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音楽はどうやって暮らしの一部になったのか



音楽は家へ届くのか
⸻ ラジオが変えた日常

レコードは、音楽を遠くまで届けられるようにした。

しかし、それを聴くためには、自分でレコードを買い、再生する必要があった。
音楽はまだ、「手に入れるもの」だったのである。

20世紀に入ると、新たな技術が生まれる。
ラジオである。

ラジオの発展は、音楽とは別の目的から始まった。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、各国では無線通信の研究が進み、イタリアの発明家グリエルモ・マルコーニらによって実用化が進められた。船舶との通信や軍事、情報伝達の手段として大きな期待が寄せられ、海を越えて瞬時に情報を届けられることは、当時としては画期的な技術だった。

初期の無線送受信装置とグリエルモ・マルコーニ(1897年)
Public Domain/Wikimedia Commons

1900年代初頭には、カナダ出身の発明家レジナルド・フェッセンデンが音声の無線伝送に成功し、1906年には音楽や人の声を送る実験放送を行ったとされている。通信のために生まれた技術が、人の声や音楽を届ける手段にもなり得ることを示した出来事だった。
やがて、その技術は放送へと応用される。

一度送信すれば、同じ内容を同時に何万人、何百万人へ届けられる。これは、レコードとはまったく異なる新しい音楽の届け方だった。

ニュースやスポーツ中継、娯楽番組と並び、音楽もまたラジオ放送の重要なコンテンツとなっていった。

国によって放送を支える仕組みは異なっていた。アメリカでは広告収入を基盤とする商業放送が発達し、イギリスや日本などでは、受信料によって運営される公共的な放送制度が整えられていった。仕組みは違っていても、放送を受信できる家庭では、曲ごとに料金を支払うことなく音楽を楽しめるようになった。

これによって、人々の音楽との関わり方は大きく変わる。
それまで、人々が音楽を聴くには、演奏を聴きに行くか、レコードを手に入れる必要があった。
しかしラジオの普及によって、人々は家にいながら、毎日のように新しい音楽を耳にするようになる。

地域ごとに歌われていた音楽や、新しく録音されたレコードは、放送を通じて急速に広がっていった。人気曲は全国へ届き、歌手や演奏家もまた、広い地域で知られる存在になっていく。
当初、レコード業界には、ラジオ放送が販売を脅かすのではないかという警戒もあった。しかし、やがてラジオで耳にした曲のレコードを買う人も増え、放送とレコード販売は互いに広がりを後押しする関係になっていった。

発明者たちは、後にロックンロールやポップミュージックがラジオから流れ、若者文化を形づくる未来を想像していたわけではないだろう。

しかし、通信技術として生まれたラジオは、結果として音楽を日常の中へ運び込み、家で毎日のように音楽を聴くという新しい習慣を生み出した。


一枚に、より長い作品を収めたい
⸻ LPレコードが変えたアルバム

レコードが普及すると、音楽は家庭で楽しめるようになった。
しかし、当時主流だった毎分78回転のレコードには大きな制約があった。

片面に録音できるのは、およそ3〜5分。
一曲を聴くには十分だったが、長い作品には向いていない。クラシックの交響曲やオペラを聴こうとすると、何枚ものレコードを何度も交換しなければならなかった。
こうした長い作品は、複数枚のSPレコードを写真アルバムのような冊子型ケースに収めて販売され、「アルバム」と呼ばれていた。しかし、何枚ものレコードを入れ替えながら聴かなければならない不便さは変わらなかった。

「もっと長く、一つの作品を途切れずに聴きたい。」

その願いに応えるため、1948年、アメリカのコロムビア・レコードは毎分33⅓回転で再生するLP(Long Play)レコードを発表した。マイクログルーブと呼ばれる細かい溝を用いることで、一枚のレコードに従来よりはるかに長い、片面20分以上の音楽を収録できるようになった。

1948年に製造されたコロムビアの33⅓回転マイクログルーブ盤
Photo by DigbyDalton / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

もちろん、コロムビアが目指していたのは、後のロックやポップスのアルバム文化ではなかった。

当初は、とくに交響曲やオペラなど、それまで何枚ものSPレコードを交換しながら聴かなければならなかった長い作品を、より少ない枚数で、長く途切れずに楽しめるようにすることが大きな目的だった。

しかし、この発明は思いがけない未来を切り開く。

長時間録音が可能になったことで、ポピュラー音楽でも、複数の曲を一枚のレコードに収め、一つのまとまりとして届けやすくなった。

やがてLPは、単なる記録媒体ではなく、「アルバム」という作品を表現するための媒体として大きな役割を果たすようになる。


一曲が若者を動かした
⸻ 45回転シングルとロックンロールの時代

LPレコードが「一枚の作品」を届けようとしていたのに対し、もう一つの新しい規格も誕生した。

1949年、RCAビクターは、LPとは異なる考え方で、小型のレコードと自動交換式プレイヤーを組み合わせた新しい再生システムとして、45回転レコードを発売する。

当初はLPに対抗する新しい規格の一つだったが、この小さなレコードは、やがてポピュラー音楽のシングル盤として、とくに大きな力を発揮することになる。

RCAの新しい45回転レコードシステムを紹介するデモンストレーション(1949年)
Public Domain/Wikimedia Commons

一般的には、両面に一曲ずつが収録された。

小型で扱いやすく、価格も比較的手頃で、若者が自分の小遣いで買いやすいメディアだった。さらに、自動で次々とレコードを交換できるジュークボックスとの相性も良く、飲食店やダイナー、バーなどで広く利用されるようになる。店に集まった若者たちは、硬貨を入れて気に入った一曲を繰り返し聴くことができた。

やがてラジオで流れた新曲は、レコード店やジュークボックスへ並び、人々は気に入った一曲を繰り返し聴くようになった。

こうして、「ヒット曲」という考え方がこれまで以上に強く意識されるようになる。

時代の変化も、その流れを後押しした。

第二次世界大戦後のアメリカでは、ティーンエイジャーが独自の消費者層として注目され始める。若者たちは、自分たちのために音楽を選び、自分たちのお金でレコードを買うようになっていった。

45回転シングルは、そんな新しい世代にぴったりのメディアだった。
レコード会社もまた、新曲を次々と発売し、ラジオで流し、ヒット曲を生み出していく。
ラジオやジュークボックスと結びついた45回転シングルは、まもなく訪れるロックンロールの時代を支える重要なメディアとなった。

チャック・ベリーリトル・リチャードエルヴィス・プレスリーをはじめとする多くのミュージシャンたちの音楽は、45回転シングルを中心に、ラジオやジュークボックス、テレビを通じて全米へ広がり、若者文化そのものを大きく変えていった。

1948年にLPが登場し、翌年には45回転シングルが登場した。

当初は78回転、33⅓回転、45回転という複数の規格が並び、再生機器もそれぞれの回転数に対応する必要があった。しかし1950年代前半には、これらの回転数に対応したプレイヤーも普及し始め、異なる規格のレコードを一台で楽しめるようになっていく。

その後、78回転レコードは次第に姿を消していったが、LPと45回転シングルは結局どちらか一方が消えることはなかった。

一枚の作品として音楽を味わう文化と、一曲ごとに音楽を楽しむ文化。その二つは、レコードからCD、ダウンロード、ストリーミングへと形を変えながら、現在まで共存し続けている。


音楽は見られるものになった
⸻ テレビが生んだ新しいスター

ラジオは、人々に音楽を届けた。
しかし、歌手の姿までは伝えられない。

人々は声を聴くことはできても、その表情やしぐさ、演奏する姿を見ることはできなかった。

だが、音だけでなく映像を届けることは、簡単なことではなかった。音声を電気信号に変えて送るだけでも画期的だった時代に、映像では、一枚一枚の画像を細かく分解して電気信号へ変え、それを送り、受信側で元の映像として再現しなければならない。

1920年代には各国でテレビの実験が進み、1930年代には定期的なテレビ放送も始まった。しかし、第二次世界大戦によって普及は一時足止めされ、欧米を中心に、本格的に家庭へ広がるのは戦後になってからだった。

家庭向けとして開発された初期のテレビ受像機(1928年)
Public Domain/Wikimedia Commons

第二次世界大戦後、テレビが急速に普及すると、歌番組やバラエティ番組が各家庭へ届けられるようになり、その状況は大きく変わる。音楽は「聴くもの」であると同時に、「見るもの」にもなっていった。
その変化を象徴する存在の一人が、エルヴィス・プレスリーである。

1956年、人気テレビ番組への出演を重ねる中で、彼の歌声だけでなく、激しく腰を動かすパフォーマンスや独特の立ち振る舞いは全米へ広まった。音楽そのものだけでなく、「どのように歌うか」「どのように見えるか」も、スターの重要な魅力となっていく。

やがて1960年代には、ビートルズもテレビを通じて世界的な人気を獲得する。

しかし、世界各地からテレビ出演を求められるようになると、そのたびに放送局へ出向いて演奏することは現実的ではなくなった。

そこで彼らは、テレビ出演に代わる手段としてプロモーションフィルムを制作し、各国の放送局で流せるようにした。決められた時間の中で一曲を映像とともに表現するこれらの作品は、後のミュージックビデオにつながる重要な先例の一つとして位置づけられている。

もちろん、この時代にはまだ、音楽を映像作品として楽しむ文化が一般化していたわけではない。

それでも、テレビは音楽の楽しみ方を大きく変えた。

歌は耳だけでなく、表情や衣装、ダンスや演奏の姿とともに記憶されるようになったのである。人々は同じ歌だけでなく、同じスターの姿やしぐさまで共有するようになった。

この変化は、1980年代にミュージックビデオが本格的な文化として花開くことで、さらに大きな意味を持つことになる。


音は磁気に残せるのか
⸻ 磁気録音とテープの誕生

ここで、時代を少し遡る。
レコードによる録音技術が発展する一方で、19世紀の終わり頃、まったく別の方法で音を残そうとする試みも進められていた。目には見えない磁気の変化として音を残すという、レコードとはまったく異なる録音方法だった。

電話会社で働いていたデンマークの発明家ヴァルデマー・ポールセンは、音声を電気信号に変え、その変化に応じて鋼線を磁化することで音を記録した。さらに、鋼線に残された磁気の変化を再び電気信号へ戻し、音を再生できることを示し、1898年に「テレグラフォン」という装置を開発した。

ヴァルデマー・ポールセンが開発した磁気録音装置「テレグラフォン」(1898年)
Public Domain/Wikimedia Commons

ポールセンの発明は、音楽を録音するために生まれたものではなかった。電話のメッセージや事務用の口述記録などへの利用が期待され、1900年のパリ万博でも公開された。

しかし、初期の磁気録音は、録音された信号が弱く、それを十分な音量で再生するための増幅技術もまだ発達していなかった。装置も複雑で、製品化も試みられたものの広く普及するには至らなかった。

それでも、「音を磁気として記録する」という発想は消えなかった。

1920年代、電気信号を増幅する技術が発達すると、磁気録音にも新たな可能性が生まれる。鋼線に代わって平たい鋼の帯を使う録音機が開発される一方、もっと軽く柔らかな素材を記録媒体に使おうとする試みも始まっていた。

1928年頃、ドイツの技術者フリッツ・プフロイマーは、磁性粉を塗った紙テープによる録音方式を開発する。
一方、鋼帯式の録音機は1930年代に放送で実際に使われるようになったが、重い鋼の帯を高速で動かす巨大な装置で、扱いやすいものとはほど遠かった。
プフロイマーの発想をもとに、ドイツの電機メーカーAEGが録音機を、化学メーカーBASFが磁気テープを開発し、1935年、磁気テープを使う録音機「マグネトフォン」が発表された。

さらに1940年前後には、録音時の歪みや雑音を抑える技術が実用化され、磁気テープでも、放送や音楽に使えるほど鮮明な音を録音できるようになっていった。

鋼線から鋼の帯へ。そして、柔らかなテープへ。
ポールセンの発明から40年近い試行錯誤を経て、磁気録音は放送や音楽制作にも使える実用的な技術へと成長したのである。

磁気テープには、レコードにはない大きな特徴があった。
録音した音を消して再び録音できるだけでなく、テープそのものを切り、必要な部分をつなぎ合わせることで、録音された音を編集することもできた。

第二次世界大戦後、ドイツで発達した磁気録音技術はアメリカなどへ伝わり、放送局や録音スタジオへ広がっていく。


録音そのものが楽器になった
⸻ スタジオが生み出した新しい音楽

磁気テープの登場によって、録音した音を消し、録り直し、切り貼りして編集できるようになった。

しかし、当初はまだ、演奏者が一度に集まり、その場で演奏したものを録音することが基本だった。録音の一部だけを後から差し替えたり、別々に録音した演奏を自在に組み合わせたりすることは、まだ容易ではなかった。

第二次世界大戦後、その可能性をさらに押し広げる技術が発展する。

その発展を強く後押ししたのが、ギタリストで発明家でもあったレス・ポールである。彼は磁気テープを使い、録音した演奏を再生しながら、さらに別の演奏を重ねる「サウンド・オン・サウンド」の技法を発展させ、多重録音の可能性を切り開いていった。
こうした試行錯誤と機器メーカーの技術開発によって、複数のトラックに分けて録音できるマルチトラック・レコーダーが実用化される。すると、楽器や歌を複数のトラックに分けて録音し、後から重ね合わせることが可能になった。

RCA Studio Bに残るAmpex Model 300の3トラック録音機
Photo: Cliff / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

演奏の一部だけを録り直したり、別の日に録音した音を組み合わせたり、同じ演奏者の音を何度も重ねたりすることで、現実には同時に演奏できない音楽を作ることもできる。

録音は、演奏を保存する技術から、音楽そのものを創り出す技術へと変わり始めた。スタジオそのものが、一つの楽器のような役割を担うようになったのである。

この変化を象徴する存在の一つが、1960年代後半のビートルズだった。

彼らは録音スタジオを積極的に創作の場として活用し、すでに存在していた技法も含め、逆回転、テープ編集、人工的な残響、多重録音などを大胆に組み合わせ、録音技術そのものをポピュラー音楽の表現として強く印象づけた。

こうして生まれた音楽の中には、スタジオでしか完成し得ない作品も少なくなかった。

レコードは、演奏の記録ではなく、完成された作品そのものになっていく。

この考え方は、その後のロック、ポップス、エレクトロニック・ミュージック、ヒップホップなど、多くのジャンルへ受け継がれていった。後のシンセサイザー音楽やサンプリング、デジタル編集なども、この「録音を創作に使う」という発想の延長線上にある。

録音技術の進歩は、音楽を「どう聴くか」だけでなく、「どう作るか」までも変えてしまったのである。


音楽は外へ出ていく
⸻ カセットテープとウォークマン

磁気テープは、放送局や録音スタジオで音楽の作り方を大きく変えた。

しかし、そこで使われていたオープンリール式のテープレコーダーは、むき出しのテープをリールに取り付け、正しく巻き掛けなければならない。機器も大きく、一般の人が気軽に録音を楽しめるものとは言い難かった。

この複雑な録音機を、もっと小さく、誰でも簡単に扱えるものにできないだろうか。

その課題に取り組んだのが、オランダの電機メーカー、フィリップスだった。

開発を率いたのは、同社の技術者ルー・オッテンスである。彼が目指したのは、録音機を片手で持ち運べるほど小さくし、専門的な知識がなくても迷わず使える形へ作り直すことだった。

開発チームは、細い磁気テープをケースの中に収め、絡ませることなく安定して走らせる仕組みを考えなければならなかった。さらに、小型化しながら十分な録音時間と実用的な音質を確保する必要もあった。

そうした試行錯誤の末、1963年、フィリップスはコンパクトカセットと、それを使用するカセットレコーダーを発表した。

世界初のコンパクトカセットレコーダー「Philips EL3300」(1963年)
Photo:Erkaha / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

さらにフィリップスは、技術仕様を守ることを条件に、他社へ規格を無償でライセンスするという判断を下す。自社だけで囲い込むのではなく、多くのメーカーが採用できる共通規格とすることで、コンパクトカセットを世界へ広げようとしたのである。

その結果、多くのメーカーが対応製品を開発し、1960年代後半にかけてカセットテープは世界へ広まっていった。

当初は会話や口述記録などを主な用途としていたが、テープや録音機の改良によって音質が向上すると、音楽を録音し再生する媒体としても使われるようになった。

カセットがもたらした最大の変化の一つは、録音を一般の人々の手にまで広げたことだった。

ラジオ番組を録音したり、自分で選んだ曲を一つのテープにまとめたり、お気に入りの曲だけを集めた「ミックステープ」を作ったり、家族や友人に録音したテープを渡したりする。

音楽は、「買って聴くだけ」のものではなくなっていった。

家庭にはカセットデッキが普及し、自動車ではカセットを再生できるカーステレオが広まり、ラジオとカセットを組み合わせたラジカセも人気を集める。音楽は少しずつ、人々の暮らしのさまざまな場所へ広がっていった。

そして、音楽を場所から解放するもう一つの道具も、すでに発展していた。

現在のヘッドホンにつながる両耳型の装置は20世紀初頭に登場し、当初は無線通信や軍事などで使われていた。1950年代には、ステレオ音楽を楽しむためのヘッドホンも登場する。

こうして1970年代には、カセットと小型の再生機、ヘッドホンを組み合わせ、音楽を持ち歩いて一人で聴くための条件が整いつつあった。

そして1979年、その聴き方を世界的に広める製品が登場する。

ソニーのウォークマンである。

1979年に発売された初代ウォークマン「TPS-L2」
Photo by Anna Gerdén / Tekniska museet / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

ウォークマンが音楽を持ち歩くという発想そのものを生み出したわけではない。持ち運べるテープレコーダーも、ヘッドホンで音楽を聴く方法も、すでに存在していた。

それでもウォークマンは、録音機能やスピーカーを省き、再生専用の小型機と軽量なヘッドホンを組み合わせることで、「一人で、移動しながら音楽を聴く」という体験に製品を特化した。

その分かりやすさと使いやすさによって、ウォークマンは世界的なヒットとなり、個人用の携帯音楽プレーヤーを象徴する名前になっていった。

好きな音楽を、一人で、移動しながら聴く。
その体験は、その後CDプレーヤーやデジタルオーディオプレーヤー、そしてスマートフォンへと受け継がれていく。

音楽は、一人ひとりと一緒に街を歩くものになった。



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