【エッセイ】【音楽】生き残るということ ガース・ハドソンを悼む
最近、ヘビーローテーションで聴いているのはもちろんザ・バンドである。もちろんなどと言い切ってしまっているが、ザ・バンドの最後の存命メンバー、凄腕のオルガン奏者、ガース・ハドソンの訃報、彼らの大きな業績とは不釣り合いな小さな記事はどこか琴線に触れるものがあった。一昨年、グループのフロントマンであるロビー・ロバートソンが亡くなった時はそれなりの報じられ方だったと記憶しているが、その時から、そう遠くないうちに、その日が来ることをぼんやり覚悟して、昔好きだったザ・バンドをぼちぼち聴き直していたように思う。

ガース・ハドソンは唯一の歌わないメンバーということで地味な印象もあったが、クラシック音楽のアカデミックな素養を背景にサウンド面でグループを牽引、レッスン料を受け取って他のメンバーに音楽理論や和声学を教えていたという不思議なエピソードも残っている。アイコンは隠者のような長い顎鬚。演奏スタイルは時に嵐の夜のように凶暴、時にバッハの讃美歌のように荘重、まさに変幻自在だった。
ザ・バンドのアルバムはどれも好きだが、特に一枚目と二枚目はよく聴き込んだ。すなわち、サイケデリック・ムーブメントの真っただ中、ルーツ・ミュージックに深く根差した、古くて新しい、奇妙で美しい「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」(1968年)と、アメリカの音楽と精神の壮大な叙事詩のような統一感と風格を持つ「ザ・バンド」(1969年)である。もちろん、彼らが一堂に会した最後のステージ、1976年のサンフランシスコ公演、豪華ゲスト陣を迎えた伝説の一夜の模様をおさめたライブ盤「ラスト・ワルツ」も。特に「It Makes No Difference」が心に残る。各メンバーのキャリアの集大成のような円熟の演奏、完璧なアンサンブル。曲の終盤、ロビー・ロバートソンの怒涛のギター・ソロとガース・ハドソンの流麗なソプラノサックスとの絶妙な掛け合い。マーティン・スコセッシが撮った同名の名高い記録映画では、カメラのすぐ手前、アップのガース・ハドソンとそのずっと奥、ロビー・ロバートソンとの奥行きの深い印象的なショットで、この名演中の名演をとらえている。
そしてボブ・ディランとの数々の忘れがたい協演。特に1966年、英国ツアー中のマンチェスターでのライブ。ボブ・ディランがフォークからロックに転向した際、保守的な観客から散々ヤジられたというエピソードは広く知られているかと思うが、その歴史的記録のような音源だ。観客が「Judas!(裏切者)」と叫び、ディランが「I don't believe you. You're a liar」とやり返し、バックのザ・バンドの面々に「Play it fuckin' loud!」と気合を入れて、「Like a Rolling Stone」のイントロが鳴り出すまでの予感に満ち満ちた一瞬、ビリビリするような壮絶なパフォーマンス――。
リチャード・マニュエル(ピアノ) 1943年~1986年 享年42歳
リック・ダンコ(ベース) 1942年~1999年 享年56歳
リヴォン・ヘルム(ドラム) 1940年~2012年 享年71歳
ロビー・ロバートソン(ギター) 1943年~2023年 享年80歳
ガース・ハドソン(オルガン) 1937年~2025年 享年87歳
ガース・ハドソンはザ・バンドの最後の生き残りだった。最年長者が最後まで存命したことになる。「かつて僕らは兄弟だった」。ザ・バンドのドキュメンタリー映画のタイトルである。音楽評論家で作家のロブ・シェフィールドはこの手の追悼文としては最高の部類に入ると思われるローリングストーン誌の記事の中で、彼らを「究極のロックンロールの兄弟愛の幻想」と評している。実際、彼らの音楽への愛で結ばれた深く強い絆に、ジョージ・ハリスンが、エリック・クラプトンが、大いに憧れ、少なからぬ影響を受けた。「彼(=ガース・ハドソン)の死は彼らの兄弟関係の終わりを意味する。世界はこの5人組のグループを、理想的な友情の象徴、共に働き、共に暮らし、喧嘩や口論をしながらも、そこから荒々しい美しさを生み出す共同体として見ていた」(ロブ・シェフィールド)。
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。
大好きな須賀敦子の大好きな言葉である。イタリアでのカトリック左派の運動の崩壊を背景に、社会変革の理想と信仰で結ばれた小さな友愛の共同体、「コルシア書店の仲間たち」の喪失という苦い経験を経た、美しい認識の言葉であろう。いつかこんな深みから、物事を、人生をながめてみたいと思う。が、今の私は老いること、孤独が怖い。友人は極端に少ない。天涯孤独の身である。そんな私にも友と呼べる存在がわずかながらいる。そう信じたい。今はめったに会うこともないが。彼ら、彼女らは人生のそれぞれの時代の、京都であったり、北京であったり、北海道であったり、それぞれの土地の記憶と結びついていて、淡く小さな星座を形作っている。稔り乏しきささやかな人生の、それでも有意味な一つのコンステレーションとして。そうした星の輝きが一つ消え、二つ消え、私がたった独り、漆黒の無辺の天空に取り残されたとして、それでも世界は意味を成しているのだろうか——。
「ニューヨーク州ウッドストック近郊の老人ホームで穏やかに息を引き取った。そこはあの『ビッグ・ピンク』から数マイルと離れていなかった」――ガース・ハドソンの逝去を伝える記事の中で、私の琴線に触れたのはやはりここだった。「ビッグ・ピンク」とはザ・バンドのメンバーが一時共同生活を送っていた大きな一軒家のことで、壁一面がサーモンピンクに塗られていたことから通称でそう呼ばれていた。寝食をともにしていた彼らは地下室に機材を持ち込んで簡素なスタジオとし、曲作りと演奏に明け暮れた。そこに毎日のように通って来たボブ・ディランとのジャムセッションから、前述の画期的なデビューアルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」が、そして長く海賊盤としてのみ流通していたにもかかわらず、多くのミュージシャンに多大な影響を与えた「ザ・ベースメント・テープス」(正式リリースは1975年)が生まれた。音楽の歴史を変えた聖地として、「ビッグ・ピンク」の名はファンの間では神話的な響きに包まれており、実際、何年か前のテレビ番組の企画でここを訪れた佐野元春と浦沢直樹は、言葉にならない感動を伝えていた。若かりし日のザ・バンド、いや、若かりし日のロックンロールの友情と理想の物語、その聖なる記憶の眠るところ——最後はドラッグ絡みで崩壊した彼らの絆、前述の「かつて僕らは兄弟だった」のインタビューでロビー・ロバートソンが「美しすぎて燃え尽きてしまった」と嘆じたザ・バンドの歴史、その残り火が微かに感じられるところ――そんな地の傍らで生を終えたい、そんな風に寡黙な男、ガース・ハドソンは考えていたに違いない。願わくば最後は京都で死にたいなぞと常々考えている私の想像である。

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