DMZツアーで、北朝鮮まで200m地点に行った日
2日目は5時半に起床。6時40分に迎えが来るので、前日買ったそぼろパンをかじりながら準備。この日は今回の旅のハイライト、DMZツアーに半日参加します。
DMZ(De-Militarized Zone)とは
韓国と北朝鮮の休戦協定により設けられた北緯38度線付近にある軍事境界線を挟んでそれぞれ2kmずつ、4kmにわたる非武装地帯地域を指す。
一般人の立ち入りは統制されていますが、韓国政府認定ツアーに申し込めば1人でも参加できるということで、今回コネストでガイドさん付きの日帰りツアーを予約しました。
現在までに見つかっている、北朝鮮が掘ったとされるトンネルは4つ。一般公開されているうち人気なのが、軍事境界線まで約200m地点まで近付くことができる第三トンネルです。私はこの第三トンネルのツアーに申し込みました。
早朝、見知らぬ人々と集合
ホテルの外に出ると、赤いポロシャツの運転手さんが迎えに来てくれました。ミニバンには先客3人。乗合タクシー状態で気まずさを感じる暇もないまま、すぐ近くのコリアナホテル前で降ろされます。
このホテルからさらに何人か合流して近くの大型バスへ。老若男女、30人近くがバスに座ります。
乗車してすぐパスポート表記の名前と生年月日を記入。首から下げるIDカード的な参加証を渡され、なんとなく会社員感み溢れる姿に。
バスが動きだすや否や、流暢な日本語でガイドが始まります。これから向かうDMZについて。北と南に分断されたいきさつ、北朝鮮の現状…
平和のために歴史を正しく知って欲しい、というガイドさんの熱意が伝わる説明での言葉で、日本も含めた南北を取り巻く経緯への理解が一層深まりました。
バスの中では寝て過ごすことを想定してましたが、お話が濃すぎて時間があっという間に過ぎました。
分断の形跡を目の当たりにする
ツアーはいきなりトンネルに向かうのではなく、まず周辺の関連スポットを回ります。最初に到着したのは臨津閣国民観光地。記念碑などのほか、サービスエリアのように飲食店や、ゴンドラまであります。
北に行った家族の帰りを待つ人々が祈りを捧げる「平和の鐘閣」、休戦協定が結ばれた際に戦争捕虜だった人たちが渡ってきた「自由の橋」など、分断の歴史を感じる箇所があちこちに。
また、かつてソウルと平壌を結んでいた鉄道の線路(復元)あり、銃弾の跡が痛々しい蒸気機関車を間近に見ることができました。
戦前は平壌とソウルを行き来し、戦時中は国連軍の軍物資を運ぶのに活躍してた機関車は、北朝鮮に使われること懸念した米軍部隊により破壊されます。



なぜか北朝鮮の紙幣を買う
汽車を爆破せざるをえなかった、そんな状況の人々の気持ちに思いを馳せながら自由時間に。
公園内には、オーナー独自のルートにより、特別に北朝鮮のお札を販売してる売店があるとのこと。独自のルートとは…?と首を傾げつつとりあえず売店に行ってみます。
すると大勢のツアー客が小さな小屋のような売店に押しかけてるのを見て、ここまで来たからには記念に買わねばと湧き上がる謎の使命感。
旧紙幣、新紙幣などバリエーションの豊富さに驚きつつ、いわゆる北朝鮮ぽい絵柄の50ウォン札を10,000ウォンで購入。200倍…

ゴンドラにも乗りたかったのですが、券売所はスタッフの姿もなく、おそらく集合時間に間に合わなそうだったので断念してバスに戻ります。
トンネルの先に見えたもの
そしてついにバスは第三トンネルに。トンネルに向かう前に臨津江に架かる統一大橋を渡ります。通過後は統制エリアに入るため検問所が。バスに韓国軍の方が乗り込みパスポートか氏名を一人ひとり確認されます。車内にみなぎる緊張感。
軍の方を間近で見ましたが、ガイドさん曰く「おそらく等級からこの人はまだ新人さんなので怖がらないで大丈夫ですよ」
何事もなく検問所を通過し、しばらく走ると第三トンネルに到着です。場所が場所だけに、当日行き先が変更になるかも、と伝えられていましたが、この日は予定通り第三トンネルに入ることができました。

トンネルに入る前に映像やパネルなとが並ぶ展示館で、改めて知識を深めます。
そう遠くない過去に、板門店やこの付近で様々な事件が起きていたことを改めて知りました。(1番驚いたのは事件の当事者が、最近まで韓国のテレビにコメンテーターで出ていたということ)
そしていざ、トンネルに。内部は撮影禁止のため携帯電話含め、全て荷物をロッカーに預けてヘルメットを着用します。身ぐるみ剥がされた状態でツアーの目的地に向かいます。
本来は専用シャトルで降りることができたようなのですが私が訪れる数日前にシャトルが故障。特殊な地域かつ地下という場所ゆえ、修理の目処が立ってない様子。なので、地下73m、全長1.6kmを急きょ徒歩で下ることに。
出だしは緩やかですが、だんだん勾配が急になります。少し歩くと洞窟のようなトンネル内はひんやり。足元は少し濡れてぬかるんでいて、途中湧き水?らしきものがあったと記憶します。
北朝鮮がダイナマイトで爆破して掘ったと見られる跡や、トンネルは「石炭採掘のため(掘った)」と主張するべく壁に炭を塗った(そんなんでバレないと思ったのか謎)跡など確認できました。
天井は微妙に低いため、前かがみで進みます。油断すると容赦なく頭がぶつかるため、あちこちで悲鳴が聞こえました。私もヘルメットがあったおかげで命拾いしました。
黙々と歩くこと20分くらい。軍事境界線まで176mのところに到着。その前には遮断壁が三重に設置されていてるようで、中の様子を隙間から見ることができます。
すぐ先は北朝鮮。不思議な感覚でのぞいた先には…意外にも植物がアマゾンのように生い茂ってる姿が見えました。監視カメラの光が強いせいで、植物がすくすく成長するそうです。
壁の近くにはデジタル時計がいくつかあり、休戦時からの時刻などがカウントされていたと記憶。
目的のものを見れたので、後は引き返すだけです。が急勾配の上り坂が延々と続くのが思ってた以上にしんどかった。往路は天井が!と騒いでた人々も、帰り道は無口です。
途中本当に戻れないかも…と絶望の顔で休んでると、向かい側から来たほかの欧米のツアー客の方達に笑顔で励まされ、なんとか地上に帰還します。
トンネルから出た先はお土産コーナー。DMZあんパン、キャップなどDMZグッズの数々。トンネル自体もそうですが、使えるものは余さず観光資源にするところが、韓国らしい逞しさだなと感じます。
軍人マネキンと2ショットが撮れるフォトスポットは行列が出来てましたが、流石に遠慮しておきました。
450人が暮らす統一村
両脇に地雷の警告がある道を通りながら、展望台に向かう前に「統一村」に立ち寄りました。統制エリアの北端に位置し、休戦当時に住んでいた人とその直系子孫、現在約450人が暮らしているそうです。
多くの人は農業に従事し、バスから見えるのは畑や学校など。コンビニやお店は見当たりません。
韓国軍の管理下に置かれているため、他のエリアに行くにも申告したり、夜間は何時までに戻らないと行けない(過ぎると村に入れないので翌日まで待って帰るそう)など様々な制約の中で暮らしています。
恥ずかしながら今回統一村のことを初めて知りました。生まれた場所によって、気ままに旅行とかしている自分と、色々な制約の中で暮らす人たちに分かれてる事実に複雑な気持ちになりました。
途中、村の農産物、お米や豆など販売する直売所にバスは立ち寄ります。美味しいと評判のアイスは、きなこのようなやさしい風味でした。
バスの集合時間を失念したため、「置いてかれる…!」とアイスは秒で飲み込むように食べました。

展望台から北朝鮮の人たちを目撃
ツアーの最後に展望台に立ち寄ります。その日は当初予定されていた展望台から烏頭山(オドゥサン)展望台に変更になりました。
ソウルから地下鉄やバスを乗り継いで行けるため「自力で行ける展望台」とも言われるとか。私はもちろん他力で連れて来てもらいました。
資料室や映像を見た後、各自屋外の望遠鏡などで北側を見つめます。他のツアーの団体もいたため、望遠鏡待ちの列ができます。
ようやく自分の番が回ってきて覗いた先には、朧げながらオートバイか自転車に乗る人の姿が見えました。
「あ、見えた!」と内心喜んだものの、なんだか人様の暮らしを覗き見してるような心持ちになり、周りの風景を写真におさめながら、早々に展望台を後にしました。

ツアー中は割と外にいる時間も長かったため、帰りのバスではグッタリ。ガイドさんが熱唱する「悲しくてやりきれない」を聞きながら、14時ごろ、ホテル近くまで戻って来ました。夕方に備え、しばし休息します。
ソウルから約52kmしか離れていないこと、最先端のビルが並ぶソウル市内とのギャップに改めて驚きました。この日感じたことは、うまくここで書ききれませんが、ソウルに行かれる方にはぜひ一度訪れてみてもいいのではないか、そんな風に感じました。板門店に行けるようになったら、また私も訪れたいと思います。
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