『私という病』49話|「安全地帯」
僕には、どうも、愛というものがよく分からない。
世間の人々は、それを当たり前のように携えて歩いている。
けれど僕には、それがどこで手に入り、どこから湧いてくるのか、どうしても見当がつかない。
たぶん僕は、生まれるときに、
肝心な部品をひとつ落としてきたのだろう。
人は言う。
働けば金が入る。
金があれば、欲しいものが買える。
まるで算数の式のように、簡潔で疑う余地のない真理として。
彼らは、その式の中に人生のすべてが収まると信じている。
僕には、その無邪気さが、どうにも恐ろしく見える。
別の人は言う。
金に働かせろ、と。
自由な時間こそが、人生の証明だと。
もっともらしい。
だが、その目の奥は、いつもどこか疲れている。
檻の中に、さらに檻を組み立てて、
安心しているつもりなのかもしれない。
けれど僕には、それがただの牢獄にしか見えない。
さらに偉い人は言う。
国家と取引をすればいい、と。
未来さえ管理できると信じているその眩しさは、
ときに滑稽ですらある。
人間は、どこまで誤解できる生き物なのだろう。
けれど——
本当に滑稽なのは、
彼らが信じている「世界」そのものかもしれない。
人は、目に見えるものだけを信じる。
唯物主義という薄い布を張って、文明を描いてきた。
だが、その布は、もうほころびている。
指先で触れれば、
乾いた音を立てて、簡単に裂けてしまいそうなほどに。
社会は、いつか終わる。
経済も、いつか止まる。
ただ、それが今日ではなかった——
それだけの話だ。
そんな世界に、
僕はどうしても全力で突っ込むことができない。
勇者でもなければ、
立派な臆病者でもない。
見えてはいけないものが見えてしまい、
見えないふりをする器用さも持たない。
ただの、少し壊れた大人だ。
だから僕は、静かに場所をつくる。
削るようにして、
ほんのわずかな空間を。
息ができる程度の、
せめて嘘をつかずに済む、一畳半ほどの場所。
それが、僕にとっての安全地帯だ。
ときどき、彷徨っている人間を見かける。
行き先を失ったカラスのように、
影だけを引きずって歩いている人たち。
彼らを見ると、僕は、つい微笑んでしまう。
嘲りではない。
ああ、仲間だ、と気づいてしまったときの、
どうしようもない微笑だ。
僕は、彼らに答えを与えることはできない。
ただ、ひとつだけ——
問いを差し出すことができる。
「あなたは、誰ですか?」
その問いを投げた瞬間、
僕は気づいてしまう。
どうやら、あなたは、
僕とは違う世界を生きているらしい。
あなたの世界では、
奇跡は珍しくなく、
希望は空気のように漂い、
善意や愛は、呼吸のように循環している。
意思は世界を動かし、
認識の深さが、景色の色を変えていく。
僕の世界では信じられないことが、
あなたの世界では、当たり前のように起きている。
それは魔法ではない、とあなたは言うだろう。
宗教でも、スピリチュアルでもない、と。
ただ、人は段階的に変わり、
その眼で世界を読むようになるのだと。
僕には、まだ想像することしかできない。
けれど、それを否定する理由もない。
なぜなら——
あなたと僕は、
最初から、別の世界を生きているのだから。
あなたの世界には、希望が常識として存在し、
僕の世界には、崩れゆく現実がある。
それでも、こうして言葉は届く。
それで、十分だと思う。
もし、変化というものが本当にあるのなら。
いつか、この小さな安全地帯にも、
風が吹き込む日が来るのかもしれない。
ほんのわずかでも風が通れば、
ここはもう、今とは違う場所になる。
その日を待ちながら、
僕は今日も、問いを投げる。
「あなたは——
いったい、誰の世界の住人なのですか」
