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岩田聡さんの好きなところ10個言いたい

はじめに

岩田聡さんの好きなところ語ってもよかですか。

2025年もまもなく終了です、
今年は私にとって岩田さんを知ることができた年でもあるので、年末のタイミングで「岩田さんのどこが好きなのか」を改めて考えていきたいと思います。レッツ言語化!

1.どこまでも自分の興味と好奇心に素直なところ

高校生の頃からひたすらプログラミングにハマり続けたのもすごいんですが、個人的には親の反対を押し切ってアルバイト先のHAL研究所に就職するのがすごいなと感じます。岩田さんのお父さんは、「先生、息子を説得してください」と大学に乗り込みます。岩田さんは大手の電機メーカーに内定が決まっていたにも関わらず安泰した大手には興味がなかった。自分の信じた道をまっすぐに進み親の意見など聞く気がなかった。
私は若い頃、周りの顔色ばかり気にしていた人間だったので、この岩田さんの行動は心から尊敬します。
(この時、「息子さんの好きにさせたほうがいい」と逆にお父さんを説得してくれたゼミの先生がいたから、岩田さんはゲーム業界に進み、そして今日の任天堂があるんですね)

2.人を喜ばせたいという欲求を持ち続けたこと

高校時代、隣の席のYくんが岩田さんの「お客さん第一号」でした。10代のこの時から、岩田さんは自分の作ったゲームをYくんがどのように反応するのかを観察し、フィードバックをもらい改良していった。

岩田さんが人を喜ばせることをライフワークにしたのは、まさにYくんの存在があったからなのかもしれません。

3.合理性だけでなく、非合理性も認めたこと

岩田さんは合理的であることや論理に矛盾がないことを良しとしました。
しかし、必ずしも科学的な正しさ一辺倒という訳ではなかった。
HAL研究所時代を共にした藤田至一さんが語ってくださった岩田さんのお話が本当に良い↓↓

すっごく面白いのは、あれだけ理系で、バリバリのプログラマーだったにもかかわらず、占いのような一見、非合理的なものを否定していなかったことなんです。ハル研のみんなで食事をしているとき、話が占いをはじめとした、エセ科学的なものを否定するようなながれになったことがあるんです。そのときも岩田さんは「いや、これだけ長い歴史で淘汰されなかったのだから、科学的に根拠がないからといって、意味がないとは言えない」と言ってましたね。

3DCGエンジニアからアカデミアに転身 ~藤田至一氏に聞く「博士号」の意味
https://cgworld.jp/interview/202006-fujita.html

きっと岩田さんはオバケもおもしろがって信じるのかもしれません。

4.人を理解しようと努めたこと

人との対話を重視した岩田さんは、とにかく相手のことを理解したい欲求の強い人だったと思います。
特に、相手のレスポンスをとても気にした。
「今の話どう思いましたか?」と同席した人や、対談中のお茶汲みの方にまで問いかけたそうです。
面談編でも分かる通りまずは相手の話を聞くことを意識されていました。
自分の考えも分かってほしい、だから相手のことも分かりたいと思っていたのでしょうね。

5.とにかく笑顔で、悲愴感を感じさせないところ

「必死なのはいいけど、悲愴感はいやだ」と、ほぼ日でおっしゃっていました。どんなに忙しくても、自分の心に余白を持ちたい、ということかと思います。
イコールそれは、「物事や人に自分の感情を左右されたくない」、「自分の機嫌は自分でコントールしたい」というとても成熟した考え方です。

6.言葉を尽くすところ

私は岩田さんの「言葉や数字」に厳密なところが特に好きです。
誤解なく相手に伝わってほしい、という気持ちが言葉の選び方からとてもよくわかります。
そして言葉だけでなく、話し方の抑揚、接続詞(ですから、さらに、など)が正しいタイミングで入るので、聴いていて本当に安心できる。
丁寧なのがとても素敵。

7.どう見られているかを常に意識しているところ

岩田さんは任天堂のセカンドパーティであるHAL研究所から、山内社長のヘッドハンティングで任天堂に入社されます。入社後すぐに経営企画室長になり、2年後には社長に。数年でガラッと環境が変わり、周りの見る目が変化していく様子も感じ取っていた。

だからこそ目の前の相手が「社長としての岩田」と「人間としての岩田」どちらに話しているのか、そしてその評価を混ぜないように気を付けていた。

ですから周囲の人たちにも「自分がイヤなふうに変わったら、すぐに言ってください」っていつも言っているんです。

ダイヤモンド社
ゲーム業界の歩き方

肩書きによって自分が変わっていくこと、今風にいうと「老害化」していくことに抵抗があったのだと思います。
自分に対する目も、岩田さんは厳しい方だったのでしょう。
(少々厳しすぎたんじゃないかとも思ってしまいますが…)

8.優しい目

目が優しいですよね、奥二重です。

9.少し高めの声

岩田さんは割と声が高めです。
見た感じ、体が大きくて低くて渋めの声なイメージなのですが、
高くて軽やかで、楽器でいうとクラリネットのような、聞き取りやすい素敵なお声です。

10.最後までやるべきことをやり続けたところ

最期とは書きたくないので最後とします。
病院から仕事に向かうことも、また病院のベットで仕事をすることもあったとか。病気の治療に関しても、分厚い医学書を持ち込んで主治医と議論を重ねていたそうです。

岩田さんは、最後まで病気と向き合い
その日、その瞬間、できることをする」。
岩田さんは最後まで、やれることをして成すべきことをされたと思います。

岩田さんが亡くなられて2025年で10年が経ちましたが、岩田さんの存在はこれからもずっと私たちの中で力強く生き続けます。
何年経っても、悩んだり落ち込んだ時に立ち返るのは岩田さんの言葉です。2026年も、引き続きnoteを書いて行けたらと思っています!