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【沖縄の地図合わせ】第1回「沖縄に基地が多いのは、場所のせい?」

【お知らせ】9月15日まで、本編は無料で読めます
9月13日の沖縄県知事選に合わせて、9月15日まで、この連載の本編を無料で公開しています。有料なのは後書き(300円)だけです。9月16日からは全文有料に戻します。経緯はこちらに書きました 

「沖縄に、米軍基地があるのは仕方なくない?」

東京の友人にそう言われたとき、私はうまく返せませんでした。相手に悪気はない。むしろ気遣いだったと思います。それでも、小さな引っかかりが残りました。

沖縄で生まれ育った私が、この連載では「沖縄の話が、なぜか噛み合わない」仕組みを、歴史をたどりながら少しずつほどいていきます。第1回は、いちばんよく聞くこの言葉から。「沖縄に基地が多いのは、場所のせいだから仕方ない」。先に言ってしまうと、今回の答えは「半分だけ、本当」。

残りの半分は何なのか、順番に見ていきましょう。


まず、「場所のせい」のもっともな部分からです。

政府の公式な説明があります。防衛白書によると、沖縄は朝鮮半島や台湾海峡といった緊張をはらむ地域に近く、同時に、緊張を高めすぎない距離がある。南西諸島のほぼ真ん中で、日本の貿易を支える海上輸送路にも隣り合っている。だから、動きの速い海兵隊がここにいることが抑止力になる——これが政府の整理です。

筋は通っています。基地の場所に地理が関係ないはずはなく、「場所のせい」はデタラメではないのです。

ただ、この説明では答えられない問いがあります。基地は最初から、こんなに沖縄に集まっていたのでしょうか。

数字から確かめます。米軍だけが使う「専用施設」の面積でみると、全国の約70%が沖縄にあります。沖縄県だけの数字ではなく、防衛白書にも同じ数字が載っています。県の面積の約8%、人口の9割以上が暮らす沖縄本島では、約15%が基地です。

ここでひとつ、この連載の約束ごとを。「7割」と書くときは、この「専用施設の面積」の話です。数え方を変えた別の数字もあり、それは先の回でちゃんとやります。


さて、巻き戻します。

沖縄の基地づくりは、1945年4月、沖縄戦のさなかに米軍が上陸したところから始まります。戦後も占領は続き、中国の成立や朝鮮戦争を受けて、建設はさらに進みました。家や畑が強制的に取り上げられることもあった——ここまでは、沖縄県の公式な説明にある通りです。

ひとつ、風景の話を。本土の方にも観光地としておなじみの、北谷町。 アメリカンビレッジのあるあの町の戦後は、村の全域が基地に接収されたところから始まっています。帰る場所を失った人たちの多くは、謝苅(じゃーがる)などの丘に移り住みました。 私はふだん、あのあたりを車で通ります。くねくねした急な坂道に家がびっしり建っていて、最初は「すごいところに家が建っているな」と思っただけでした。それが接収の続きの風景だと知ったとき、なんとも複雑な気持ちになりました。

いま海辺にある観光の賑わいは、基地の返還と埋め立てのあとに生まれたものです(なので、古い建物はないはずです)。


話を戻します。1952年、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を回復します。 ただし、沖縄は別でした。日本から切り離され、アメリカの統治下に残ります。1972年の復帰まで、27年間。ここ、あとで効いてくるので覚えておいてください。

今度は、本土に目を移します。実はこのころ、米軍基地は本土にこそ大量にありました。1955年ごろは、米軍施設の9割近くが本土で、沖縄は1割ほどだったという指摘があります。いま沖縄に集中している海兵隊も、もともと岐阜や山梨(北富士)などにいた本土の部隊です。

その岐阜や北富士で、当時なにが起きていたか。地元紙が報じたものとして、米兵による撲殺事件や、演習場の不発弾で子どもが亡くなる事故が伝えられています。住民は反対の声を上げました。当然だったと思います。自分の土地でそんなことが続けば、誰だって嫌だと言う。

そして、その「嫌だ」は——通りました。


海兵隊は、1950年代半ばに沖縄へ移ります。米政府が移駐を決めたのは1954年、実際に移ったのは1956年とされます。本土側で高まった反基地感情が要因のひとつといわれる、と沖縄タイムスは整理しています。一方で、米軍の世界的な再編が大きかったとする研究もあり、要因の重みづけには議論があります。

ただ、どちらの説明でも動かない事実が、ひとつ。 移す先に選ばれたのが、沖縄だったことです。なぜ沖縄なら動かせたのか。さっきの「覚えておいてください」が、ここで効いてきます。当時の沖縄は、日本の主権の外にありました。日本の世論も、国会も、選挙も届かない。本土で起きたような政治の摩擦が、起きようのない場所でした。沖縄県のパンフレットも、本土の基地の整理縮小の流れの中で海兵隊の沖縄移転が進んだ、という趣旨の説明をしています。

「当時の日本に、アメリカへ口出しする力なんてなかったのでは?」という声もあるかもしれません。半分は、その通りです。ただ、本土の住民の「嫌だ」は、結果として通っています。通らなかった場所が、ひとつだけあった。「仕方なかった」が、誰にとっての仕方なさだったのか。そこは見ておく必要があります。

ちなみに同じ時代、神奈川・横須賀の海軍は動いていません。動いたのは海兵隊。この違いも連載の先で効いてくるので、頭の隅に置いてください。


復帰後はどうなったか。本土では整理縮小がさらに進む一方、沖縄の基地の多くは日米安全保障条約にもとづく施設として引き継がれました。本土が減り、沖縄が残る。「7割」には、沖縄が増えた変化だけでなく、本土が減った変化も入っているわけです。

整理します。「場所が良いから集まった」は、半分。残りの半分は、「動かしやすい場所へ、動かした」という歴史です。どちらも本当で、ただ、語られる頻度がまったく違います。

ここで、「でも、今の中国を考えれば、必要なものは必要では?」と思った方も、きっといます。もっともな問いです。ただ、この記事はその問いに答えていません。必要だと考える人とも、この経緯の話は両立します。むしろ、日本のために必要だと考える人にとってこそ、「では、なぜ国土の0.6%にその7割が置かれ続けるのか」は、自分の問いとして残るはずです。必要かどうかは、連載の先で、まるごと一回つかってやります。


さて、ここからが、今回いちばん伝えたいことです。

「場所的に仕方ないよね」と言われたとき、沖縄の側に生まれる引っかかりの正体は、間違いを指摘したい気持ちではありません。その一言が、「動かされてきた」という経緯をまるごと消してしまうように聞こえる。そこなんです。

「仕方ない」は、地理の話です。でも沖縄の基地は、地理だけでできていません。誰かが決めて、動かして、動かせる場所があったから、いまの形になった。その部分が「仕方ない」に吸い込まれて見えなくなる。だから、悪気のない一言の前で、うまく返せない沈黙が生まれます。

(念のため。この経緯を知らなかったとしても、あなたのせいではありません。教科書で大きく扱われる話ではないし、私の体感でも、本土ではほとんど知られていません。知らされてこなかった話を知らないのは、当たり前のことです。私もある年齢までは知りませんでした)

だからこの連載は、誰かを責めるためではなく、地図を合わせるために書きます。同じ景色を見たうえで、賛成か反対かは、それぞれでいい。まずは、同じ地図を。

ひとことでまとめると——沖縄に基地が多いのは、「場所が良かったから」が半分、「動かしやすい場所へ動かした歴史があるから」が半分。そして後ろの半分は、ほとんど語られてきませんでした。

【今回の視座メモ】

本土側の通念: 沖縄に基地が多いのは、地理的な必然。
沖縄側の受け取り: その説明は、移されてきた経緯を消すように聞こえる。 分岐点になった歴史: 1950年代の本土から沖縄への海兵隊移駐と、それを可能にした「日本ではなかった27年」。

→次回は、その「日本ではなかった」の手前。そもそも沖縄が「日本になった」のはいつなのか。「沖縄って、ずっと日本だよね?」という素朴な問いから、首里城へ巻き戻します。

この連載は、沖縄島で生まれ育った私個人の視座から書いています。ひとくちに「沖縄」と言っても本当は多義的で、私自身も学びながら書いています。

読んで良かったと思っていただけたら、SNSでそっとシェアしてもらえると嬉しいです。同じことを考えている誰かに届くことを願って。

この連載のハッシュタグは「#沖縄の地図合わせ」です。

筆者について:沖縄でメディアリテラシー講師をしています。事件や報道、論争を「どっちが悪いか」ではなく、構造で読み解く記事を書いています。
より深い分析はメンバーシップで。月980円から、知事選をめぐる報道の読み方も書いています。

出典

沖縄の米軍基地(べいぐんきち) 沖縄県公式ホームページ
https://www.pref.okinawa.jp/kyoiku/kodomo/1002657/1002668.html

数字で見る沖縄の米軍基地 沖縄県知事公室基地対策課 https://www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/017/291/r2_urahyosi.pdf

沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book 令和5年版 沖縄県知事公室基地対策課 https://www.pref.okinawa.lg.jp/heiwakichi/kichi/1017290/1017292.html

平成29年版防衛白書 4 沖縄における在日米軍の駐留 防衛省 http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2017/html/n2434000.html

令和5年版防衛白書 3 在日米軍の駐留に関する取組 防衛省 http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2023/html/n320503000.html

北谷町と米軍基地 北谷町公式ホームページ https://www.chatan.jp/smph/seikatsuguide/beigunkichi/chatanbeigun/chatanchotokichi.html

北谷町移動展 沖縄県公文書館
https://www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/925

北谷町における戦災の状況(沖縄県) 総務省・一般戦災死没者の追悼
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/okinawa_08.html

本土から姿消した海兵隊 沖縄集中の歴史をたどる 沖縄タイムス+プラス
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/4719

"本土の反対運動を懸念し沖縄に海兵隊移転"は本当?
https://japan-indepth.jp/?p=42307

極東米軍再編と海兵隊の沖縄移転(山本章子) 国際安全保障
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaianzenhosho/43/2/43_76/_pdf/-char/ja

岐阜・山梨の米軍基地は、なぜ撤退して沖縄に集められたのか 現代ビジネス
https://gendai.media/articles/-/59112

在日米海兵隊そもそもなぜ沖縄に? 新外交イニシアティブ
 https://www.nd-initiative.org/contents/5084/

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