第1話|「目が死んでるよ」と妻に言われて会社を休んだ日、本当の地獄が始まった。適応障害→休職→傷病手当申請までの全記録
朝、妻に言われました。
「ねえ、あなた。目が死んでるよ」
朝食の前でした。
一睡もできなかったわけじゃない。
でも、心はもう完全に沈んでいました。
「今から会社に行かなきゃいけない」
それだけで、胸の奥が重くなる。
食事がのどを通らない。
一点をぼんやり見つめたまま、何も考えられない。
自分でもわかっていました。
「ああ、さすがにおかしいな」 と。
その日、私は会社を休みました。
そしてメンタルクリニックに向かいました。
M&Aの通知があったのは、この日からわずか3週間前のことでした。
たった3週間で、人はここまで壊れるのか。
あの日は終わりじゃなかった。
むしろ、本当の地獄の始まりでした。

第1章 M&Aから3週間で、私は病院にいた
🔖 もともと、その職場は本当にいい場所だった
まず、前提として書いておきたいことがあります。
私がいたのは介護法人です。
そこの幹部として入社しました。
職場は、本当に居心地が良かったです。
心からそう思っていました。
現場は利用者さんのことを第一に考える文化が根づいていて、
「この人のために何ができるか」を、みんなが自然に話せる空気がありました。
幹部同士の風通しもよかった。
上と下の距離も近かった。
困ったことがあれば相談できるし、意見も言いやすかった。
やりがいがあった。
楽しかった。
あの会社でなら、一生を捧げてでも頑張れると思っていました。

ただ、その職場にはひとつ、大きな背景がありました。
私が入った時期は、長年その法人を支えてきた
中心的な存在が急に不在になったタイミングの後でした。
その方は、組織をまとめる力も、現場への影響力も、
今思えばかなり傑出した人物だったのだと思います。
その後、私も含め新しい幹部が何人か入り、懸命に立て直しを図りました。
でも、力が及ばなかった。
営業力が弱く、集客がうまくいかない。
赤字が続いていた。
もちろん、私の力不足も大きな原因。
現場の文化や空気は残っていた。
でも、経営の数字はずっと厳しかった。
それが積み重なって、最終的にM&Aという選択につながったのだと思います。
🔖 私は転職したくて、ここを離れたわけじゃない
ここは、はっきり書いておきたいことです。
私は自分の意思でその職場を離れたわけではありません。
転職したいと思ったわけでもない。
嫌になって辞めたわけでもない。
もっと良い環境を求めて動いたわけでもない。
M&Aによって、会社ごと環境が変わったんです。
自分が選んだ変化じゃない。
気づいたら、職場の空気が別物になっていた。
そのことが、あとから振り返ると、精神的にかなり大きかったと思います。
🔖 2025年10月末、M&Aが行われた
M&Aで急に方針変更になりました。
介護法人はM&Aされ、西日本では比較的大きい会社の傘下に入った
10月27日ごろから、会社のやり方が目に見えて変わり始めた
新会社から来た本部の幹部たちの対応は、当時の私にはかなり圧迫的に感じられました。
もちろん、彼ら自身も上から詰められていたのかもしれない。
それは今でも推測の域を出ません。
ただ、現場で受け取る空気は明らかに変わった。
あれだけ風通しが良かった場所が、
気づけば「数字を出さなければ」という圧だけが漂う場所に変わっていた。
ある時、代表からこんな趣旨のことを言われました。
「新しい会社ではかなり高い方の給与なので、
それに見合う仕事をしてもらわないと困る」

私の総支給は旧会社でもトップクラスでした。
でも、あの言葉を聞いた瞬間、私の中で緊張のスイッチが入りました。
ああ、始まったな。
またあの感じかもしれない。
🔖 なぜそこまで崩れたのか。実は古い傷があった
「M&Aくらいで、なぜそこまで」と思う人もいるかもしれません。
正直に書きます。
私には、前からひとつ、心に古い傷がありました。
30代前半のころ、某上場企業の営業会社に入ったことがあります。
今思い出しても、息が詰まるような会社でした。
ノルマ、ノルマ、ノルマ。
時間、時間、時間。
コミット、コミット、コミット。
人を人として扱うより、数字を出すための部品として扱う空気。
結果を出せるまで帰れない。
できない理由を徹底的に詰めてくる。
精神的に、かなりきつかったです。
今思うと、完全にメンタル崩壊していました。
しかし、そんなことを主張できる時代でもなかった。
もちろん、受け入れる社風でもなかった。
ただ黙って、こなすしかなかった。
あのころの記憶は、完全には消えなかった。
ずっと奥に沈んでいて、普段は見えないだけだった。
そして今回のM&Aで、その空気がまた戻ってきた。
数字、圧、詰め。
あの30代のころの記憶が、頭の中でフラッシュバックしました。
第2章 得意ではないと伝えていたのに、重い仕事が降ってきた
🔖 3〜4日で管理表の数値を完全一致させろと言われた
新体制の中で、私は求人部門に配属になりました。
そこで最初に重くのしかかったのが、ExcelやGoogleスプレッドシートの整理業務でした。
2025年10月30日ごろ。
社長や取締役を含む幹部が参加したミーティングでした。
私はその前から、Excelスキルについては正直に伝えていました。
「一般レベルです」
「複雑な関数は得意ではありません」
自主的に職務経歴書(自分の経歴やスキルを伝えたもの)も出していました。
それでも振られたのが、かなり複雑な構造のシートの修正作業でした。
しかも条件がきつい。
「3〜4日程度で、〇月以降の数値を完全一致させろ」
聞いた瞬間、率直に思いました。
無理だろ、これ。
でも、そんな本音を口にできる空気ではなかった。
「わかりました」と答えるしかなかったんです。

🔖 そもそも、土台からぐちゃぐちゃだった
そのシートは、土台からぐちゃぐちゃでした。
施設名の表記揺れ
全角・半角の違い
スペースの有無
名称のブレ
構造的に、簡単に突合できる状態じゃない。
しかも、その状態で半年とか1年とか回ってきたものを、
急に数日で合わせろという話です。
心の中では、ずっとこう思っていました。
最初から整えとけよ……
でも、その言葉も飲み込んだ。
苦手だと伝えていても、圧は変わらなかった。
「やれ」という空気だけが、そこにあった。
実際、残業も発生しました。
慣れない作業にAIを駆使して必死に向き合いました。
その作業に時間を取られた結果、他の仕事が遅れ、
周囲にしわ寄せも出ました。
何よりきつかったのは、作業そのものより、
「これが今後も続くのではないか」という恐怖でした。
ずっと放置されていたものを、急に締切付きで押しつけられる。
できなければ理由を求められる。
理由を伝えてもはぐらかされ、聞いてもらえない。
苦手だと伝えたことすら、関係ない。
そういうやり方そのものが、私にはきつかったです。
第3章 休みの日まで、仕事が入り込んできた
🔖 休日の電話で「休んでも休みじゃない」と思った
2025年11月8日。
M&Aの通知から、まだ2週間も経っていない時期です。
私の休日に、仕事の電話がかかってきました。
「お休みのところごめんなさいね」
最初にそう言われたものの、
こちらが今話せる状態かどうかの確認もないまま、そのまま業務の話に入る。
内容は、翌営業日でも十分足りるようなことでした。
たったそれだけ、と言われればそうかもしれない。
でも、こういう小さなことが精神を削るんです。
休日なのに、気持ちが仕事に引き戻される。
電話が終わったあともしばらく、会社のことが頭から離れない。
ああ、休んでも休みじゃないんだな。
そんな感覚だけが残りました。

🔖 公休日でも、締切だけが圧として残った
11月11日から12日にかけて。
M&Aからまだ3週間も経っていない時期です。
プロジェクトの締切は13日の朝一。
私への依頼が来たのは、11日の夕方(定時1時間前)でした。
しかも12日は、私の公休日。
依頼から締切まで実質1日もない。
休みを挟む形で仕事が降ってくる。
実質、12日は休めない状況でした。
もちろん、私の公休日は事前に伝達している。
公休日も関係なし、相談ではなく決定事項のように降ってくる。
その時点で、私はもう返信する気力すら削られていました。
🔖 自分だけじゃなかったことが、さらに怖かった
さらに怖かったのは、自分だけじゃなかったことです。
グループLINEでは、他の社員が休みの日でも指示を受けているのを
何度も見ました。
同僚が休日に会議へ出るよう求められている。
休日出勤している人もいる。
誰も「休みだから無理です」とは言わなかった。
言えなかったのか、言う気にもなれなかったのか。
おそらく両方だったと思います。
「今日は休みだから」は、通用しないんだな。
その現実を目の当たりにして、思いました。
次は自分の番かもしれない。
深夜でもLINEが来るんじゃないか。
来たらどうしよう。
返さなきゃいけないんじゃないか。
実際に深夜LINEが来たこともありました。
だから、ただの被害妄想ではありません。
スマホが鳴るだけで、心臓がドキッとするようになっていきました。
眠れない。
寝ても浅い。
1時間ほどで目が覚めてしまう。
数時間まとめて眠れることが、ほとんどなくなっていきました。
第4章 体も心も、はっきりおかしくなっていった
🔖 日常の中でも、自分の異変がわかるようになった
M&Aから3週間も経たないうちに、
日常のあちこちで異変が出始めていました。
買い物に行っても、いつものスーパーを通り過ぎる
買い忘れが増える
目的地へたどり着けない
意識がぼんやりする
自然と涙が出る
意欲がごっそり落ちて、何もしたくなくなる

自分でも、「これは普通じゃない」と思っていました。
そして、11月中旬。
妻に「目が死んでるよ?大丈夫じゃない目だね」と言われた朝を迎えます。
私はその日、会社にLINEを入れました。
病院へ行くこと、数日休むかもしれないことを先に伝えました。
診断書をLINEで送ったのは、受診の翌日あたりです。
🔖 適応障害という診断に、驚きはなかった
クリニックでは、自分の状況を一通り話しました。
そこで出た診断は、適応障害。
ただ、医師からはこうも言われました。
「会社だけが原因とは言い切れない。
これまでの人生の積み重ねも含めて、
このタイミングでメンタルが壊れたのだろう」
それを聞いた時、感想は意外と冷静でした。
「まあ、そうだろうね」
自分でも、おかしかったから。
どう考えても、普通の状態じゃなかった。
診断を受けてショックだったというより、ようやく病名がついた。
そんな感覚に近かったかもしれません。
会社の反応は、拍子抜けするほどあっさりしていました。
「お大事に」
それだけでした。
こちらが壊れかけていることに、関心があるのかどうかもわからない。
その温度差が、正直つらかったです。
第5章 休めば終わると思っていた。でも違った
🔖 「復帰したい」という言葉が、空回りした
私は会社側に
「とりあえず休職して、落ち着いたら復帰したい」
という意向を伝えました。
でも返ってきたのは、受け入れないという趣旨の話でした。
ずっと休みたいと思ったわけじゃない。
投げ出したいと思ったわけでもない。
少し休んで、回復したらまた戻りたかった。
ただそれだけでした。
でも、その言葉は空回りしました。
🔖 弁護士にも、労基にも相談した
精神的苦痛が強かったので、訴訟まで考えました。
弁護士に相談すると、こう言われました。
「M&Aされてまだ2〜3週間では、
その会社が原因だという裏付けが弱い」
「明らかなパワハラというには状況証拠が足りない」
労基にも相談しました。
「決定打がない限り、パワハラ認定は難しい」
その代わり、こう言われました。
「まずは傷病手当金を取って、ゆっくり休んでください」
🔖 本当の地獄は、ここからだった
あの時の私は思っていました。
傷病手当金なんて、診断書が出て、
会社から必要書類をもらって出せば終わりだろう。
さすがにそこまでは揉めないだろう。
でも、甘かった。
本当の地獄は、ここからだった
会社は、簡単には動きませんでした。
書類はすぐにそろわない。
連絡しても返事が来ない。
何をどこの会社名義で出すのかも曖昧。
保険も、退職も、傷病手当金も、
全部が少しずつ噛み合わなくなっていった。
休めば終わると思っていた。
実際は、休んだ日から別の戦いが始まったんです。

📖 第2話へ続く
診断書を出して、少し休んだら終わるはずだった。
でも、M&A後の会社では
「自分がどこに所属しているのか」すら、誰も教えてくれなかった。
所属・保険証・会社名義——
全部が一気にグチャグチャになっていく。
その話を、第2話に書いています。
▼ 第2話|M&A後、全部が曖昧になった
💡 今まさに、手続きが止まっている方へ
「会社が動かない」
「何度連絡しても返事が来ない」
「傷病手当金の申請が一向に進まない」
この記事を読んで、そう感じた方がいたら
特別編も読んでみてください。
実録の続きとは別に、今日から実際に動くための実務マニュアルを
特別編としてまとめています。
✅ 在職中・退職後、それぞれの動き方がわかる
✅ 会社への確認文がそのままコピーして使える
✅ 未読スルーされた時に次にやることがわかる
✅ 記録の残し方・期限の決め方まで収録
読んで終わりではなく、今日から動けるように書きました。
▼ 特別編|会社が動かなくても傷病手当金を前に進める実務マニュアル
※ この記事は私個人の実体験をもとにした記録です。
手続きの最終確認は、必ず協会けんぽなどの公的窓口でお願いします。
