見出し画像

無条件の居場所へ向かう途中で


自分への自由を許すのが、まだ少し怖い。
自由になることに罪悪感を感じる。

自分と他人との境界線。
自分が自分らしくいられるために、
もう周りに怯えなくていいように、
少しずつ境界線を引けるようになってきていると思う。


でも、またいつ自分の境界線が崩れてしまうんじゃないかと、怯えてしまう自分がいる。
自由を許すのが怖い。


それはきっと
周りを優先している自分でなければ、
そのままの自分ではだめ、
役に立たなければ、いい人でいなければ…

そんな「条件付きの自分」でなければ、
わたしは愛されない、
必要とされない、
見捨てられてしまう。

そんな前提が、根強くあるから。


これは、
今まで誰にも守られなかったと感じているわたしが、
必死に身につけた生存戦略だった。


条件付きの居場所で、生きてきた。
条件付きでなければ、
安定しなかった、愛されなかった環境で生きてきた。

そんななかで、
条件付きの自分はそっと置いて、手放して、
条件なしの自分でいられる居場所へ、
向かってみようとしている道の途中にわたしはいる。


でも、
無条件で、そのままの自分で許されて、
怯えなくていい場所なんて、
簡単には見つからない。


条件付きの自分を手放した瞬間に、
無条件の居場所に簡単に移動出来るわけではない。


これまで自分を守ってくれていた、唯一の生存戦略だった「条件付きの鎧」を脱ぎはじめたのに、

そのままの自分で立てる場所を、
まだ、身体が知らない。


その宙ぶらりんで、無防備な感覚が
わたしに、さみしさや怖さを感じさせる。


けれど、
このさみしさ、怖さの正体は、
わたしの周りに人がいないからでも、
ひとりになるのが怖いからでもなくて。


自分をそのまま出していい、
安全な場所の経験が、
まだあまりに少ないからなのかもしれない。


つまり、
条件付きの居場所しか知らなかったわたしが、
ここまで必死に生きのびた、
唯一の生存戦略を手放すのが、怖いのだと思う。


そしてたぶん、そのさみしさの穴埋めを
誰かのなかに求めても、
本当の意味では、埋まらないものなのだと思う。


まずは、
誰かとつながる前に、
自分が自分と深くつながること。
そのままの自分を、信じていくこと。


そうすることで、わたしの心の奥が、
少しずつ、無条件の居場所を
信じられるようになるのだと思う。


わたしにとってそれは、
文章を書いたり、考えを言葉にすること、
静かに、穏やかに、
「やりたい」が湧いてくる自分だけのリズムの中で、
生きていくことなんだと思う。


無条件の居場所は、
きっと、いきなり見つかる場所じゃなくて。


自分とつながり直す時間を、
何度も何度も重ねた、その先に、
少しずつ、育っていく場所なのだと思う。



最後まで読んでくださりありがとうございました。






いいなと思ったら応援しよう!

紬羽(つむは)自己理解が趣味🌱 お読みいただきありがとうございます🕯 そのあたたかさが、また次のことばを灯す力、わたしの書く力になります。 これからも一緒に素敵なあかりを灯せたらうれしいです。

この記事が参加している募集