見出し画像

アウシュヴィッツに関するマットーニョの反論、その5:建設文書、F:火葬と同時の特別処置

今回取り扱う文書は、やや理解が難しいかもしれませんが、ビルケナウの大型絶滅施設であるクレマトリウムⅡ、Ⅲの実際の運用を考えた場合に、非常に重要な内容を示しています。

もし、ガス処刑作業と遺体の火葬処理作業が並行作業不可能だったとすればどうなるでしょうか? アウシュヴィッツ建設部からベルリンの経済管理本部に送られた書簡では、クレマトリウムⅡ、Ⅲではそれぞれ1日あたり1,440人の火葬処理が可能だったとしています。これは時間当たり・1マッフル当たり15分で遺体を火葬可能(複数遺体の同時火葬から導かれる計算上の一体あたりの火葬率であることに注意)として計算しています。

しかし、ガス処刑作業を行なっている間は火葬場を使えず、あるいは火葬作業を行なっている間はガス処刑を行えなかったとするならば、この効率を達成できないことになってしまいます。クレマトリウム全体の物理的機能として考えた場合、では一体何が問題になるのでしょう? それが今回扱う文書の内容になっています。アウシュヴィッツの親衛隊は、火葬処理とガス処刑作業を同時に並行して行い、効率を下げないことを第一としていたようです。

当然ですが、修正主義者は今回扱う文書をそのように読むことは許されません。その文書にはガス処刑とは書いておらず、「特別処置(Sonderbehandlung)」と書かれているので、修正主義者はその意味を別の意味だと説明することが可能ですし、そのように説明しないと「特別処置」がアウシュヴィッツでの殺害行為を意味することをも示してしまうからです。

では、マットーニョはどのような論述を行っているのか、その批判を通して見ていきましょう。

▼翻訳開始▼

アウシュヴィッツに関するマットーニョの反論、その5:建設文書、F:火葬と同時の特別処置

アウシュヴィッツに関するマットーニョの反論
第1部:屋内火葬
第2部:火葬場でのガス導入について
第3部:目撃者補足
第4部:ゾンダーコマンドの手書き文字
第5部:建設関係の書類
A:はじめに
B:換気・エレベータ
C:脱衣室
D:外開きドア&死体シュートの撤去
E: ガス探知機
F:火葬と同時の特別処置
G:ガス室

特別処置と同時進行の火葬(I)

1943年1月29日、AEGの技師トミチェクおよびアウシュヴィッツSS中央建設局の職員スヴォボダは、以下の結論を含む覚書を作成した。

「その結果として、1943年1月31日までに捕虜収容所内の第2クレマトリウムの設置および電力供給を完了することは不可能である。他の建設プロジェクト用に備蓄されている資材を使用することで、最も早くとも1943年2月15日までに運転可能な状態でクレマトリウムを完成させることができる。この運転は、使用可能な機械を限定的に使用することにより(同時に特別処置を伴う焼却が可能となる)、クレマトリウムへの主電源がその電力消費に耐えられないために限定されたものとなる。」

(ヴァン・ペルト報告書(日本語訳)、強調は引用者による;なお、ヴァン・ペルトは自身の著作においてこの覚書を誤解しており、「技師トミチェクがアウシュヴィッツ建設局に対して、仮設電力系統の能力では『特別処置』と火葬を同時に行うことはできないと警告した」としているが、この文書はまさにその逆を述べていることをカルロ・マットーニョが指摘している。)

マットーニョは、この文書における「特別処置」が犯罪的かつ不利な意味を持つという解釈に異議を唱えている。というのも、1943年1月29日の時点では死体地下室1(ガス室)の換気装置がまだ設置されていなかったからである。

要約すると、1943年1月29日時点で「使用可能」であった機械は以下の通りである:

・煙突の強制通風装置(Saugzug-Anlagen)3基、それぞれに625 D型送風機(Gebläse 625 D)が装備されており、3相380ボルト15馬力のモーターで作動
・クレマトリウム炉の圧縮空気装置(Druckluft-Anlagen)5基、それぞれに275 M型送風機(Gebläse Nr. 275 M)が装備されており、3相380ボルト3馬力、1420回転/分(n = 1420/Min. 380 Volt)のモーターで作動

一方で、計画されていたがまだ存在していなかった機械は以下の通りである:

・「B室」の換気・排気装置(Be- und Entlüftungsanlage):モーター2基、3相380ボルト、各2馬力
・炉室の排気装置(Entlüftungsanlage):モーター1基、3相380ボルト、3.5馬力
・解剖・安置・洗浄室(Sezier-, Aufbahrungs- u. Waschraum)の排気装置:モーター1基、3相380ボルト、1馬力
・「L室」の排気装置:モーター1基、3相380ボルト、5.5馬力
・「プレート式昇降機(Plateauaufzug)」

したがって、これらの未設置の機械が存在しなかったことにより、Leichenkeller 1(死体地下室1)を殺人用ガス室として使用することは不可能であった。しかしながら、たとえ既存の機械―すなわち強制通風装置および炉用送風機―の限定的な使用により「火葬と同時に特別処置」を行うことが可能であったとしても、この「特別処置」がLeichenkeller 1にあったとされる殺人用ガス室と無関係であることは明白であり、それどころかこの用語は該当する機械、特に火葬との密接な関係を示すものである。「特別処置」とは生存者に対する処置ではなく、死体に対する処置を意味していたのである。

(マットーニョ、ATCFS [2010]、p.196;彼はこの議論を90年代後半に展開し、2004年にも繰り返している)。

私はこの主張に対して、10年以上前にすでに反論している。場所は、現在は閉鎖され削除されたYuku運営のRODOH(Real Open Debate on the Holocaust)討論フォーラムである。

マットーニョは、1943年1月29日の時点で死体地下室1の換気装置がまだ設置されていなかったため、「使用可能な機械」には換気装置が含まれず、したがって「特別処置」は殺人ガス処理における換気の使用を指すものではないと主張している。しかし彼は、スヴォボダが「使用可能な機械」について言及している際、それが実際に1月29日を指していることを示すことに失敗している。別の解釈として、スヴォボダは2月15日の運転開始時点での「使用可能な機械」について述べていたと考えることもできる。この日には換気装置が設置される予定であった。したがって、マットーニョの結論には根拠がない[…]
クラウディア・ローテンバッハは、マットーニョは単にテキストを読んでいるだけであり、私はそこに何かを「読み込んで」いると主張している。しかし、「使用可能な機械」という語句は曖昧である。それは「現在使用可能な機械」とも「当時使用可能だった機械」とも明示しておらず、文面だけではその意味は決定できないため、解釈が必要である。

(2005年3月27日、RODOHスレッド「Die unglaublichen Geschichten des Carlo M.us R.」に投稿、オリジナルURL:http://rodohforum.yuku.com/topic/5322)

マットーニョは、この文書が書かれた1943年1月29日時点で使用可能であった機械のみを指していると考えていた。しかし、この覚書は、2月15日の運転開始時における電力供給について予測しているものである。したがって、AEGの技師とSS職員が2月15日時点で使用可能となるすべての機械を念頭に置いていたと考えるのは合理的である。というのも、実際に問題となるのはその日付における機器構成であり、1月29日時点のものではないからである。

同日付のトプフ社技師クルト・プリューファーの試験報告書によれば、死体地下室1(殺人ガス室)の換気装置は2月15日までに設置される予定であった。したがって、「特別処置」が殺人ガス室の運転を指していた可能性は十分にある。

2010年までにマットーニョはこの異議を認識するようになった。おそらく、RODOHでこの問題を扱ったスレッドに注意を引かれたことがきっかけであろう。また、「使用可能な機械」に関する問題はセルゲイ・ロマノフによっても指摘されており、それに対してマットーニョは2010年7月に反論を公表している。彼は同年の著書『アウシュヴィッツ──理性のための訴え(Auschwitz: The Case for Sanity, ATCFS)』でもこの問題に言及しているが、反修正主義的批判への直接の言及は慎重に避けている。

「完全を期すために、“使用可能な機械”という表現が、1943年1月29日に存在していた機器だけでなく、クレマトリウムの運転のために供給される全装備、すなわちこの建物に最終的に設置されるすべての機械――Leichenkeller 1および2、炉室、解剖室、安置・洗浄室の換気装置、ならびに貨物用エレベーターを含む――を指している可能性についても検討すべきである。この場合、すでに上で説明したように、火葬とLeichenkeller 1における仮定上の殺人ガス処理との間で電力使用の“重複”は発生しなかったことになる。」

(Mattogno, ATCFS. p. 199)

そして「上記の説明」である:

「…想定される殺人ガス処理とその後の火葬における電力需要の“重複”は、非合理的であると同時に完全に回避可能であった。なぜなら、この問題を回避するために必要な唯一の措置は、ガス処理の前に炉を予熱しておくことであり、そうすればガス室の換気が終了した後に炉をすぐ使用できたからである。」

(Mattogno, ATCFS. p. 194)

もし“特別処置”がガス室で行われていたと仮定すると、この覚書は火葬炉の送風機や強制通風装置と殺人用ガス室の換気装置の両方を同時に作動させても、ヒューズが飛んだり給電ケーブルが過熱したりしないことを示している。これは実務的な観点から重要な情報である。炉の送風機を起動してもガス室の換気が確実に止まっているかどうかを気にせずに済み、その逆も同様である。

さらに、火葬装置とガス室の換気を同時に使用できることは、絶滅(殺害)作業をより迅速かつ効率的、そして安全にした可能性がある。もしゾンダーコマンド囚人が死体を運び出し始めた時点で換気を止めなければならなかったなら、扉を開ける前に長時間換気を続ける必要があっただろう(短時間の曝露では無害なHCN濃度でも長時間曝露では有害となり、死体やツィクロンBの残留物からのHCNの放出、死体間に存在する換気不十分なガス溜まりを考慮すると)。そうでなければ、ゾンダーコマンド囚人や施設内の他の者にとってリスクが高まったはずである。一方で、換気を作業全体を通して継続できれば、扉を開ける前の換気時間を短縮できた可能性がある(短時間では無害でも長時間曝露で有害となるHCN濃度は時間経過とともに減少し、死体やツィクロンBの放出量も減り、強制換気によってより多くのガス溜まりに空気が届くようになるためである)。

また、換気を止めたまま死体や体液で満たされたガス室を放置すると、不快な臭気が室内に溜まり、極端な場合にはゾンダーコマンドが防毒マスクなしで作業できなくなる可能性があるほか、その臭気が他のクレマトリウム施設に漏れる恐れもあった。さらに、次の犠牲者の到着前にガス室の換気をして悪臭を除去する必要があったため、火葬もかなり早い段階で停止しなければならなかっただろう。

したがって、火葬と換気を同時にかつ一定の重複を持って稼働させることは、絶滅作業を最も効率的かつ安全に行うための必須ではないが望ましい機能であり、この技術的な重要性に加えて、もし特別処置がガス室地下で行われていたのであれば、スヴォボダが覚書でこの問題を取り上げた理由を説明することになる。

まとめると、マットーニョの主張とは異なり、この覚書における「特別処置」が第2クレマトリウム地下での殺人用ガス処理(換気の電力消費によって示される)を指している可能性は十分にある。次の段階としては、これが可能であるだけでなく、利用可能な証拠に照らして最も妥当であるかを検証する必要がある。

追記:ドイツ親衛隊の当時の史料に見る特別処置

先験的に「特別処置」というのは何でもありかもしれないが、文書の出所を考慮することですでに多くのことがわかる。このメモは、ヒムラー親衛隊の分派であるSS-WVHAに属するアウシュビッツ中央建設事務所のメンバーが執筆したものであった。

「特別処置」という言葉は、ドイツの準軍事組織や警察に拘束された人々に対して、明確に定義された意味を持っていたのである。1939年の開戦後、SS-RSHA(Reich Security Main Office(国家保安本部))の責任者ラインハルト・ハイドリヒは、超法規的処刑の官僚的プロセスをSonderbehandlung(特別処置)と名づけた。

誤解を解きたいので、次のことを知らせる。...これまでの通常の方法で終わらせることができる人と、特別処置が適用される人とを区別することである。後者の場合、その劣化、危険性、宣伝効果から、人を問わず、冷酷な手続き(すなわち死刑)で排除することが適切である状況を扱っているのである。

(1939年9月20日のハイドリヒの書簡英文

この言葉はすぐに超法規的処刑の代名詞、婉曲表現として定着した。

特別処置(執行)

特別処置は、原則として[office] IIA3が担当し、聖職者、神学者、聖書研究者に対する特別処置は、[office] IIB4が担当する。

(1939年9月26日、ラインホルト・ヘラー、NO-905、私訳)。

処刑は、収容所内や収容所近辺で行ってはならない。国境に近い総督府の収容所については、囚人を旧ソ連・ロシア領に送り、特別処置を受けさせるべきである。収容所の規律を維持するために処刑を行う必要がある場合、作戦司令部のリーダーは収容所司令官に連絡すること。特殊部隊は、実施された特別処置のリストを記録しなければならない。

連番
姓名、出生時刻、出生地、軍籍、職業
最後の居住者
特別処置の理由
特別処置の日および場所

(1941年7月17日規則、私訳)

特別処置首吊りによって行われる。

(1942年2月20日付ヒムラー、PS-3040

ヴィテプスクでは、397人のユダヤ人が民間人捕虜収容所を審査した後、ドイツ国防軍によって第9作戦コマンドに引き渡された。 裁定者シュトラウス大佐とブローブリュック少佐ともう一人の将校は、自分たちの希望で特別処置の間に立ち会った。特別処置は通常通り行われた。ブローブリュック少佐は、コマンドの軍人らしい態度を認め、「治安警察による清算のやり方は、間違いなく人間らしいやり方である」と述べた。

(1941年8月17日から23日の警察報告書、季刊現代史研究, 3, 2004, p. 537, 私訳)

etc.

「特別処置」という言葉が、どんな間違いも許されないような重大で繊細な意味を占めていたことから(「特別処置された人」が死刑になったが、実は一等独房に入るはずだったとする)、次のように推定することができるだろう。

a) ほとんどが殺人の意味で使われ、違う使い方は避けられたであろうこと、そして
b) それにもかかわらず、それが他の意味で使われていた場合、これは非常に明確であると予想される。

一方、ドイツの準軍事組織や警察の関係者が、処刑に関するものではないことを明確にせずに、拘束されている人々に対して「特別処置」という言葉を使っていたとしたら、それは人々の殺害を指していると考えるのが最も妥当であろう。

追記:アウシュヴィッツ強制収容所の当時のドイツ語文書に見る特別処置

この殺戮の婉曲表現はSS-WVHAにも浸透し、アウシュヴィッツを含む強制収容所の専門用語として広範に使われた(マットーニョの証拠に関する特別処置日本語訳)も参照のこと。時間が許せば、マットーニョの著書『アウシュヴィッツ:健康管理』における「特別処置」に関するアウシュヴィッツ文書のさらなる誤訳は、このブログで取り上げる予定である)。この意味で厳密に使われたのは、明白な理由から、SS書記が囚人を直接扱っているときである(たとえば、女囚収容所の人数報告、労働部門長シュヴァルツからSS-WVHAへの、労働不適格者として選ばれたユダヤ人の運命に関する報告強制収容所安楽死命令など)。

しかし、この厳密な意味は、人の運命に直接関係しない場合は、和らげられたと考えるのが妥当であろう。そのような場合、殺人に間接的あるいは部分的にしか関係しないものについても、官僚的なプロセスでより緩やかに使用されていたのである。その代表的なものが、1942年10月28日のアウシュビッツ・ビルケナウの建設プロジェクト一覧である。火葬場だけでなく、住居、衛生施設、インフラストラクチャーなど、ビルケナウ収容所の拡張全体が「特別処置を遂行する」ものとして挙げられている(フローリアン・フロイント、ベルトラン・ペルツ、カール・シュトゥルップファラー、『アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の建設』、現代史、1993年参照)。後に「中央サウナ」と呼ばれるようになる害虫駆除施設は、「特別処置」と明示されているが、これは明らかに、「特別処置」が衛生的な測定を意味するからではなく、単にユダヤ人輸送に割り当て、SS隊員のために計画された害虫駆除施設と差別化するためであった。

この官僚的な用語は、収容所拡大の原動力、発端、背景、きっかけを示すヒントかもしれない。アウシュビッツでは労働に適さないヨーロッパ系ユダヤ人は物理的に抹殺される(厳密な意味での「特別処置」)ため、一時的に殺害を免れた者を強制労働活動にも取り込むためのインフラと施設を提供する必要があったのだ。非殺人施設は大量殺戮の実行を条件としており、後者は前者なしには現実的に実行できなかったのだ。この意味で、収容所全体の拡張は、アウシュビッツでのヨーロッパ系ユダヤ人の「特別処置の実行」に直接的、間接的に役立っていたのである。

火葬と同時の特別処置(II)

これで、第2火葬場で行われるはずだったこの「特別処置」の意味を絞り込むことができるようになった。それはアウシュビッツでの囚人殺害に直接的、間接的に関係していた。

残されているのは、第2火葬場で、a)殺戮に直接的に(あるいは間接的に)関係し、b)かなりの電力を必要とすることが行なわれるはずであったものを特定することである。地下に緊急消毒室が設置されたというマットーニョの仮説は、次の投稿で反駁されるであろうし、2台の3.5馬力のエンジンによる換気装置を備えた殺人ガス室がかなりの電力を消費していたことを示す圧倒的な証拠日本語訳)を考慮に入れても、反駁されるであろう。 5馬力エンジンがかなりの電力を消費して第2火葬場の地下に設置されたという圧倒的な証拠日本語訳)を考慮すると、もっともありそうな解釈は、このメモでは、「特別処置」という用語は、通常の厳格な意味に従って、(この特定のケースでは毒ガスによる)殺害を指している(とにかく、このメモは官僚的分類・呼称としてこの用語を使用していないようだ)、ということである。

▲翻訳終了▲

マットーニョは、私はほとんど確信犯的にやっているのではないかと思うのですが、「殺人ガス室が使えたならば、全部同時に使えるようになっていなければならなかった」かの如くの前提を使用します。例えばこちらでも「ガス室と脱衣室は両方等しく計画されていなければならなかった」かのような理屈を使用します。何故そんな理屈を使用するかというと、実際にはそうでなかったから、という単純なトリックを使用できるからではないかと考えられます。要するに、反論が容易なストローマンを使っているのです。

しかし、重要なことは、ビルケナウのクレマトリウムの完成は遅延していたという事実です。遅延しているということは、期日に間に合っていないことを意味するわけで、その期日の最初のものが1943年1月31日だったのです。で、遅延は各所が同時に同じように遅れるわけではありません(そんなことあるわけありません)。今回の文書で言うと、ガス処刑と同時に火葬ができるようにするための電力供給の設備が間に合っていないことを述べています。他、トプフからの発送が遅延していた換気装置、あるいは死体安置用地下室2の天井のコンクリートが気温が低過ぎて固まらず型枠が外せない、など(Vergusngskeller文書では1943年2月20日まで遅延すると述べている)、要するにこれらの文書からわかることは、どんどん完成が遅れていることなのです。

そして、文書の中でスウォボダは、2月15日になってもそれらの「利用可能な機器」を同時に賄える電力供給設備を整えるのは無理だ、と主張しているのです。この2月15日がなんなのか? が大事なことなのです。で、記事の中で、それはプリュファーが換気工事が完了する予定として示していた日付だったと書いています。これでスウォボダ・メモの辻褄が合うのです。ところがマットーニョはそんな辻褄などガン無視するのですね、後で気がついたようですが。

マットーニョは文書に記される内容を、実際に起きたであろうことの文脈として読もうとせず、ガス室否定の論理をどうやって組み立てていくか? しか考えていないことがわかります。

では次へ。このシリーズのラストです。


いいなと思ったら応援しよう!