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境界線と罪悪感と、それでも自分を生きていく


自分を生きようとしてから、
避けて通れなくなったものがある。

それが、境界線を引くことと、
それに伴って湧き上がる罪悪感。

境界線を引くことが、
こんなにも苦しいものだとは知らなかった。

自分を守るためのはずなのに、
罪悪感や怖さがあとから追いかけてくる。

これは、そんな感情と向き合いながら、
それでも自分を生きていこうとする過程の記録です。



◻️境界線が必要だった

自分と向き合って、自己理解を進めていくなかで
過去の傷ついた経験や、その経験からくる考え方の癖があることにも直面してきた。

そんななか、わたしが生きづらいと感じてきた理由の多くは、
境界線が曖昧だったことにあるのではないかと思うようになった。


・相手の顔色を伺う。
・人に合わせすぎてしまう。
・断れずに自分を犠牲にしてしまう。
・本当は嫌だと思っていても、受け入れてしまう。


わたしは、そんなふうに生きてきたと思う。



その方が、その場では波風は立たないから。

でも、あとからどっと疲れる。

そして、そんな自分を責めてしまう。


でも、自己理解を深めてきたことにより
自分がどうしたいのか、どうありたいのか、
それを自分で考えて、選択して、決めて、
生きていきたいと思うようになった。


そうやって、自分を生きるため
自分が呼吸しやすいようにするため、
自分を消耗しないようにするためには、
境界線を引くことが必要になってくるのだと思う。




だけど、境界線を引こうとすると、
こんな苦しさが顔を出す。


「人を拒絶して、わたしは冷たい人間なんじゃないか」
「相手を傷つけているんじゃないか」
そんな罪悪感が胸に広がる。


「やっぱり、わたしが我慢すればよかったかもしれない」と、後悔に揺れてしまう。



◻️罪悪感の正体と「嫌われたくない」の本質

この罪悪感の正体は、
「相手を傷つけてしまったかも」という
相手を思っての優しさからの気持ちだけじゃない。


もっと奥にあるのは、恐怖だと思う。


嫌われたくない。
関係を壊したくない。
否定されたくない。
価値がないと思われたくない。


わたしの中には、そんな気持ちの数々が、
恐怖として根強く残っているんだと思う。


「嫌われる」という出来事の本質について、
わたしはよく考えてみることにした。


それは、わたしが境界線を引いたことにより、


相手にとっては、
今までのようにはいかなくなった。
思う通りにならなくなった。

それだけのことなのかもしれない。


さらに深掘りすると、
境界線がある(相手の思う通りにならない)ことで、
相手から見て、わたしという存在の価値が低くなり
壊れるような関係だったのだとしたら、

それは、そもそも境界線がないことを前提に
成立していた関係
だったとも言える。



それでも、わたしはそれを
「嫌われた」「拒絶された」と受け取ってしまっていた。

これはわたしの過去の経験からの心の癖なんだと思う。



◻️怒られる・否定されるのが怖かった

「嫌われた」と捉えるのは、今のわたしが判断したのではなく、
過去のわたしの防衛本能なんだと思う。

「怒られる」
「否定される」
「何もできない存在として扱われる」


そんな言葉や態度を繰り返し受け取るたびに、

出来ない自分は愛されない。
役に立たない自分には価値がない。

そう思うようになったのだと思う。

だから、怒られないように。
否定されないように。
自分の気持ちは後回しに。
自己主張してはいけない。


それは、
わたしが生き延びるために身につけた生存戦略だった。


◻️もう罪悪感や恐怖を手放していい

境界線を引いたときに湧き上がる罪悪感や恐怖は、
「今の危険」を知らせるものではない。

「かつて危険だった記憶」から鳴る、
古い警報が知らせてくれているのだと思う。

でも、もう大丈夫。
境界線を引いても危険じゃない。



それでも湧き上がる罪悪感や恐怖を手放すために必要なのは、きっと、無理に過去の気持ちを消すことではない。

✔︎︎︎︎これは「過去の生存戦略」だと気づくこと。

✔︎︎︎︎今の自分には、もう同じやり方を使わなくても大丈夫なんだと、何度も確かめること。

傷だらけになりながらも、
長い間、自分を守って生きてきた過去のわたしに
「もう大丈夫だよ」と伝えられるのは、

今のわたしだけだから。




◻️自分を生きる

境界線を引いて、怖くなってもいい。
罪悪感が出てきてもいい。


大切なのは、
それでも、境界線を戻さずにいること。


その選択を重ねていくことでしか、
心は更新されていかないのだと思う。


きっと、わたしにはまだまだ練習が必要だ。


当たり前だけれど、
周りの人たちも、わたしのために生きているわけじゃない。


周りの人や他人にも、もちろん境界線がある。


だから、わたしも、
もう誰かのために生きなくていい。

境界線を引くたびに
「わたしは冷たい人間かもしれない」
という声が聞こえてくるかもしれない。


そのときは、
「生き延びる方法を更新しているだけだ」と、
心の中でつぶやいてみる。




いつまでたっても、不器用だけれど

やっとわたしは、
自分を生きはじめる一歩を踏み出した。




最後まで読んでくださりありがとうございました。




▼背負っていた役割を降ろす



▼境界線を引く練習をしている途中の、わたしなりの向き合い方




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紬羽(つむは)自己理解が趣味🌱 お読みいただきありがとうございます🕯 そのあたたかさが、また次のことばを灯す力、わたしの書く力になります。 これからも一緒に素敵なあかりを灯せたらうれしいです。

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