音楽はどうやって残るようになったのか
大衆音楽の歴史を考えるうえで、19世紀後半に録音技術が誕生したことは、大きな転換点だった。
私たちは今、何十年も前の曲はもちろん、百年以上前に録音された演奏さえ、いつでも気軽に聴くことができる。それがあまりにも当たり前になっているため、音楽は残るものだと思いがちだ。
しかし、人類の歴史のほとんどの期間、音楽はそうではなかった。
誰かが歌い、誰かが演奏し、その場にいた人々が耳を傾ける。演奏が終われば、その音は二度と聴くことはできない。もう一度聴きたければ、その人がもう一度演奏するしかなかった。
もちろん、音楽を伝える方法がまったくなかったわけではない。楽譜は旋律やリズムを書き留めることができるし、民謡や労働歌の多くは口伝えによって世代を越えて受け継がれてきた。
しかし、それらは演奏そのものを残す方法ではなかった。
楽譜からは、演奏者の声色や息づかい、細かな揺れ、間の取り方までは分からない。口伝えもまた、歌い継がれるたびに少しずつ姿を変えていく。
世界中で演奏されてきた無数の音楽は、その響きを残さないまま歴史の中へ消えていった。私たちが過去の音楽を語るとき、その多くは実際の音ではなく、楽譜や文献、後世に伝えられた証言から想像しているのである。
19世紀後半、人類は初めて、演奏そのものを未来へ残す方法を手に入れる。
音は残せるのか
⸻ 音の記録と蓄音機の誕生
「演奏そのものを残す」という発想は、今では当たり前のように思える。
しかし、その始まりは、音楽を未来へ残そうとする試みではなかった。
1857年、フランスの発明家エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィルは、「フォノトグラフ」と呼ばれる装置の特許を取得した。人間の耳の仕組みをまねた装置で、音によって膜が振動すると、その動きに連動した針が、すすを塗った紙などの上に波打つ線を描いた。
スコットが目指していたのは、記録した音を後で聴くことではなく、声や音の振動を目に見える形にして研究することだった。彼は、音が描いた線を分析すれば、将来は人間が文字を読むように、その線から話し言葉の内容まで読み取れるようになるのではないかと考えていた。

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フォノトグラフは、音の痕跡を目に見える形で残すことには成功した。
しかし、記録された線から、声や音楽が再び聞こえてくることはなかった。音の痕跡を残すことはできても、その音を聴き直すことは、まだできなかったのである。
それから約20年後、人類はついに、過去の音をもう一度鳴らすことに成功する。
1877年、アメリカの発明家トーマス・エジソンは、音を録音し、再生できる最初の装置「蓄音機(フォノグラフ)」を発明した。
エジソンは当初、この機械を口述筆記や手紙の記録、教育などに利用できると考えていた。実際、彼自身が挙げた用途の中で、音楽は数ある活用法の一つにすぎなかった。
蓄音機は大きな注目を集めたが、初期の装置は音質や耐久性に問題があり、すぐに音楽を楽しむための機械として普及したわけではなかった。その後、装置や記録媒体が改良されるにつれて、音楽や語りを再生する娯楽装置としての可能性が注目されるようになった。演奏が終わった後にも、その音が再び鳴るという体験は、当時の人々にとって驚きそのものだった。
それまで音楽は、その場に居合わせた人だけが共有できるものだった。しかし蓄音機によって、一度演奏された音楽を、演奏が終わった後にもう一度聴けるようになったのである。

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もっとも、1877年の蓄音機には大きな制約があった。最初の装置では、円筒に巻いた薄い錫箔(すずはく:金属の錫を薄く平に伸ばしたもの)へ音を刻んでいたが、記録は傷みやすく、繰り返し再生することにも向いていなかった。
その後、1880年代には蝋(ろう)を使った円筒型の記録媒体が開発され、録音と再生の性能は大きく改善された。しかし、初期の市販用蝋管は、一つの録音から大量の複製を作ることが難しかった。同じ曲を多くの人へ届けるには、演奏者が何度も録音を繰り返さなければならなかった。
それでも、音をそのまま残せるという事実は、人類にとって画期的な出来事だった。
何千年ものあいだ、演奏が終われば消えていた音楽が、初めて未来へ残せるようになったのである。
演奏は売れるのか
⸻ 円盤レコードと音楽産業の誕生
蓄音機は、音を記録することはできたが、一つの録音を、同じ内容のまま大量に複製するには向いていなかった。蝋管による音楽販売はすでに始まっていたが、一つの原盤から同じ録音を大量に作ることには、なお大きな制約があった。
この問題を大きく変えたのが、ドイツ生まれの発明家エミール・ベルリナーが開発した、円盤レコードを用いる蓄音機「グラモフォン」だった。ベルリナーは1887年に特許を取得し、その後も装置と製造法の改良を続け、一つの原盤から複数のレコードをプレスする仕組みを実用化していった。
改良が進むと、円盤レコードは、原盤から金属製の型を作り、その型を使って同じ録音を繰り返しプレスできるようになった。さらに平らな形状で保管や運搬もしやすく、演奏そのものを大量生産し、遠く離れた場所まで届けられるようになったのである。

No known restrictions / Wikimedia Commons
もちろん、ベルリナー自身も、後のジャズやロックンロール、あるいは世界中の音楽産業を思い描いていたわけではない。
しかし、この仕組みによって、録音された演奏を、同じ内容のまま大量に複製し、広く流通させられるようになった。
蝋管の時代に始まっていた録音音楽の商売は、円盤の大量生産によって、より大規模な産業へと発展していった。
演奏家にとっても、大きな変化だった。
それまで演奏を聴くには、基本的に演奏者と聴衆が同じ時間を共有する必要があった。しかし録音物が普及すると、一度記録された演奏が複製され、演奏者のいない場所でも繰り返し聴かれるようになった。
音楽は、その場限りの体験から、世界中へ届けられる商品へと姿を変え始めたのである。
音楽が商品として売られる時代は始まった。しかし、録音音楽を届けるには、レコードを一枚ずつ製造し、店や家庭まで運ばなければならなかった。聴く側にも、レコードとそれを再生する蓄音機が必要だった。
この時代にレコードを買える人はまだ限られていた。初期のレコードは決して安価ではなく、蓄音機そのものも高価な機械だった。
それでも、演奏者がその場にいなくても音楽を聴けるようになったことは、人々と音楽の関係を大きく変える出来事だった。
