも変えられない不可能なことなのか。それとも、規則や学校の判断によって、現時点では認められないという意味なのか。

この2つは、僕にとってまったく違った。

変えられないことなら、あきらめるしかない。判断する人と根拠があるのなら、理由を聞き、別の道を相談できる。

いま思えば、校長先生に悪気はなかったのだと思う。制度を11歳の子どもへ正確に説明する必要を、感じていなかっただけかもしれない。

それでも、説明する側の言葉と、制度に書かれていることのあいだに、ずれが生まれることはある。

だから僕は、大人の言葉をすべて疑えばいい、とは思わない。

わからない言葉を、そのまま「絶対に無理」という意味で受け取らず、根拠と選択肢を確かめる。

11歳の僕がしたのは、それだけだった。


保健室登校を選び、校長室で卒業した

調べたからといって、すぐに答えが出たわけではない。

小学校を卒業せずに生きるのか。卒業する道を選ぶのか。11歳で人生の岐路に立たされたような気がした。まわりには、同じ選択をした人がいなかった。

そんなとき、保健室へ登校してもいい、という話が来た。

教室へ入らないところから始めていい。それなら、クラスの視線も気にならない。何より、卒業につながるかもしれない。

一度やってみよう。

調べた結果、道が一本しかないと知らされたのではない。調べたうえで、その一本を自分で選んだ。僕にとっては、それが大きかった。

僕は全体の卒業式には出ていない。体育館へも行かなかった。

卒業式は、校長室で行われた。僕ひとりのための、小さな式だった。

校長先生が卒業証書を読み上げ、それを受け取った。数十分ほどで校長室を出たと思う。とてもあっさりしたものだった。

胸を張って歩いた記憶も、飛び上がるほどうれしかった記憶もない。

ただ、ひとつだけ残っている感覚がある。

「卒業できません」と言われた子どもは、自分で調べ、自分で選んだ道の出口で、たしかに卒業証書を受け取った。


いま、出席日数を数えている方へ

夜、お子さんの出席日数を数えながら、「このまま進級できるのか」「卒業できるのか」と不安になっている方がいるかもしれない。

学校から「できません」と告げられたとき、まず確かめてほしいことがある。

  • その判断の根拠は、どの規則や基準なのか。

  • 誰が、何を見て判断するのか。

  • 保健室・別室登校、教育支援センター、学校外での学習など、別の選択肢はないか。

現在、文部科学省は、不登校支援を「学校へ登校する」という結果だけを目標にせず、子どもが自分の進路を主体的に捉え、社会的に自立することを目指す必要があるとしています。また、一定の要件を満たせば、学校外の施設で受けた相談・指導を出席扱いにできる仕組みもあります。

だからといって、40数年前の僕の事例が、すべての子どもにそのまま当てはまるわけではない。卒業認定や出席扱いの具体的な運用は、学校や自治体によって確認が必要だ。

ひとりで条文を読み切ろうとしなくてもいい。学校へ根拠を尋ね、必要なら教育委員会の相談窓口にも確認してほしい。

「できない」と言われたら、そこで終わりとは限らない。

その言葉は何を根拠にしているのか。決めるのは誰か。ほかに選べる道はないのか。

40数年前の僕は、本屋の棚でそれを探した。そして保健室を選び、校長室で卒業した。

今日も読んでくださって、ありがとうございます。


保健室登校を選んだ、その後の話はこちらです。

毎週、不登校の子どもの「勉強・ゲーム・将来」を、義務教育に通えたのは2年だけだった僕の40年後から書いています。続きが気になる方は、フォローして受け取ってください。

※この記事は実体験に基づき、記憶をもとに一部を再構成しています。学校管理規則の内容は自治体や時期によって異なり、本文中の説明は、当時の記憶と資料を読んだ際の理解をもとにしています。法制度の一般的な確認には、文部科学省「小・中学校等への就学について」文部科学省「不登校児童生徒への支援の在り方について」学校外施設での活動の出席扱いについてを参照しました。個別の判断は、在籍校や教育委員会へご確認ください。

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