「なんだ、これは?」で締めくくった、息子の100点満点の夏休み
こんにちは、芽芽斗 守(めめと・まもる)です。
夏休み最後の週末は家族で一泊二日の愛知旅行に行ってきました。
初日は寄り道なしで竹島水族館へ直行です(笑)。
二日目は竹島から車で1時間ほどの豊田市博物館へ行きました。
「養老孟司と小檜山賢二の虫展」を見るためです。
養老孟司(ようろう・たけし)さんは1937年生まれの解剖学者です。
東京大学医学部で解剖学を教え、長年人の体の中を見続けてきた方です。
2003年に出た『バカの壁』は450万部を超えていて、私のnoteでも何度か引用させてもらっています。
そして無類の虫好きとしても知られています。
小檜山賢二(こひやま・けんじ)さんは1942年生まれで、虫を数百倍に拡大して撮る写真家です。
ただ、もともとは虫の専門家ではありません。
長いあいだ通信の研究をしていた工学者だと知って、私はいちばん驚きました。
今回足を運んだのはそんな長年の虫仲間だという二人の展覧会で、会期は9月23日までです。
私はてっきり、珍しい虫がずらりと並んでいる展示だと思っていました。
ところが入ってみると、目に入るのは巨大な写真とそこに添えられた言葉ばかりです。
虫を見に来たはずが、最初から読まされます。
そしてこれが、思いのほか引き込まれました。

見えるほど、わからなくなる
会場に入ってすぐの壁には、とにかく大きな虫の写真が並んでいます。
しかも、その写真はどれも驚くほど細部まで写っています。
小檜山さんが使っているのが、深度合成という技法です。
ピントの位置を少しずつずらしながら何枚も撮って、あとから重ねる撮り方です。
虫のように奥行きのあるものを拡大すると、どこかが必ずぼけてしまいます。
そこでそれぞれの写真からピントの合った部分を重ねると、頭からお尻まで全部くっきりした一枚になるそうです。
実際に見てみると肉眼では届かない細かいところまで見えます。
人間でいうと、まつげが何本あるか数えられそうなくらいです(笑)。
写真の下には本物の虫の標本も置かれていました。
息子は目をキラキラさせながら、現物と巨大化された写真を見比べています。
私もその横で写真を見ているうちに、だんだん不思議な感じがしてきました。
見れば見るほど「なんだ、これは?」になるのです。
たとえばゾウムシを並べて、その形の違いを見せる展示がありました。
丸いもの。細長いもの。ごつごつしたもの。
同じゾウムシなのにまるで違います。
帰ってから調べたら、ゾウムシは世界で約6万種いるそうです。
日本だけでも名前のついたものが千種を超えます。
象の鼻のように口先が長く伸びているから象虫。
養老さんがずっと集めているのもこのゾウムシの仲間でした。
由来を知っても、目の前のあの形の理由はわかりません。
添えられていたのはこんな一文でした。
先日は虫を一日見ていた。ゾウムシの頭である。
どうしてそんなものを見ていたのかというと、
どうもよくわからないからである
わからないから見る。
それでもわからないから、もっと見る。
考えてみれば当たり前ですよね。
でも今は、わからないものに出会うと先に答えを探してしまいます。
少し前までは検索していましたが、いまはAIですかね。
数秒もあれば、それらしい答えが返ってきます。
私も毎日のように使っていますし、便利すぎてもう戻れません(笑)。
でも答えにたどり着くのが早すぎると、「なんだ、これは?」と立ち止まる時間まで一緒に消えてしまう気がします。
「わかっている」と「知識がある」は別ものだ
会場には『バカの壁』をモチーフにした展示もありました。そこに私も好きな一文が書かれていました。
「わかっている」と「知識がある」は別ものだ
私がこの言葉を好きなのは、知識として知ることと自分のこととしてわかることは別だと思うからです。
人は知っているだけで「わかったつもり」にはなれます。
でも本当にわかるには、自分の目で見て自分の頭で考えることが必要だと思います。
検索すれば虫の名前はわかります。
生息地も食べるえさも寿命も出てきます。
AIに頼めば小学生にもわかる言葉に直してくれます。
乱暴に言えば、広辞苑の中身をすべて絵本にすることだってできます。
知識だけなら、子どもでも昔よりずっと簡単に手に入るようになりました。
でも目の前の虫をじっと観察して、「なぜこんな色なのかな」と考えるのは別です。
会場の途中には、ひとつの虫をずっと見るための大きな装置がありました。
そこではまず、自分の目でじっくり見ることを促しています。
わからないから見る。
見ているうちに「なんだ、これは?」と立ち止まる。
そこから自分なりの発見が生まれていく。
発見はどこかにあるものを見つけることだと思っていました。
でもここでは、自分の中に生まれる。
つまり、生まれるまで待たないといけません。
答えの出ないことに、耐える力
私はせっかちなところもあって、普段からその「待つ時間」をなかなか持てません。
話が長くなると「YESかNOで言うとどっち?」と言ってしまうことすらあります(笑)。
わからないものを、わからないまま見つづけるのは正直しんどいです。
会場を出てから調べてみると、こうした力には名前がありました。
ネガティブ・ケイパビリティといいます。
日本では「答えの出ない事態に耐える力」と説明されることがあります。
言い出したのは詩人のジョン・キーツで、1817年の暮れに弟たちへ書いた手紙の中の言葉でした。
簡単に言えば、答えが出なくてもすぐに理由や結論を求めない力です。
AIに聞くときも、私は答えを急いでしまいます。
わからない状態が気持ち悪いから、早く埋めて次の問いへ進みたい。
実際に展示を見ているあいだは、調べたい気持ちをなんとなく我慢していました。
目をキラキラさせて標本を見る息子を見ていると、すぐに答えを出すのは違う気がしたからです。
きっと息子は気になった虫を、今度は虫取り網を持って探しに行くかもしれません。
見つからなければ図鑑を広げて、似た虫をひとつずつ見ていくかもしれない。
その時間を、大人が先回りして奪いたくなかったのだと思います。
振り返ると、あの時間はまさに答えを急がずにいた時間だったのかもしれません。
何かを始めるのに「もう遅い」はない
養老さんは1995年に東京大学を辞めています。
57歳のときでした。
『バカの壁』が出たのはその8年後の65歳のときです。
小檜山さんは1942年に東京で生まれ、慶應義塾大学の工学部で電気工学を学んだ人です。
卒業後は電電公社の研究所に入り、長く通信の研究をしていました。
大学の教授になったのは1997年です。
写真の東川賞で新人作家賞を受けたのは2005年で、六十を過ぎてからでした。
二人とも、長いこと答えを求める仕事をしてきました。
解剖学も、通信の研究もそうです。
そして、いちばん長く付き合っているのが虫です。
そんな展覧会を歩きながら、私は自分のことを考えていました。
私は40歳で会社を辞めました。
辞めた直後は、次の答えを早く出さないといけないと思っていました。
でも今回、57歳で大学を辞めた人や六十を過ぎてから新人賞をとった人の人生に触れました。
同じことが自分にできるとは思いません。
ただ、何かを始めるのに「もう遅い」と決める必要もないのだと思いました。
誰かに急かされているわけでもないのに、なぜか私は急いでしまいます。
いまは、その答えを急いで出さない練習中です。
これがなかなか難しい(笑)。
人間はハエ一匹つくれない
足が止まった展示がもうひとつありました。
この展覧会には、養老さんの言葉を紹介する展示がいくつもあります。そのひとつに、こう書かれていました。
ロケットを打ち上げる時代になっても、人間はハエ一匹つくり出せない
これは面白いですよね。
養老さんが本や講演の中で、何度も繰り返している考えのひとつです。
人間は宇宙までロケットを飛ばします。
AIはアプリも絵も音楽もつくるようになりました。
それでも生きものを一からつくろうとすると、話がまったく違ってきます。
普段ハエが飛んでいても、私は何も思いません。
むしろ家にいたら追い出します(笑)。
でも人間の技術を全部集めてもまだつくれないものが、ふつうに飛んでいる。そう思うだけで見え方が変わりました。
会場にはこんな言葉もありました。
見ているのに見えていない。
これは人生でいつでも起こることである。
毎日見ているものほど、見なくなります。
虫もそうです。
家族もそうかもしれません。
自分自身もそうなのだと、書きながらふと思いました。
発見した自分は、もう前の自分ではない
展示の終わりのほうに、階段のかたちをした作品がありました。
正面から見ても何が書いてあるのかわかりません。
立つ位置を変えると、ばらばらだった文字がつながって一文になります。
そこにはこう書いてありました。
「発見」した自分は、もう、それまでの自分とは変わっているのです。
発見と聞くと、新種の昆虫を見つけるような大げさな話を想像します。
本当はもっと小さいのかもしれません。
昨日まで気にもしなかった虫を、今日は少し立ち止まって見る。
知らなかった形に気づく。
「なんだ、これは?」と思う。
それだけでも昨日とは少し違います。
私がこの展覧会で持ち帰ったのは虫の知識ではなく、「なんだ、これは?」と思った回数でした。
世界は現在進行形だから
展示の最後には、こんな言葉がありました。
この展示に結論やまとめはありません。
なににでも答えがあると思わないほうがいい。
世界は、現在進行形だから。
だって、10年先なんてどうなっているかわからない。
虫は、そういうすべての象徴で、
人間が作り出していく意識的な世界の対極にある。
その両方を合わせて世界が全体になるのでしょう。
正直に言うと、少し意外でした。
最後には何かしら答えが出るものだと思っていたからです(笑)。
ただ養老さんの本は何冊か読ませてもらっています。
そう考えると「まあ、養老さんらしいな」とすぐに思い直しました。
ここまで展示を見てきたあとだからこそ、「世界は現在進行形だから」という言葉が妙に残りました。
息子から「なんで?」と聞かれると、私はつい答えようとします。
わからなければスマホを出したくなります。
でも「なんでだろうね」で終わる日があってもいいと思うのです。
答えがわからないから、もう少し観察する。
そしてまた考える。
その過程に、自分だけの発見がきっとあります。
夏休みのメッセージ欄が、私に回ってきた
息子の夏休みシリーズも、これでおしまいです。
夏休みの宿題に保護者がメッセージを書く欄がありました。
ふだんは妻が書いていますが、締めくくりということで私にバトンが回ってきました。
学校の先生に向けて書いた言葉ですが、ここでは今回の虫展で感じたことも交えて、息子に向けた言葉に直して残しておきます(笑)。
この文章で、今年の夏休みシリーズの締めくくりにしたいと思います。
息子くんへ
夏休みのはじめにしたパパやママとの約束、
守れたものも守れなかったものもあったね。
きみはたくさん笑って、たまに泣きました。
真っ黒に日焼けして、虫ばかり追いかけていました。
うまくできたことも、できなかったことも。
いいところも、悪いところも。
楽しかったことも、悔しかったことも。
その全部が、きみの夏休みだったと思います。
ひとつでも欠けていたら、きっと違う夏になっていた。
だから、一度しかないきみのこの夏に、結論やまとめなんていらない。
パパは、全部ひっくるめてこの夏休みを全力で過ごしたきみに100点満点をあげたいと思います。
パパより
ちなみに夏休み中も一日も休まず投稿した私は、何点ですかね(笑)。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
少しでも刺さるものがあったら、スキを押してもらえると励みになります。

※本文中の展示に関する引用は、豊田市博物館「養老孟司と小檜山賢二の虫展」の展示パネルより。

