『私という病』48話|一冊のノート
その日、私は、どこへ向かうとも知れぬまま、
ただ歩いていた。
歩いている、というよりも、
足が勝手に前へ出ている、と言ったほうが正確かもしれない。
行き先というものが、
ある日ふいに、意味を失うことがある。
その意味のなさを、わざわざ確かめるために、
人は歩くのだろうか。
私は、その答えを持たないまま、
深淵の縁を、野良猫のようにうろついていた。
足もとに、ノートが落ちていた。
黒ずみ、角は擦り切れ、
長いあいだ、誰にも触れられなかったらしい。
それは、奇妙に正直な姿をしていた。
人に忘れられたものは、
たいてい、こういう顔をしている。
私は、なぜそれを拾い上げたのか、
いまでもよくわからない。
ただ、拾わなければならない、
そう思わされたのだ。
思わされた、という言い方は、
いささか責任逃れに聞こえるかもしれないが、
しかし事実として、そうとしか言いようがない。
頁をめくった。
その瞬間、
胸の奥に、冷たいものが滑り込んできた。
指先ではない。
刃物でもない。
もっと曖昧で、
それでいて確実な、何かである。
――そこに書かれたことは、現実になる。
私は、それを理解した。
理解した、という言葉も、
やはりどこか不正確である。
それは、思い出した、と言うほうが近い。
知っていたことを、
忘れていたにすぎない。
良いことも、悪いことも。
区別は、あるようで、ない。
人の願いというものは、
ひどく扱いにくい。
願えば叶う、というのは、
聞こえはよいが、
それは同時に、逃げ場のない責任を意味している。
世界は、ただ正直に、
こちらの内側を写し取るだけだ。
それが祝福なのか、
あるいは罰なのか、
私にはまだ判別がつかない。
風が、わずかに揺れた。
どこかで、獣の気配がした。
自分の呼吸が、
妙に耳についた。
そのどれもが、
世界をほんの少しずつ、
しかし確実に変えている。
そう思ったとき、
私は、自分の立っている場所が、
急に頼りなく感じられた。
どこまでが現実で、
どこからが虚構なのか。
いや、もしかすると、
その区別そのものが、
最初から存在していなかったのではないか。
考えは、すぐに絡まり、
私は勝手に疲れた。
人間というものは、
何もないところに問題を見つけ出し、
それを丁寧に育て上げる癖があるらしい。
まことに、面倒な生き物である。
それでも、世界は、
私を放そうとはしなかった。
真実と虚構のあいだで、
揺れながら、
こちらを試すように、
じっと見ている。
だから私は、
この世界を、嫌いになりきれない。
あまりにも脆く、
あまりにも滑稽で、
そして、あまりにも美しい。
ノートは、何も語らない。
しかし、語らないということは、
沈黙しているのとは、少し違う。
それは、
こちらに語らせているのだ。
私は、今日も頁をめくる。
めくるたびに、
何かが決まり、
何かが失われていく。
それでも、やめられない。
やめる理由が、
見つからないからである。
もしかすると、
このノートは、最初から私のものだったのかもしれない。
あるいは、
私のほうが、
ノートに拾われたのか。
どちらでも、大差はない。
結局のところ、
書く者と、書かれる世界は、
同じ場所にあるのだから。
