人に怯えながら生きてきた、わたしなりの境界線
ここ最近、
自分と他人の境界線について考えています。
前回、人との関係に必要な境界線と、
それによって湧いてくる罪悪感について
自分なりの気持ちを書きました。
今回は、
「じゃあ実際にわたしはどうやって境界線を引いて、
どんな姿勢で生きていくの?」
そんなことを考えてみました。
◻️ 人間関係は「怯える場所」
振り返ってみると、
わたしの人間関係のほとんどは、安心する場所ではなく、
「怯える場所」だった気がする。
気を張る。
身構える。
ちゃんとしようとする。
失礼がないか、嫌われないか、怒られないか。
そんなふうに、人と関わっていたから、
どこかでずっと緊張していたと思う。
それが普通だと思っていたし、
そうやって生きるものなんだと思っていた。
でも本当は、
ここまでずっと、わたしは
人に怯えながら生きてきたのだと気づく。
◻️ もう、人に怯えなくていい人生に
自己理解を進めていくなかで、
少しずつ気づくようになった。
わたしは、人と関わるとき
無意識に「危険な場所」に立っていたということ。
否定されるかもしれない。
怒られるかもしれない。
役に立たないと思われるかもしれない。
そんな前提で、
ずっと人と関わってきたのだと思う。
だけどもう、
人に怯えながら生きる人生は終わりにしたい。
きっと、そのために必要なのが、
「境界線」なんだと今は思う。
◻️ わたしなりの静かな境界線の引き方
境界線というと、
「断る」「主張する」「距離を取る」
そんなイメージを持っていた。
でも、わたしにとっての境界線は、
もう少し、静かなものかもしれない。
・なんとなく嫌だな、という小さな違和感
・あとからどっと疲れる感覚
・無理して笑っている自分
その「小さな声」を、聞き逃さないこと。
そして、
その違和感のところに、そっと線を置くこと。
大きな宣言でも、強い主張でもなく、
「ここから先は、無理しない」と
自分の中で決めること、
それがわたしなりの境界線。
◻️ 怖くなったら思い出す
境界線を引くと、
やっぱり怖くなるときがある。
嫌われたかもしれない。
冷たい人間だと思われたかもしれない。
関係が壊れるかもしれない。
そんな不安が、すぐに湧いてくる。
でも、そんなときはここで思い出す。
これは「今の危険」じゃない。
これは「過去の癖」だということ。
かつて、
怒られないように。
否定されないように。
愛されるために。
そうやって生き延びる必要があった、
過去の生存戦略が、
今も、自動で古い警報が鳴っているだけなのだと。
わたしはいま、
生存戦略を書き換えている最中なんだと思い出す。
◻️ 境界線を戻さずにいるという練習
境界線を引くことより、
実は難しいのは、
「戻さずにいること」かもしれない。
怖くなっても、
罪悪感が出てきても、
「やっぱりわたしが我慢しよう」と戻らないこと。
完璧にできなくていい。
怖がりながらでいい。
それでも、
わたしの静かな線を、
そっと守り続ける。
その積み重ねが、
心の立ち位置を、少しずつ変えていくのだと思う。
◻️ 少しずつ、人に怯えなくていい場所へ
たぶん、
人に怯えなくていい場所に、
一気にたどり着くことはできない。
嫌と思ったら、距離を取っていい。
無理なときは、無理って思っていい。
そんなふうに、
自分の声を聞き逃さずに、
境界線を引いて、
戻さずにいる。
その練習を重ねていくことで、
少しずつ、立つ場所が変わっていくはず。
安心できる場所は、頑張って作るものじゃなくて
きっと、境界線を引いたあと、自然に残るもの。
わたしはまだ、道の途中にいる。
それでも、
怯えながら生きる人生からは、
もう確実に、一歩、外に出始めている。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!
お読みいただきありがとうございます🕯
そのあたたかさが、また次のことばを灯す力、わたしの書く力になります。
これからも一緒に素敵なあかりを灯せたらうれしいです。