第2話|M&A後に休職したら所属・保険証・傷病手当金の申請先が全部曖昧になった話。会社の説明が人によって違うとこうなる
第1話では、M&Aをきっかけにメンタルを崩し、
適応障害と診断されるまでの3週間を書きました。
あの時の私は、まだ思っていました。
診断書を出して、少し休んで、回復したら戻ればいい。
手続きも、会社がやってくれるはずだ。
でも、現実は違いました。
休んだ日から、別の地獄が始まっていたんです。
▼ 第1話をまだ読んでいない方はこちら
第1章 診断書を出したあと、話は「休職」ではなく「終了」の空気で進んだ

🔖 返ってきたのは、短い一文だけだった
受診後、私は会社にLINEを入れました。
先に「病院に行きます」と伝え、診断書は翌日あたりに画像で送りました。
返ってきたのは、新会社側の担当者からの短い返事でした。

「そうなんですね。お大事にしてください。」
それだけでした。
病状を詳しく聞かれてもいません。
でも私は、この返事に冷たさを感じました。
心配している感じでもない。
今後のことを一緒に整理しようとする気配もない。
ただ、業務の流れの中で「一人抜けました」と処理されたような温度でした。
もちろん、当時の私が弱っていたからそう感じただけかもしれません。
それでも、その時の私が望んでいたのは一つだけでした。
少し休んで、回復したら戻りたい。
ただそれだけでした。
🔖 「休職して復帰したい」と伝えた。でも、そこが噛み合わなかった
私は会社側に対して、はっきりと伝えました。
「とりあえず休職して、落ち着いたら復帰したい」
辞めたいという話ではありません。
投げ出したいという話でもありません。
少なくとも「回復すればまた働きたい」という気持ちを持っていました。
ところが、新会社側の反応は、最初からどこか他人事でした。
はっきり「あなたを引き継ぎません」と言い切るわけではない。
でも、話の流れはずっと同じでした。
「旧会社は12月31日で終了です」
「前の会社が終わるので」
「窓口は旧会社の担当者です」
そういう言い方ばかりで、こちらが一番知りたい
「では私はどうなるのか」
には、なかなか答えが返ってこない。
私は休職の話をしている。
でも相手は、最初から「その先は終わりではないか」という温度で話してくる。
このズレが、まず気持ち悪かったです。
第2章 何度確認しても、答えが返ってこなかった
🔖 2025年12月22日、最初の確認をした
このあと私がやったのは、感情的に怒ることではありませんでした。
まず必要なのは、事実確認だと思ったからです。
2025年12月22日、私は会社側にLINEで確認しました。
1月1日以降、私は新会社に雇用承継されるのか
もし承継されないなら、雇用終了の扱いはどうなるのか
離職票などの手続きは、誰が窓口になるのか
これは細かすぎる確認ではありません。
休職中の人間にとって、最低限必要な確認でした。
なぜなら、所属先がどこなのかによって、
保険証がどこまで使えるのか
離職票が誰から出るのか
傷病手当金の事業主欄を誰に書いてもらうのか
1月以降の手続きをどこに聞けばいいのか
このあたりが全部変わってくるからです。
ところが、この確認に対して、すぐには明確な返事が来ませんでした。
🔖 12月28日、12月30日、1月2日。再送しても話は進まなかった

未読のまま。
あるいは、読まれても肝心なところに答えがない。
そのため私は、12月28日にも同じ内容を再送しました。
12月30日にも催促しました。
年が明けた1月2日にも、もう一度確認しました。
ここはかなり大事な点だと思っています。
私は後になって急に「そんな話は聞いていない」と騒いだわけではありません。
年内のかなり早い段階から、自分の所属と手続きを確認しようとしていた。
それでも、会社側の返事は曖昧なままでした。
🔖 1月3日、別ルートでも助けを求めた
窓口からはっきりした返答が得られなかったため、
私は別ルートで新会社側の別の担当者にも連絡しました。
かなり遠慮しながらも、こんな内容を伝えました。
以前から確認をお願いしていること
未読状態が続いていること
このままだと社長に相談せざるを得ないかもしれないこと
迷惑をかけたくないから、少し力を貸してほしいこと
この時点でも、決して喧嘩腰ではありませんでした。
ただ、話を前に進めたかっただけです。
そして、このやり取りの中で、私はこう理解しました。
新会社に承継しない。旧会社は廃業する。窓口は旧会社の担当者である。
つまり私の認識では、この時点で
「自分は12月31日までは旧会社の人間で、
1月1日以降、新会社へは引き継がれない」
という話になっていました。
第3章 「旧会社は終了です」と言われても、それでは答えになっていない
🔖 私が聞きたかったのは、会社の終了ではなく、自分の扱いだった

私が何度も聞いたのは、「旧会社が終わるかどうか」だけではありません。
私はその後どうなるのか。
それを聞いていたのです。
ところが返ってくるのは、
「旧会社は12月31日で終了です」
という文面ばかりでした。
「では、新会社には引き継がれないということですか」
私はそう聞き返しました。
すると返事はまた曖昧でした。
でも趣旨としては、「そういうことです」と受け取れる内容でした。
だから私は、少なくとも当時は本気で思っていたのです。
自分は12月31日までは旧会社所属。
その後は、新会社には行かない。
要は退社。
ところが、あとから分かった事実は、それとまったく噛み合っていませんでした。
第4章 1月末、保険証が届いて初めて「何かがおかしい」と気づいた
🔖 引き継がれないはずなのに、保険証だけ新会社になっていた

転機になったのは、新しい保険証でした。
「あれ?」と思いました。
引き継がれないはずなのに、なぜ新会社の保険証が来るのか。
そこで協会けんぽに確認しに行きました。
窓口で言われた内容は、今でもはっきり覚えています。
旧会社の資格がまだ切れていないようだ
12月1日から新会社に入っているという扱いになっている
12月31日で新会社を喪失している
私は一瞬、意味が分かりませんでした。
引き継がないと言われた。
自分でもそう認識していた。
なのに保険の上では、私は12月1日からすでに新会社の人間になっていた。
そして、12月31日で新会社を辞めたことになっていた。
正直に言えば、その時の気持ちは一言です。
「え? 話が違うじゃん。意味がわからないよ。」
でした。
第5章 会社の説明は人によって違った。だから全部がごちゃついた
🔖 所属の説明が、一貫していなかった
ここで厄介だったのは、単なる私の勘違いではなかったことです。
会社側の説明そのものが、一貫していませんでした。
ある人は、
「あなたは旧会社所属です」
と言う。
別の人は、
「新会社にも所属しています」
と言う。
後になると、
「給与は新会社から出ているので、契約上も新会社です」
という説明まで出てきました。
でも一方で、また別のタイミングでは、
「本人にメリットがあるように旧会社所属扱いにしている」
という話も出てくる。
どっちなんだ。大丈夫か。この会社の幹部たち。
責任逃れのその場しのぎの曖昧な返答ばかり。
レベルの低さと誠意の無さを感じずにはいられませんでした。
🔖 一番きつかったのは、そのツケを全部こちらが被ることだった

私が一番腹が立ったのは、説明の食い違いそのもの以上に、
そのツケを全部こちらが被る構造になっていたことです。
所属が曖昧だと、実務は止まります。
私が傷病手当金を取りたいと考えていたのは、12月8日以降の分でした。
その申請では、12月8日時点でどこの会社に所属していたのかが重要になります。
ところが、その時点の所属について、
私の認識では旧会社
保険上は新会社
会社側の口頭説明は人によって違う
という状態になっていた。
これでは、傷病手当金の事業主欄をどこに依頼すればいいのかが分かりません。
12月1日から7日までの有給消化分を、どこの会社が賃金として記載するのかも曖昧になります。
離職票も、資格喪失も、健康保険も、全部が連鎖して止まり始めます。
第6章 療養中の人間が、所属確認と手続きを延々とやらされた
🔖 私はただ休んで回復したかっただけだった
私はただ休んで回復したかっただけなのに、いつの間にか、
どこの社員なのか
誰が窓口なのか
保険証はどこまで有効なのか
傷病手当金の書類はどこに出すのか
そんな確認を、療養中の自分が一人でやらされる状態になっていました。
今振り返っても、ここは本当におかしかったと思います。
適応障害と診断されて休んでいる人間に、
本来なら会社側で整理されているべき情報確認を何度もやらせる。
1月1日以降どうなるのか。
保険証はどうなるのか。
傷病手当金の事業主欄は誰が書くのか。
離職票は誰が出すのか。
資格喪失日はいつなのか。
こういうことは、本来、会社が整理して説明するべきことです。
休職中の本人が毎回LINEで確認しないと前に進まないのは異常です。
🔖 元気ではない状態で、それでも確認し続けるしかなかった

しかも、その時の私は元気だったわけではありません。
頭は回らない。
不安は強い。
眠れない。
食欲も落ちている。
そういう状態で、
「所属はどっちですか」
「窓口は誰ですか」
と何度も聞き続けるのは、正直かなりしんどかったです。
でも、やらないと止まる。
だからやるしかなかった。
第7章 所属さえはっきりすれば、進むと思っていた
🔖 本当に厄介だったのは、土台が壊れていたことだった
この時点で、もう十分に地獄は始まっていました。
でも当時の私は、まだ少し甘く見ていました。
所属さえはっきりすれば、傷病手当金の手続きは進むだろう。
会社もさすがに必要書類までは対応するだろう。
そう思っていました。
でも、違いました。
本当に厄介だったのは、診断書でも休職でもありませんでした。
「私はいったいどこの社員なのか」
その土台が壊れていたことが、その後のすべてを詰まらせていきました。
傷病手当金の申請書
離職票
資格喪失
任意継続
給与明細
源泉徴収票
それらは全部、会社側が最初にきちんと整理していれば、
ここまで混乱しなかったはずのものです。
でも現実には、整理されないまま、説明も揃わないまま、
本人だけが確認を続けることになった。
それが、この時期の私に起きていたことでした。

📖 第3話へ続く
所属が曖昧なまま、次に起きたのは
「会社が止まると、全手続きが止まる」という現実でした。
傷病手当金の書類が返ってこない。
給与明細も来ない。
離職票も来ない。
何度催促しても、進まない。
そして私の病名は、その間にさらに悪化していきました。
▼ 第3話|会社が止まると、全部が止まる
💡 今まさに、手続きが止まっている方へ
「会社が動かない」
「何度連絡しても返事が来ない」
「傷病手当金の申請が一向に進まない」
この記事を読んで、そう感じた方がいたら
特別編も読んでみてください。
実録の続きとは別に、今日から実際に動くための実務マニュアルを
特別編としてまとめています。
✅ 在職中・退職後、それぞれの動き方がわかる
✅ 会社への確認文がそのままコピーして使える
✅ 未読スルーされた時に次にやることがわかる
✅ 記録の残し方・期限の決め方まで収録
読んで終わりではなく、今日から動けるように書きました。
▼ 特別編|会社が動かなくても傷病手当金を前に進める実務マニュアル
※ この記事は私個人の実体験をもとにした記録です。
手続きの最終確認は、必ず協会けんぽなどの公的窓口でお願いします。
