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『私という病』第47話|人はなぜ平気で人を傷つけるのか

人は、なぜ平気で人を傷つけるのか。
その理由に気づいたとき、
世界の見え方は静かに変わる。


世界の裏側では、
人は平然と人を殺す。

……もっとも、表側でも似たようなものだ。

ただこちらは、照明が明るいぶん、
「正義」という名札を胸につけているだけである。

ずいぶんと、上品な話だ。


人は人を責め、罠にはめる。

相手の靴紐がほどけていれば、
偶然を装って、そっと足を出す。

立派なスーツの内側では、
怯えた野良犬が震えている。

哀れというより、どこか滑稽だ。


嘘がばれないように視線を逸らす。
それでも本人は、真顔でこう言う。

「私は誠実です」

その厚顔さに、
ときどき感心してしまう。

人の心は、ずいぶん頑丈にできているらしい。


「もうやめる」と言いながら、
心の奥では刃物を手放せない。

誰かを傷つけるための理由も、
ちゃんと用意している。

「社会のルールですから」

……なるほど。
便利な言葉だ。


人は弱い。

弱いから、群れる。

そして群れた瞬間、
急に強くなった気になって、
上だ下だと騒ぎ出す。

昨日まで震えていた子犬が、
仲間を得た途端、
ライオンの真似をするようなものだ。


その延長線上に、
序列があり、排除があり、

魔女狩りも、戦争も、宗教も、政治も、
だいたい同じ場所に並んでいる。

人間は、醜さにおいてだけは、
驚くほど一貫している。


それでも老いると、こう言う。

「ああ、生き方を誤った」

誤り続けながら、
最後まで歩ききったことに、
私は妙な敬意を覚えてしまう。


何のために生きたのか。
来世でも、また繰り返すのか。


「割れた水槽」

私には、人間が
ガラスの水槽の中を泳ぐ魚に見える。

外が見えないのではない。

本当は、
水槽なんて、とっくに割れている。

それでも人は、
「ここは安全だ」と信じている。

健気で、そして、少しだけ愚かだ。


真実は、ひとつ。

あなたと世界は、分離していない。


それでも人は言う。

「私は私、世界は世界だ」と。


誰かを傷つければ、
いずれ世界から傷つけられる。

神罰ではない。
ただの因果だ。

右腕を切れば痛む。

他人を切れば、
少し遅れて痛む。

その“時差”のせいで、
人はなかなか気づけない。

気づいた頃には、だいたい遅い。


恨めば、恨みが返る。
愛せば、愛が返る。

この世界は、
驚くほど律儀にできている。

逃げれば追ってきて、
隠れれば覗き込んでくる。

影のように、離れない。


蒔いた種は、必ず育つ。

不幸の種は、なぜか成長が早い。
愛の種は、静かに、確実に伸びていく。


それなのに人は、
自分で蒔いたことを忘れて、こう言う。

「誰がこんな人生にしたんだ」

……おやおや、である。


怨みは、手放してもいい。

相手を愛せとは言わない。

ただ、
「見えていないだけなのだ」と、
理解してみればいい。

盲目なら、
ぶつかるのも無理はない。


かく言う私も、ひどかった。

やられたら三倍返し。
気分が良い日は、二・五倍で許してやった。

今思えば、
ずいぶん忙しい人生だった。


世界と自分を、切り離していた。

水槽が、
とっくに割れていることにも気づかずに。


理は、確かに存在する。
誰も、そこから逃げられない。


だからもう、放っておけばいい。

傷つけてきた相手に、
心の中で、そっと言えばいい。

「ありがとう」
「少し、目が覚めました」


相手の幸福を祈れるようになったとき、

あなたはもう、
気づかぬうちに救われている。


……アーメン。


“気づき”

もっとも。

こんなことを言っている私が、
一番信用ならないのだが。

なにしろ――

私の人生そのものが、
ひとつの冗談のようなものなのだから。


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