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紡ぐ想い、夜に溶ける

【はじめに】

この物語は、「もう一度、あなたに恋をする。」の続きです。




人は誰かを愛するとき、恐怖と勇気を同時に抱くものだと思う。
触れられることへの怖さ、
拒絶されることへの不安、
それでも愛する人に全てを委ねたいという願い。
矛盾した感情が、胸の中で渦巻いている。


この物語は、私が長い間抱えてきた恐怖を乗り越えて、初めて愛する人と結ばれる夜の記録。
痛みは、確かにあった。
でも、それ以上に温かいものがあった。
優しさがあった。

そして、愛があった。


これは、私が自分を愛せるようになるまでの、一つの通過点の物語。
始まりの物語。長い旅の、最初の一歩。




鏡の前に立って、私は自分の身体を見つめていた。
ガリガリの腕、浮き出た鎖骨、小さすぎる胸。母の声が、頭の中で響く。

「そんな身体は、男性は嫌う」
「そんな身体じゃ、子どもも産めない」
「あなたを産んだこと、後悔してる」

何度も、何度も聞かされた言葉。
その言葉が、私の心に深く刻まれている。


私は、目を閉じた。
明日、デート。彼と、二人で。
映画を見て、カフェでお茶をして、街を歩く。いつも通りの、穏やかな時間。

でも、もしも。
もしも、彼が「家、来る?」
そう聞いてくれたら。
私は、勇気を出して「行きたい」
そう、言おう。今日、そう決めた。


ベッドに横になっても、なかなか眠れなかった。
心臓が、ずっと早鐘を打っていた。
怖い。すごく怖い。
でも、彼のことが好きだから。
明日。明日こそ、勇気を出そう。

そう自分に言い聞かせながら、私はようやく眠りについた。




目が覚めたとき、心臓がまだ早鐘を打っていた。
今日、もしかしたら。
クローゼットを開けて、何度も何度も服を選び直した。
どれがいい?彼は、何が好き?
白いブラウスは清潔感があるけれど、地味すぎるだろうか。
黒いワンピースは大人っぽいけれど、重すぎるだろうか。
結局、いつも着ている淡いベージュのワンピースを選んだ。

彼が「似合ってるね」と言ってくれた服。


鏡の前で、何度も髪を直した。
メイクも、いつもより丁寧に。
でも、やりすぎないように。
彼は、ナチュラルな方が好きだと言ってくれたから。
時計を見ると、まだ出発まで1時間もある。
早すぎた。
でも、もう家にいても落ち着かない。
私は、少し早めに家を出ることにした。


駅に向かう道を歩きながら、私はずっと考えていた。
もしも、彼が「家、来る?」と聞いてくれたら。
私は、ちゃんと「行きたい」と言えるだろうか。
心臓が、うるさい。手のひらに、じっとりと汗が滲む。
怖い。すごく怖い。
でも、彼と一緒なら。きっと、大丈夫。そう、自分に言い聞かせた。




彼は、いつも通り優しかった。
待ち合わせ場所に着くと、彼はもう来ていて、私を見つけると笑顔で手を振ってくれた。
「おはよう」「おはよう」いつも通りの挨拶。

でも、今日の私は、いつもと違う。

心臓が、ずっと早鐘を打っている。


映画館に向かう道を、二人で歩いた。
彼が、時々私の手を握ってくれる。
温かい。彼の手は、いつも温かい。
その温もりが、少しだけ私の緊張を和らげてくれた。
映画は、恋愛ものだった。
スクリーンの中で、二人が抱き合うシーンを見ながら、私は別のことを考えていた。

彼は私の身体を見て、がっかりしないだろうか。


映画が終わって、カフェに入った。
彼は、いつものようにコーヒーを。
私は、紅茶。
二人で、映画の感想を話した。

「良かったね」
「うん、すごく良かった」

でも、私の頭の中は、ずっと別のことでいっぱいだった。
今日、勇気を出そう。
今日こそ、彼に全てを委ねよう。




午後は、街を歩いた。
ショーウィンドウを眺めたり、本屋に立ち寄ったり。
何気ない、穏やかな時間。
彼は、いつも通り優しくて、私の話をちゃんと聞いてくれる。
私が気になった本を手に取ると、彼も一緒に見てくれる。

「これ、面白そうだね」
「うん、読んでみたい」

そんな、何気ない会話。
でも、その全てが、愛おしかった。

公園のベンチに座って、少し休憩した。
彼が、自動販売機で飲み物を買ってきてくれる。
温かい缶コーヒーが、冷えた手を温めてくれた。
彼が、隣に座って、空を見上げている。
横顔が、綺麗だった。
私は、ずっと彼の横顔を見ていた。
なんだか切なくて、涙が出そうになる。

夕方になって、少し冷えてきた。
彼が、自分のジャケットを私に掛けてくれた。彼の匂いが、包み込んでくれる。
温かい。優しい。
こんなに優しい彼なら、きっと大丈夫。そう思えた。




日が暮れて、駅に向かった。

もうすぐ、別れの時間。
いつもなら、ここで「また」と言って、それぞれの家に帰る。

でも、今日は。今日は、違う。
私は、勇気を出すと決めた。
心臓が、破裂しそうなくらい速く打っている。手のひらが、汗で湿っている。


駅の改札前で、彼が立ち止まった。
「今日、ありがとう」
彼が、優しく笑った。
「こちらこそ」
彼が、私の頭を撫でてくれる。
いつもなら、ここで「じゃあ、また」と言って、別れる。

でも、今日は。


「あの」

私は、勇気を振り絞った。
声が、震えている。
「ん?」
彼が、優しく私を見てくれる。
その目が、温かい。
「あなたの、家」
私の声が、小さすぎて、聞こえないかもしれない。
でも、彼は、ちゃんと聞いてくれていた。

「行きたい」

私は、もう一度言った。
今度は、少しだけ大きな声で。
彼が、驚いたように目を見開いた。
そして、少し考えるように黙った。
その沈黙が、とても長く感じられた。
もしかして、嫌だったかな。
迷惑だったかな。
そんな不安が、胸を締め付ける。

「……本当に?」

彼が、優しく聞いてくれた。
私は、頷いた。

「本当に」

彼が、少し安心したように微笑んだ。

「わかった。じゃあ、行こう」

彼が、私の手を握ってくれた。
その手が、温かくて。
私は、少しだけ安心した。




「座って」

彼が、ソファを勧めてくれた。

「お茶、淹れるね」
「ありがとう」

私は、座って、深呼吸した。
心臓が、まだうるさい。怖い。
でも、彼と一緒なら。きっと、大丈夫。
そう、自分に言い聞かせた。

彼が、キッチンでお茶を淹れている音が聞こえる。
カップを取り出す音、お湯を注ぐ音。
その音が、少しだけ私を落ち着かせてくれた。彼の部屋。
彼が、毎日過ごしている場所。
ここに、私がいる。
その事実が、不思議だった。
そして、嬉しかった。

「はい」

彼が、お茶を渡してくれた。

「ありがとう」

温かいお茶が、冷えた手を温めてくれた。
彼も、隣に座って、お茶を飲んでいる。
沈黙。
でも、居心地の悪い沈黙じゃなかった。
穏やかな、優しい沈黙。
彼といると、いつもこうだった。
沈黙も、心地よかった。


お茶を飲み終わって、彼が私の隣に座り直した。
少しだけ、距離が近くなる。
心臓が、また早鐘を打ち始める。

緊張しすぎて固まった私を見て
彼は私の手を取った。

「怖かったら言って。無理はしないから」

その瞬間、胸の奥に積もっていた怖れがほどけた。
拒まれるかも。
嫌われるかも。
そんな恐怖がいつもつきまとっていたから。

でも、今。
彼に触れているだけで、その全部が少しずつ溶けていった。

私は伝えたいことを口にした。

「触れられるの、本当はまだ怖い。
嫌われたくないって思ったら、余計に怖くなる。私、痩せすぎてて、全然きれいじゃないし」

震えながら言うと、
彼はほんの一瞬だけ目を伏せて、

「嫌いになんてなるわけないだろ。
俺からしたら、痩せてるとか、そんなの理由にならない。
俺は、君がいいんだよ」

その言葉を聞いた瞬間、
心のどこかでずっと閉じていた扉が、
ゆっくり音を立てて開いたのがわかった。

怖いけれど、逃げたくはなかった。

彼の指先が私の身体の線をたどるように触れた。
その触れ方があまりに慎重で、
あまりにも愛しくて、
不思議ともう何も怖くなかった。

結ばれた瞬間、
彼は何度も私の名前を、
まるで抱きしめるかのように呼んでくれた。

私はずっと、
ありのままの自分は誰にも触れられない
そう思い込んでいた。

でもあの夜、
彼が私を抱いたのは、
細さでも、心の傷でも、過去でもなく。

私そのものだった。

だからあの夜の私は、
泣きながら笑っていた。

泣くほど嬉しくて。
笑うほど切なくて。
やっと心がほどけていった。

こんな夜があるなんて知らなかった。

こんなふうに愛されるなんて、
想像もできなかった。

彼の腕の中で眠りにつく瞬間、
私は初めて、
ここで生きていていいんだと
そう思えた。




                   完


後書き

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


初めての夜は、痛みを伴うものだと聞いていた。それは、誰にとっても同じ。
でも、愛する人と共に過ごすその時間は、
痛みだけではなかった。
温もりがあった。
優しさがあった。

そして、何より愛があった。

この夜を境に、少しずつ自分を愛せるようになっていく。
彼の「綺麗だ」という言葉が、
彼の優しい手が、
彼の温かい抱擁が、心を少しずつ溶かしていく。
長い間、母親の言葉に縛られていた私が、
自分を受け入れることができた。

私は、この夜を決して忘れない。
初めて誰かと繋がった夜。
初めて、自分を少しだけ好きになれた夜。
そして、初めて。

本当の意味で、愛された夜。





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