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母は弱っても、何度でも立ち上がる~22日は健康を振り返る日~

毎月22日は「健康を振り返る日」と決め、
毎月「いろんなかたちでの健康」について記事を書いている。
きっかけは、2022年9月22日に開頭手術を受けたこと。

この時のことを書いた電子書籍の「ペーパーバック版」にとりかかるも、
様々な事情により、進めることができずにいる。
ただ……来月は手術から4年を迎える。

いつまでも逃げてばかりはいられないのも、また事実。
最近は、この本をリライトするのか、別のかたちで出し直すのか……
そんなことも考え始めた。

よって、この内容でお読みいただけるのも限りがある。
もし興味を持っていただけたら、お早めにご一読いただけるとうれしい。

冒頭で「様々な事情により」とお伝えしたが、実は7月に母が入院した。
今回はいつもよりスパンが長く、2年以上は自宅にて療養していたが、
母もわたしたちも、もうどうしようもなく……医療の力を借りることに。

それが最初のうちはいい方向に進まず、
家族全員があたふたすることになってしまった。


入院しても、なかなか回復しない母


「家にいても気になることばかりで眠れなくなってきた。
みんなに迷惑をかけたくないから入院したい」
7月のある日、母は自分からそう言った。
とはいえ、こちら側の希望だけで入院はできない。

「レビー小体型認知症」と診断され、
定期的に治療を受けているメンタルクリニックに相談するも
「7月、8月は思春期外来の患者さんの希望入院が増えるんです」
と、いったんはしぶられる。

しかし、次の予約を待たずに受診する必要があるほど母の調子が崩れ、
驚いた主治医が早く決断してくださった。

入院準備の日の様子を書いたnoteはこちら👇

入院したら、まず電気けいれん療法という
覚醒を促すような治療が検討されていた。
しかし、入院から3週間経っても
その治療に取りかかる兆しがなかった。

着替えを取りに行く義理の姉からの話は
「調子が悪いみたいで……
お母さんの様子を見ることができないの」と聞いた。

様子が見れない=会わせられないくらい悪い

だったようだ。

望みの綱の「電気けいれん療法」は全身麻酔のもと行う。
その全身麻酔ができないくらい体の中の状態が悪いという説明があり、
系列の総合病院へ転院した。

ところが、転院先の総合病院で
「これはうちでは無理です。S病院に運びます」と、
さらに大きな病院へ緊急搬送された。

夜間の緊急搬送とICU


運ばれたのは、なんと熊本地震が起きた夜の21時。
わたしは自宅で待機していたが、
家族からは「脳梗塞が疑われ、今からMRIとCT検査を受ける」
と連絡があった。

23時半頃「まだ結果がわからない」という最後の連絡と共に、
眠れぬ夜を過ごす。

一時はICUへ入った母。
しかし、検査の結果、脳梗塞は過去の小さなものが残っている程度で、
ここ数日の症状の悪化は、
熱中症と激しい脱水による著しい体力低下の可能性が高い、
ということだった。

搬送先の医師たちの善処により、わずか3日で元の病院へ戻ることに。

わたしたち家族は
「この夏を越せないかもしれない」
「寝たきりになるかもしれない」
と覚悟した。

だから、たった3日で元の病院に戻れることは、まるで奇跡だった。

母に会いに行く


元の病院に戻った翌日、わたしは実家に帰省し、
父と一緒に母の面会に行った。

病院に向かう車の中で、父から弱り切った母の話を聞いた。
移送される救急車に父も一緒に乗ったのだが、
うちにいた頃より痩せ細り、折れそうだったと心配していた。

(だからいつも言ってるじゃない!
そんなに心配するくらいならもっと優しくしてあげてって……)

こんな時すら父への恨み節しか出てこない。

病室へ向かうと……母がいない!

あわててナースステーションに確認すると
「あ、みむらさんはレクリエーションに参加されていますよ」
と信じられないことを言われる。

指定された場所へ父と急ぐと、母は、他の高齢者に混じり
車椅子に乗って……確かにレクリエーションに参加していた。

目の前の光景が信じられず、父と顔を見合わせる。
わたしが信じられないのはまだしも、
父はさらに何が起きたのか分からなかったはずだ。

レクリエーションが終わり、
「お母さん!」と声をかけ手を振ると、
母はわたしを認識して手を振り返した。

義姉の話では意識障害が出ていたはずなのに……。

信じられないほどのスピードで回復を見せている母。
きっとかなり無理をしているんだろう。
でも、病院の方針でそうせざるを得ないこともわかる。

高齢者とはいえ、少しでも自分で体が動かせるのであれば、
やはり寝たきりのままにはしておかないということなのだろう。

そりゃ、たかだか40代のわたしが、頭を切ったその日に
「歩かないの?」と言われるはずだ。

病室に戻り、父は回復がうれしくて、一生懸命母に話しかける。
でもそれが母にとってはとてもしんどそうで……。

そもそも耳が遠く、大きな声で語気の荒い父と、
か細い声でゆっくりしか話せない母では、会話が噛み合わない

見るに見かねて
「お父さん、しんどそうだから、少し休ませてあげて!」と止めた。

昨日救急車に同乗してまで母のことを心配した父。
なのに、目の前にいる母が少し元気になったと感じたらこれだ。

喜び方にも、寄り添い方にも、我が家はいつもズレが起こる。
仕方のないことだけど、これがまた喧嘩の種になるのだ。

「寝ていたい」と話していた母


次の休みの日も、やはり様子が気になり……
今度は一人で面会に行った。

その日は、
鼻と腹部に入れていた栄養剤を注入するチューブが取れていた。

「お母さん、自分でご飯食べたの?」
そう声をかけると、弱々しく微笑む。

そして小さな小さな声で
「ぜ~んぶ流し込むものばかりで楽しくない」と言った。
流動食ばかりで、食べる楽しみがない、と伝えたかったのだろう。

たったそれだけを伝えるのにも肩で息をしている。
心配になり、手を握り、ひたいに手を当てると……熱があるようだった。

「今来たばかりだけどさ、無理させるといけないからもう帰るね」

そう言うと

「しんどいから寝ていたい、ごめんね」

と……。

(また……こんな時までごめんは言わなくていいのに!)

心の中だけで小さく毒づくと、手を振って病室を出た。

まさかの「歩行器デビュー」


1週間後、ふたたび面会に行くと……母が歩行器を使って歩いていた。
「歩行器デビューしたよ!」
そう言ってうれしそうに歩く母の姿を動画に撮り、
次兄のLINEへ送る。

すると兄から「それ、もう何回目のデビューだよ!」とツッコミが入る。

やられた……(笑)

あまりにも短期間にいろいろなことが起きて、
一度は最悪な状況も想定した。

だからこそ、
この入院期間で何度目のデビューかわからない歩行器を使った歩行でも、
こんな風に笑い話に変えられることは、なんて幸せなんだろうと感じた。

回復は一直線ではない


職場の同期に、同い年のM美さんという人がいる。
彼女のお母様は、アルツハイマー型認知症と診断され、
デイサービスを週3日利用しながら、自宅で過ごされている。

病気は、同じ名前がついていても、人によって現れ方が違う。
レビー小体型とアルツハイマー型では、まったく違うのだが、
たとえ同じ認知症だったとしてもひとつの型には当てはめられない。

そして、それは介護も同じだと感じている。

それどころか、同じ人物の「母」を見ていても、
昨日と今日では症状が違う。

できていたことが難しくなり
「もう無理かもしれない……」
と思ったあとに、また歩き始めることもある。

老いていく母に、いったい何ができるのだろう……。
今のわたしには、確かな答えはない。

家族の考えが、いつも同じ方向を向いているわけでもない。
ただ、そのなかで、母の今を見失わず、
自分にできることを一つずつ考えていくしかないのだと思う。

母の「何度目かの歩行器デビュー」を、兄弟で笑えた日。
少なくともあの瞬間は、母がもう一度歩いたことを、みんなで喜べた。

こんな時間が、少しでも長く続いてほしい。
ただただ、そう願うばかりだ。

ゆっくりでも一歩一歩……


今、ご家族の介護に向き合うあなた、
それぞれのかたちで、共に向き合いましょう。

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