なにも感じない日の記録│精神科保護入院中期の日記
暑いのに寒い。
何も見ていないのに目が沁みる。
ずっと足が痛い。
私はもうこれ以上、どうすればいいのかわからない。
こういう状態をなんて言ったらいいんだろう。
メランコリック? デカダンス? それとも、なんとかブルー(マタニティーブルー的な)?
わからない。
まだ学生で、まだ寮にいて、まだ踏ん張っていたあのころは、かろうじて自分が「さみしいこと」「辛いこと」「虚無を望んでいること」くらいは自覚できた。
そう、今思えば、私は決して死を望んでいたわけじゃなかった。
私は私の神を、私の本質を、虚無を欲し、それと一体化することを望んでいた。
けれど、今の私はどうだろう。
こうして精神病院での日数を重ねるうちに、一日の多くをそこそこ前向きに、自分がいまここに存在しているのだという実感をもって過ごせるようになったいま、逆に自分の状態をうまく形容できなくなってしまった。
不思議なことに。
調子が良いときは良いさ。
「そこそこ快調」って、たったそれだけの言葉で自分の形容が済むんだもの。
問題は、「快調とは言いがたい、けれどどこが悪いのかもわからない」っていうときのこと。まさに今のように。
自分がさみしいのかわからない。
辛いのかもわからない。
苦しいのかもわからない。
自分が何を望んでいるのか、そもそも何かを望んでいるのかどうかすらわからない。
そもそも、今の私は生きているんだろうか。
毎日寝て起きて食べて、CDと本を貪って、本当にときどきこうして文を書いたり、絵を描いたり(正直、これはけっこうハードルが高い。だから、そもそもできなかったり、やってもうまくいかなかったりすることのほうが多い)しているだけ。
この閉鎖病棟の中も、もちろん一つの社会ではある。
けれど、みなが一般的にいう”社会”からは、あきらかに隔絶されているよね。ここは。
「なんにもしなくていいんだよ」って、みんなそう言うね。
休養のために入院してるわけだから当たり前だけど。
週に2回の風呂でさえ、入りたくないって言ったらそれでいいって言われる。
食事も、続けて2食とも食べなかったら勝手に点滴につないでくれる。
完全に何もしなくて良いわけではもちろん無い(それってつまり死と同義だからね)けれど、少なくとも、こっちが何かわざわざ考えたうえで自発的に行動する必要はまったく無い。
べつに、いまのこの状況を不満に思っているわけじゃない。
もちろん満足もしていない。
つまり、なんとも思っていない。
全てがどうでもいい。
極端に言えば、自分の生死が自分以外の人間の手に完全に握られてるというのに、こんなにもそのことに対して無頓着でいられるなんて………
まあ、当たり前か。
今の自分は、生きることにも死ぬことにも、なんの期待もしていないもの。たとえ死んだとて、私は虚無には還れない。
私が最初からいなかった世界にするなんてこと、神さまがいたって出来るわけないんだもの、ね?
精神科保護入院中の日記より、一部加筆修正(2025年1月4日)
Image by my friend, Joseph (https://www.instagram.com/jhrrhbjbh/)
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