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結婚か、独身か?

もう何度目だろう、
このテーマを目にするのは。

何年経っても、世代が変わっても、
微妙に言い回しを変えては繰り返されるこの問い。

雑誌などでは年1で取り上げられるテーマのような気がする。

記事にすれば
一定の関心は得られるし、共感の声も拾えるだろう。
でも、書く側としては正直、
少し空虚な気持ちになるのでは、と思ってしまう。

なぜなら、
すでに答えが出ているからだ。
いや、厳密に言えば「答えが出せない問い」であることがわかっているからだ。

「人それぞれ」
という締めで終わる議論に、
何かを足しても引いても、
それは誰かの価値観の反復にしかならない。
そして、どんな角度から書こうとも、“その人はそうだった”という個別の話を、普遍のように装うだけの繰り返しになる。

それでも
このテーマで書きたくなるのは、
書き手自身も不安だからだろう。

正解がないと知っていながら、
「他の誰かの選択」に何かヒントを求めてしまう。
書くことで
その揺らぎをごまかそうとする。
問いにしがみつくことで、
自分の不安を「思索」というものに置き換えて処理しようとする。

けれど、本当に大切なのは、
「自分がなぜこの問いを今、選んでいるのか」をしっかりと見つめることだ。

テーマに新しさがないのではない。問いの立て方に、
自分の思考の怠慢が出ているのだ。言い換えれば、
手垢のついたテーマを書くことにも意味がある。

ただし、
それは“問いを再発見する誠実さ”が伴ったときだけだ。

世に溢れる「どっちが幸せか」という問いの多くは、実は“書き手の足元の揺らぎ”をそのまま投影しているに過ぎない。

だがそれが悪いわけではない。
むしろ、その揺らぎを認めることなく、思考停止で「幸せの条件」を並べ立てることこそが、最も不誠実な書き方だ。

問いは、借りものでは深まらない。

古びたテーマに、
今の自分のオリジナルの視点で光を当てる。そこにしか、書く意味はないと思う。

ちなみに、
このテーマの私自身の回答は、
始まりでわかることもあり、
始まりで見えないこともある。
今、言えるのは、
連れ添って生きてくれている
相方に感謝しかない、ですね。

そんな私に対して、
ずっと独身を貫いている兄は
きっちりと綺麗な生活を
過ごしています。

今回も最後まで読んでくださって
ありがとうございました!


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