進撃の巨人|進撃の読書感想文 第2章 運命ではなく因果を考える(感想・考察)

『進撃の巨人』を読み返すたびに、物語の中で起きた出来事が「運命だったのか、それとも別の可能性があったのか」という問いが強く残ります。特にエレン・イェーガーの歩みを追うと、彼の選択は単なる必然ではなく、複雑な因果の流れの中で揺れ動いていたように思えます。本稿では、読後に抱いたこの疑問を手がかりに、エレンの選択を“運命”ではなく“因果”として捉え直していきます。

進撃の巨人の中で語られた出来事の多くは、後から振り返るとそうなるしかなかったと思えてしまうほど、強い必然性を帯びています。しかし、その必然は本当に運命と呼べるものだったのでしょうか。


第1節:母の死が必要になった理由

物語の最終話で語られたエレンの告白がある。
「ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった……だから見逃して……向かわせたのは……」

この言葉によって、あの日の惨劇はエレン自身の選択によって生まれた、という解釈が一般的になりました。同時に、これをエレンが選んだことだと受け入れることで、彼が抱える絶望の細部を検証する視点が止まってしまったようにも見えます。

母が食われる悲劇がなければ、エレンは復讐へと向かわず、歴史が動き出さなかったという見方も成り立つように思えます。
しかし、作中の事実を並べると、一つの疑問が浮かびます。

そもそも、母の死はエレンが巨人の力を継承するための必須条件ではありません。
父グリシャの13年の任期は母の死に関わらず訪れます。そしてエレンに食われる時点で、グリシャは既に「進撃」と「始祖」の両方を宿しています。つまり、カルラが生きていたとしても、エレンが父から力を継承し、壁の外を目指すという未来は変わらなかったように思える。

「一生壁の中から出られなくてもメシ食って寝てりゃ生きていけるよ……でも、それじゃ……まるで家畜じゃないか」と言っていた少年エレン。エレンが調査兵団に入りたいと思っていることを、ミカサはカルラに話した。

母の死がなくても、エレンは巨人の力を継承し調査兵団に入り、壁の外を目指したはずです。「あの日」以前のエレンはすでに自由を求め、外の世界へ向かう方向性を持っていたように見えます。
カルラの死はエレンの進む方向を変えたというより、自由への衝動を憎悪へと変質したと思えます。

仮に「始祖」が過去の巨人を操作でき、歴史の整合性を守るためにベルトルトを生き残らせる必要があったとしても、それはダイナ巨人の意識を逸らして見逃すだけで達成できるはずです。
ではなぜ、そこからさらに母の元へ向かわせるという、彼自身にとって痛みを伴う操作が行われなければならなかったのか。
過去も未来も同時に存在するという言葉だけでは、因果が閉じているようには思えない。

第2節:「記憶の誘導」と「肉体の操作」

エレンが過去に介入したとされる二つの事例を比べると、そこには性質の違いがあるように見えます。
一つは、父グリシャへの介入です。エレンが行ったのは、あくまで「都合の良い未来の記憶」を見せることで、父の背中を押すという精神的な誘導でした。グリシャは悩み、絶望しながらも、最終的には自らの意志でレイス家を手にかけました。これは記憶を介した意志への働きかけだと思います。

一方で、ダイナ巨人がベルトルトを見逃し、カルラの元へ移動した行為は、心への働きかけというより、行動そのものに変化が生じているように思えます。
無垢の巨人の中には言葉を話す個体はいますが、会話などを通じて意志に介入することは難しいように思われます。奇行種が意識レベルで操作されている可能性は否定できませんが、作中ではエレンがそうした操作を行った描写はなかったと思います。
エレンがグリシャに未来の記憶を見せて心を揺らす精神的な誘導とは、性質が異なるように感じます。

エレンはかつてダイナ巨人に触れた際、座標に繋がり、一瞬だけ無垢の巨人を操作しました。しかし、それは目の前に存在する巨人を、その瞬間に操ったに過ぎません。当時のエレンが未成熟だったことを差し引いても、今そこにいる個体を動かすことと、時間を遡って過去の個体を肉体的に操作することは、まったく別の次元の話だと思うのです。

本来、エレンが巨人の肉体を直接操作できたのは、ダイナ巨人との接触による無垢の巨人の操作や、ジークとの接触による壁の巨人の操作から地鳴らし発動に至る場面など、王家の血を引く者と接触している時だと考えられます。

作中には、エレンが過去のダイナ巨人を具体的に操作する描写がありません。描かれているのは、あくまで向かわせたという事後の言葉だけで、その過程は示されていません。

もし、過去の巨人を操作できるのであればダイナ巨人の意識を逸らして見逃させるだけでベルトルトは助かり、目的は達成されます。それなのに、なぜわざわざ母の元へ向かわせるという、自分を最も傷つける追加の強制が必要だったのか。

ジークは、「都合の良い記憶だけをグリシャに見せて過去に影響を与えることも可能なはず」と言っていました。この言葉は、そのままエレン自身にも適用できるのではないでしょうか。都合の良い記憶や動機を見せられていたのは、グリシャだけではなかったのかもしれません。

第3節:説明のズレ

エレンが自らの意志で母を殺したのだとしたら、作中の彼の感情は矛盾を孕むことになるように思えます。
物語の終盤、地鳴らしがマーレ大陸に上陸する際、エレンの脳裏には母が捕食される光景が浮かび、強烈な怒りとともに「駆逐してやる……この世から一匹残らず」という言葉が吐き出されています。

もし、この惨劇の引き金を引き、母の元へ巨人を向かわせたのがエレン自身の意志による選択だったなら、この時の凄まじい怒りは一体誰に向けられたものだったのかという疑問が残ります。

ここでもう一つ、見過ごせない点があります。あの瞬間、エレンが向き合っていたのは、パラディ島の殲滅を望む世界全体でした。凄惨な地鳴らしの遂行のためらいを断ち切るための怒りを呼び起こすのであれば、本来想起されるべきは、今まさに立ち向かっている世界そのものへの憎悪だったはずです。
ところが地鳴らしでマーレ上陸時に差し込まれたのは、母の死でした。母親の記憶が呼び起こす感情の対象は「巨人」(「駆逐してやる……この世から一匹残らず」)なのに、その感情を燃料にして実行される行為は「人間の大量虐殺」です。

つまり、目の前の敵と想起される記憶の対象が噛み合っていない。感情の対象(巨人)と行為の対象(人間)がズレている。それは、巨人を利用している世界そのものへの怒りなのかもしれませんが、しかしそれでも、どこか飛躍しているような印象は拭えません。

過去を操作して、自分で仕組んだ惨劇に対して、自分を奮い立たせるために怒るという精神構造は、自然なものには見えません。
進撃の巨人という、人間の複雑な心理を緻密に描いてきた物語において、この精神構造を自己暗示や動機の強調として片付けるには、歪なねじれを感じます。

エレン自身、アルミンに対し「頭がめちゃくちゃになっちまった……始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い……同時に存在する。だから……仕方が無かったんだ。」と吐露しています。彼は全能の神のような存在ではなく、断片的に見えてしまった結末と、変えられないプロセスの狭間でもがき続けていたように見えます。

この言葉は、弱音や混乱として受け止めることもできたはずのものです。しかし、誰もそれに寄り添って耳を傾ける余裕がなく、また他に説明が見当たらなかったため、結果的にまともな説明として受け入れられたように見えます。

自由を求めて進み続けた少年が、なぜ最後に、最も自分を苦しめるはずの地鳴らしの発動と、母の死の光景に辿り着いたのか。その過程に、彼個人の意志を超えた、何かが介在していたのでは、と思うようになりました。

第4節:最初の1回目

ここで、因果の起点となる最初の1回目ということを考えました。ここでの「最初の1回目」とは、未来のエレンによる介入を切り離した場合に何が起きるか、を見るための仮定です。

未来のエレンが過去を操作して、母を失い、復讐を誓うエレンの憎悪が必要だとすれば、その未来のエレンが誕生するためには、まず介入のない最初の1回目において、母・カルラが死ぬという展開が不可欠になります。

しかし、もし誰の操作も介在しなければ、あの日ダイナ巨人は目の前にいたベルトルトを本能のままに捕食し、人間に戻っていたはずです。その場合、カルラが捕食される悲劇は起こらず、エレンの自由への渇望が巨人を一匹残らず駆逐するという凄まじい憎悪へと変質する起点も失われてしまいます。

未来のエレンに到達するまでにカルラの死が必要だったとすれば、そのために未来のエレンは過去を操作してダイナ巨人を向かわせたことになります。裏を返すと、ダイナ巨人を操作しなければ未来のエレンに到達できない。であれば、そもそもカルラは喰われないことになる。そうすると、私たちが知っている未来のエレンには到達することはできない。では、私たちの知っている未来のエレンに到達できたのは、いったい何故だったのか。

「過去も未来も同時に存在する」という始祖の力の性質は、あらゆる事象を説明してしまう万能の言葉として効きすぎていないでしょうか。過去も未来も同時に存在していたとしても因果や原因性は無視しても良いわけではないと思います。
エレンは「オレが……向かわせた」と自白しましたが、それは彼自身の選択だったのでしょうか。それとも、彼はすでに抗いようのない因果の中を進まされていたのかもしれません。

エレンという一人の少年の意志を超え、地鳴らしへと向かう生存戦略に引きずり込もうとする何か。
エレンの選択とは本当に彼自身の意志だったのか、疑問が残ります。
この因果の正体に触れるためには、この世界を動かす生命の理そのものを見つめ直す必要があります。

この先の内容について

第2章までで、見えてきたものはあります。その先は、ここまでの言葉ではうまく形にできない部分が多く残っています。個人の意志だけでは説明しきれない部分。

物語の外側にあるようで、どこか内側にも影響している流れ。
そこに踏み込もうとすると、ここまでの整理だけでは届かないところが出てきました。

第3章以降では、その届かなかった部分を、少しずつ別の角度から見ていきます。
有機生物の起源やユミル、アッカーマン。
山小屋の記憶や、エレン・イェーガーという人物。
それらを並べていくと、ひとつの考えがまとまりました。
この先も読んでいただけたら、幸いです。

【次の章】
▶ 第3章:世界の大いなる流れ

【マガジンでまとめて読む】
▶ 進撃の読書感想文

ここまでの内容を読んでいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!