ここ数日のこと【長文注意】
みゆです。
ここ5日ほどnoteをお休みしていました。なんだかとても間が空いたようなお久しぶりな感じがします。その間、noteを開く事はしていました。頂いたコメントのお返しをしたり、タイムラインに出てきたフォロワーさんの記事で気になるものを少し読んだりはしていました。
こんなに長く読む事も書く事もしないというのは、noteを始めた頃以来かもしれません。
その間、私は何をしていたのかというとですね。
実は、実家の母が亡くなりまして、それでなんやかんやとバタバタしていたんです。
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先日、私はこんな記事を書いていました。
実家に行った訳なのですが、今日はもともと行くつもりだったんです。でも、金曜日くらいに父から電話があったんです。母がどうしても私に会いたいと言っているから来てくれないかと。
病人にそんな事を言われてしまうと、なんかいやんって思うのは私だけでしょうか。虫の知らせ、みたいな?
実際、いつどうなるか分かりませんしね。
父がきつそうなのが気になります。父も若くないから、看病するのは大変な事です。ケアマネさんに相談してみた方がいいのかなぁ。
必要な物を買いに行ったり、簡単なお料理作ったりしてきました。
帰る時、母が「また来てね」って私の目をじっと見て言うんです。少し目を潤ませながら。その顔を見ちゃったら、もう何も言えなくなったけど。でも、明るく「また来るからね」って言うのが精一杯。もっと何か気の利いた事を言えればいいんだけど、そう言う時の言葉って出てこないのです。
こんな事を書いていましたが、この時本当は「もう会えないんだろうなぁ」ってちょっと思っていたんです。
だけど、父も本当にキツそうだったんで、弟とも相談して母を1週間でも入院させて、ゆっくりしてもらうように話をしようという事になりました。
その話を28日にしに行く事にしました。
でも、27日に父から電話で「昨日の昼から何も食べていないから、もうどうなるか分からない」と言われてました。
28日、いつもは午後から行くのですが、この日は他に少し距離のある所で用があったので、10時半過ぎには家を出ました。
実家に着くと、母は苦しそうでじっと目を閉じています。
時折痛がっていて、父が身体をさすってあげていました。夜中に先生が来て下さり、やっと尿を取るための管を付けたようでした(今までは嫌がって付けさせなかったのです)痛み止めの注射も2本打っても効かないようで、少しして看護師さんが来てくれました。
座薬の痛み止めを入れる事になったのですが、その薬ですぅっと意識がなくなるかもと言われました。けれども、痛みを取ってあげたかったので了承して座薬を入れてもらいました。
そこへ叔母(父の妹)も駆けつけてきました。
母は薬が効くまで痛がっていたので、私も手を握ったり身体をさすったりしてあげました。急に容態が悪くなったのもあり、こんな事をしたのは恥ずかしい話ですが初めての事でした。それからしばらくそのままそこにいました。
私は用があったので一旦帰る事にして、ついでに叔母を駅まで送り、その足で車を走らせました。目的地まで4~5kmの所で前日の晩に食べたきりで何も食べていなかったのでマックに寄りました。結局全部食べきれなくて、ポテトとアイスコーヒーを片手に車に戻ったら電話が掛かりました。
電話は父からで「もう息をしていない」と言います。でも、実家を出てからまだ1時間もたっていないんです。至急戻る事にして、夫にも電話を入れました。声が震えて、どもってしまい上手く言えなかったけど、なんとか電話をする事ができました。
エンジンを掛けた頃、夫から電話があり「慌てずに、事故を起こさないようにゆっくり走るように」と言われてしまいました。
実家に着くと、看護師さんがきれいにお化粧してくれていました。きれいに身体も洗ってくれたそうです。さっきまで息をしていたのに、もう息をしていないのは不思議な感じがしましたが、お化粧のおかげか痛みが無いからか優しい顔になっていました。触ってもまだ温かくて柔らかくもありました。
私は最後の時には間に合いませんでしたが、弟も駆けつけていて、弟は最後の時も一緒にいてくれたそうです。しばらくして叔母もまた来てくれました。
息を引き取る前になぜか親族大集合のような、母も逝く前にみんなに会えて良かったねという話になりました。
葬儀屋さんが来るまでの間に話をしている時、だれも泣いていなくて、むしろ笑っていたのが印象的でした。もちろん悲しくない訳ではないけど、ほっとした気持ちが大きかったのかなぁと。
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友引の関係で、30日に通夜・31日に葬儀という事になりました。
通夜の席で私は泣きませんでした。
というよりも、亡くなってからずっと1滴の涙も流していませんでした。もちろん悲しくない訳ではありません。うちの娘達はすごく泣いていたというのに。次女には「部屋でこっそり泣いてるのかと思ってたのに」と言われてしまいましたけど。
実家でも、葬儀場に連れてきてもらってからも、時折話しかけたりはしました。本当に眠っているようで、今にも目を覚ましそうでした。
話し掛けている時でも、やっぱり泣きませんでした。
夫と娘達、弟の奥さんと甥はホテルに泊まるという事で、葬儀場には父と弟と叔母と私の4人で泊まりました。近くのお店にシュワシュワした飲み物やつまみを買いに行き、少し飲みながら話をしていました。
みなの近況報告などもしつつ、叔母も父もおしゃべりなのですごく賑やかでした。そんな時、父はぼそりとこう言いました。
「母ちゃんには苦労掛けたなぁ。大阪から姉妹も友達も誰もいない所に連れてきたし。ほんと、苦労掛けた」
母は両親を10代の頃に亡くしていて、それ以来親しい身寄りは姉と妹しかいなかったそうなのです。それなのに、都会から姉妹も友達も誰もいない九州の田舎に戻った事を気の毒に思っていたようなんです。しかも、時代なのか親兄弟や親戚は都会の人の母には厳しかったらしいですしね。
いつも私は夜更かしなんですが、朝が早いので12時過ぎには寝る事にしました。なんでも朝食が7時過ぎに来るそうで!!
でも、ベッドのマットレスは堅すぎるし、乾燥しているのかすごく喉が渇いてお水を飲みに行ったり、両足がつりかけたりであまり眠れませんでした。そういえば、自宅のベッドはトゥルースリーパーを敷いていますが、普段の眠りに貢献しているのかもなぁなんて思ってしまいました。
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通夜には、いとこや私の嫁ぎ先からも来て下さいましたが、葬儀は本当に身内だけで行いました。
色々な事を思い出したりもしましたが、やっぱり涙は出ませんでした。
なんとなく「人生には満足したからもういいよ。みゆは自分の人生を生きなさい」なんて声が聞こえたような気がしました。
でも、ピアノとサックスの生演奏で「川の流れのように」が流れると、やっと涙がちょっとだけ出ました。母はひばりさんが好きだったんです。
そして、スタッフ控室から缶ビールの開く音がしたんです。
スタッフさんがグラスに注いだビールを持ってくると、これを飲ませてあげて下さいと言います。
末期の水に使う葉っぱ(シキミかな?)で一人ずつビールを飲ませてあげました。母はビールが好きでしたから、最後までビールが飲めて嬉しかった事でしょう。その時は、ちょっと泣けました。みんな泣いてました。
缶に残ったビールを紙コップに入れて、ラップと輪ゴムで蓋をし枕元に置いて下さいました。葬儀でビールを飲ませるなんて初めてで、ちょっと笑えました。
後は、お花で飾ってあげて、出棺です。
火葬場でお別れしました。
本当にこれで形あるものとしては最後です。
お昼を食べてしばらくして、骨になった母と会いました。
みんなで骨を納めました。
なんとなく、これでいいんだねってそう思いました。深い意味はないんだけれど。
お寺に行き、初七日までやってきました。
やっぱりお寺の住職さんはお話がお上手ですね。
実家に戻り、しばらくして帰宅しました。
数日は弟が泊ってくれるので、その間に諸手続きを済ませるんだそうです。
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とりあえず、一段落しました。
まだ、なんとなく疲れているというか、だるいし、変な感じです。
一通り終わったんだけれど、まだ実感がないんです。
「あ、みゆ?」って電話が掛かりそうで。
そして、実家に行くと「お父さんがうんたらかんたら」って愚痴を聞かされそうで。
正直、母は面倒な気質を持った人ではあったんです。実家にいた頃は何とも思わなかったけど、離れてみるといろいろ呪縛もあったのかなと思ったりもします。それこそ、何回か記事にしているけれどインナーチャイルドレベルで。だから、実家を出てからはちょっと自分の中で塩対応になっていた部分もあるんですよね。
亡くなった日は、もう直接言葉を交わしたりはしていないんです。
元気な状態で会った最後は、上の方の記事にしたあの時。あの時「また来てね」って言った時の顔が正直忘れられません。
あの日、頼まれて買っていった薄手のパジャマをすごく気に入ってくれて、2日後くらいに電話が掛かってきて話したんです。
「先生も看護師さんも褒めてくれたよ。写真も撮ってくれた」
「あら、そうね。良かったね。また買っていくね」
なんて話をしたのが、ちゃんと話をした最後。
後悔があるとか、悲しくてたまらないとかそういうのはないんですけど。
ただ、私がもう少し近くに住んでいたり、同居じゃなければもう少し色々交流できたのかなという思いはあります。近ければ近いで何か別の問題があったかもしれませんけれど。
だけど、それはタラレバで、実際の所は誰にも分かりません。
長くなりましたが、ここ数日の事を書いてみました。
特に需要はないかと思いますが、自分の心の整理をするために書きました。
「更年期宣言祭り2023」を前に、私は中の人のお仕事ができませんでした。快く代わって下さった幸年吉日サークルのみなさんに心から感謝しています。ありがとうございます。
しばらくnoteから離れて、もう書くのは嫌になるかなと思いましたが、そんな事はありませんでした。やっぱり私は、書く事が大好きのようです。これからもマイペースで書く事を続けていきますので、みなさんも変わらず仲良くして下さいね。
⭐ 母の事を書いた思い出話
今日も最後まで読んで下さってありがとうございます♪
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