レイヴンズとオリオールズ: R&Bヴォーカル・グループが形になる
1930年代、アメリカでは複数の声を組み合わせるヴォーカル・グループがすでに大きな人気を得ていた。
ミルス・ブラザーズは声で楽器まで再現し、インク・スポッツは特徴的なリード・ヴォーカルと低い語り、柔らかなハーモニーを組み合わせた。一方、黒人宗教歌のカルテット伝統では、ゴールデン・ゲート・カルテットのようなグループが、コール&レスポンスや力強いリズムを声によって作り出していた。
第二次世界大戦が終わる頃になると、こうした複数のヴォーカル・ハーモニーの伝統が存在するなかから、新しい黒人ヴォーカル・グループが現れ始める。
1940年代半ばにニューヨークで結成され、1946年にはレコード録音を始めたレイヴンズと、翌1947年にボルティモアで結成された、のちのオリオールズである。
二組の登場によって、中心となる特徴的なリード・ヴォーカルと、それを取り囲むハーモニーを中心とする戦後の黒人ヴォーカル・グループの新しい形が、鮮明になっていった。
レイヴンズ ── 低い声を前に出す
1940年代半ばのニューヨークで、ジミー・リックスとウォーレン・サトルズを中心にレイヴンズは結成された。

彼らが受け継いだのは、ミルス・ブラザーズやインク・スポッツなど、1930年代に人気を得ていた黒人ヴォーカル・グループの流れだった。数人の声にそれぞれの役割を持たせ、リード・ヴォーカルをハーモニーで支える。
しかしレイヴンズには、先行するグループとは一聴して分かる特徴があった。中心に置かれたのは、ジミー・リックスの深いバス・ヴォイスだった。
低い声は、それ以前のヴォーカル・グループでもハーモニーを支える重要な役割を担っていた。インク・スポッツでは、ホッピー・ジョーンズの低い声による語りも大きな特徴になっていた。
レイヴンズでは、バスのリックス自身が旋律を歌うリード・シンガーとして前面に立った。深く太い声でメロディを歌い、その周囲を高いテナーやファルセットが取り囲む。低音を背景ではなく主役にすることで、グループのサウンドそのものを特徴づけたのである。
1947年末に発表した「Write Me a Letter」は、翌1948年にかけて大きなヒットとなり、レイヴンズの名前を広く知らしめた。
「Ol’ Man River」─ バスが主役になる
1947年、レイヴンズは「Ol’ Man River」を録音している。
もともとは1927年のミュージカル『Show Boat』のためにジェローム・カーンとオスカー・ハマースタイン2世が書いた曲で、すでに広く知られたスタンダードだった。
レイヴンズ版では、その有名な旋律をリックスの重いバスが歌う。
低い声がゆったりと旋律を進み、その背後からほかのメンバーの高い声が応える。リードとハーモニーの音域が大きく離れているため、数人の声だけでも幅の広い響きが生まれる。
ここで際立つのは、全員の声を均一に溶け合わせることよりも、異なる音域や声質を組み合わせることで生まれるコントラストである。とりわけリックスのバスは、誰が歌っているのかが一声で分かるほど強い個性を持っていた。
レイヴンズの成功は、特徴的な低音を前面に出すことも、ヴォーカル・グループの個性になり得ることを示した。
高いリードを低音が支えるだけでなく、低音そのものが前面へ出る。異なる声にそれぞれの役割を与え、その違いを際立たせることで、グループ独自のサウンドを作るのである。
レイヴンズは、1930年代までに発達していたヴォーカル・ハーモニーを受け継ぎながら、バスという強烈な個性を持つ声をその中心に据えた。
声を美しく揃えるだけではなく、声質の違いをさらに前面へ押し出す。
戦後の黒人ヴォーカル・グループに、新しい選択肢が生まれていた。
オリオールズ ── バラードと感情の近さ
1947年、ボルティモアでは、のちにオリオールズとなるグループが結成された。
当初の名前はヴァイブレネアーズ。中心となったのは、ソニー・ティルの高く柔らかなテナーだった。
彼らの転機となったのが、作詞家を目指していたデボラ・チェスラーとの出会いである。チェスラーはグループのマネージャーとなり、1948年にはラジオの人気タレント番組『Arthur Godfrey’s Talent Scouts』への出演を実現させた。その後レコード契約を結び、グループ名を地元メリーランド州の州鳥にちなんだオリオールズへと改めた。

Photo: James J. Kriegsmann / Shaw Artists Corporation / Wikimedia Commons / Public Domain
四人の声とギター
1948年に録音された「It’s Too Soon to Know」は、大きなヒットとなる。
この曲を書いたのもチェスラーだった。
「It’s Too Soon to Know」で歌われるのは、相手が本当に自分を愛しているのか、まだ分からないという恋の不安である。
ティルはその感情を、声を張り上げて劇的に表現するのではなく、柔らかなテナーで静かに歌う。その周囲をほかのメンバーのハーモニーが包み、ギターが控えめに支える。四人の歌声とギターを中心とする、小さな編成だった。
当時のポピュラー音楽では、ビッグバンドによる華やかなサウンドがまだ大きな存在感を持っていた。それに対してオリオールズの音楽には、少ない楽器と数人の声の間に大きな余白がある。
その中央からティルの歌声が浮かび上がることで、言葉の一つ一つや声の揺れが近い距離で聞こえる。
そこには、1940年代までに発達していたクルーナーの歌唱にも通じる親密さがあった。
しかしオリオールズでは、一人の歌手だけでその親密さを作るのではない。ティルのリードにほかのメンバーが声を重ねることで、一人の感情をグループ全体で支える。
リード・シンガーが恋愛の感情を引き受け、ハーモニーがその感情を包み込む。
「It’s Too Soon to Know」の成功は、そのような小編成のヴォーカル・グループが、戦後の黒人向け大衆音楽の中で大きな聴衆を獲得できることを示した。
オリオールズの成功後、恋愛を題材とし、特徴的なリード・ヴォーカルをハーモニーで支える黒人男性グループが次々と現れるようになる。
まだ「ドゥーワップ」という名前が使われていたわけではない。
しかし1950年代に大きく広がるヴォーカル・グループ・サウンドの重要な型は、すでにここに現れていた。
レイヴンズが低い声を前面に出してグループの個性としたのに対して、オリオールズは高く繊細なテナーを中心に、恋愛の感情を数人の声で親密に伝えるスタイルを鮮明にしたのである。
R&Bヴォーカル・グループという形
レイヴンズとオリオールズが登場した1940年代後半、黒人向け大衆音楽を取り巻く環境そのものも変わりつつあった。
それまでアメリカのレコード産業では、黒人向けに販売される音楽をまとめて「レース・レコード」と呼んでいた。しかし1949年、Billboardは、同誌の記者ジェリー・ウェクスラーが提案した「リズム&ブルース」という名称を、従来の呼称に代わるカテゴリー名として使い始める。
ただし、この時点でR&Bが一つの決まった音楽スタイルを意味していたわけではない。
ブルース、ジャンプ・ブルース、ヴォーカル・グループなど、黒人向けレコード市場で流通していたさまざまな大衆音楽を含む広いカテゴリーだった。
レイヴンズとオリオールズが登場したのは、ちょうどそのような時代である。
彼らの背景には、ポピュラー・ソングの世界で発達してきたヴォーカル・ハーモニーや、黒人教会で長く歌われてきたカルテットなど、複数の声の伝統が存在していた。
そこに重なったのが、戦後の黒人向けレコード市場の拡大だった。
1940年代には、黒人聴衆を重要な市場とする独立系レコード会社が存在感を強めていった。大手だけでは拾いきれなかった地域の演奏家や新しいスタイルも録音され、レコードとして広く流通する機会が増えていく。
広がるヴォーカル・グループ
こうした市場の広がりは、小編成のヴォーカル・グループにとっても活動の場を広げる条件となった。
大規模なビッグバンドとは違い、数人の歌手を中心とするグループは、小さな編成でも独自のサウンドを作ることができる。そして特徴的なリード・ヴォーカルをハーモニーで支える方法は、グループごとの個性をはっきりと打ち出すことにも向いていた。
レイヴンズ、そしてオリオールズの成功を追うように、鳥の名前をつけたグループも相次いだ。ロビンズ、フラミンゴス、ペンギンズなど、後のヴォーカル・グループ史で重要になるグループが登場していく。
現在では、こうした戦後の黒人ヴォーカル・グループの多くが、1950年代に大きく広がる「ドゥーワップ」の歴史へつながる存在として語られている。しかし「ドゥーワップ」という名称が、レイヴンズやオリオールズの登場した1940年代後半に使われていたわけではない。
当時形になり始めていたのは、中心となる個性的なリード・ヴォーカルと、それを支えるハーモニーを中心に、少ない楽器でも成立する戦後の黒人ヴォーカル・グループの新しいサウンドだった。
1930年代までに発達していた声のアンサンブルは、戦後の黒人向け大衆音楽の中で新しい形を取り始めていたのである。
