【手放すこと#88】すでにそうであるものと、戦うのをやめる
こんにちは。ピアノ講師・メンタルコーチの One Heart です。
はじめましての方は、こちらをごらんください。
今日は、「差取り」の日。
いつも読んでくださっているみなさん、
ほんとうにありがとうございます😊
今週も、「差を取って」いきましょう。
さて、1週目の今回は『新作の日』。
今回は、「受け入れる」ということについて、書いてみたいと思います。
「受け入れる」
「あるがまま」
「いまを生きる」
「抵抗しない」
こういう言葉は、少しスピリチュアルっぽく聞こえるかもしれません。
わたし自身も、こういう言葉を聞いたときに、
どこか美しくて、やさしくて、
でも同時に、少し遠い言葉のように感じることがあります。
受け入れる。
あるがままを見る。
抵抗しない。
言葉としては、とてもきれいですよね。
でも、実際に苦しみの中にいるとき、
「受け入れましょう」と言われても、
そんなに簡単に受け入れられないことがあります。
悲しいものは、悲しい。
悔しいものは、悔しい。
怖いものは、怖い。
納得できないものは、納得できない。
それなのに、「受け入れる」という言葉を聞くと、
まるで、自分の苦しみまで否定されているように感じることがあります。
受け入れられないわたしは、未熟なんだろうか。
まだ抵抗しているわたしは、わかっていないんだろうか。
いつまでも苦しんでいるわたしは、心が弱いんだろうか。
そんなふうに、「受け入れる」という言葉が、
かえって自分を責める材料になってしまうこともあるんです。
でも、今回あらためて感じたのは、
受け入れるとは、無理に納得することではない、ということ。
つらい現実に対して、「これでよかった」と、きれいごとのようにまとめることでもない。
好きになる必要はないし、すぐに前向きになれなくてもいいし、
心から「はい」と言えなくてもいい。
ただ、すでにそうであるものを、
「そうである」と見ること。
そこに気づくことが、「手放すこと」の最初のきっかけなのかもしれません。
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「すでにそうであるもの」と戦っているとき
わたしたちは苦しいとき、目の前の状況そのものに苦しめられているように感じます。
もちろん、できごとそのものの痛みはあります。
身体が思うように動かないとか、大切なものを失ったとか、
相手から期待した反応が返ってこなかったとか。
思っていた自分になれていないことだったり。
そういう痛みは、たしかにあります。
けれど、その痛みの上に、もうひとつ重なっているものがあることがあります。
「こんなはずじゃなかった」
「どうしてこうなったの?」
「早く違う状態にならなければ」
…こうした内側の抵抗です。
現実そのものの痛みと、現実への抵抗から生まれる苦しみ。
このふたつは、とてもよく似ているけれど、少し違います。
たとえば、体調が悪い日があるとします。
身体が重い。
頭が痛い。
思うように動けない。
それだけでも十分つらいのに、そこに、
「また今日もできなかった」とか、「こんな自分ではだめだ」、
「もっと元気でいなければ」、「どうしてわたしはこうなんだろう」
という思考が重なると、苦しみはどんどん大きくなっていきます。
身体の不調だけではなく、
“不調である自分を責める苦しみ”まで背負うことになるんです。
これは、人間関係でも、仕事でも、発信でも、日常の小さなできごとでも同じなんだと思います。
相手から返事がこない。
思ったような反応がない。
期待した結果が出ない。
予定していたことがうまく進まない。
こんなふうに考えるわたしたちの頭の中は、目の前の現実だけではなく、
“そうであってほしくなかった現実”とも戦っているんです。
この戦いが、苦しみを深くしていくのかもしれません。
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苦しみは、状況だけでできているわけではない
こうやって書くと、「じゃ、そう考える自分が悪いということ?」と考えがちですが、そういう話ではないんです。
悲しいことは悲しい。
傷つくことは傷つく。
怖いことは怖い。
失ったものは、失ったものとして痛い。
そこをなかったことにはできません。
「状況に抵抗するから苦しい」と聞くと、少し厳しく感じるかもしれませんね。
でも、わたしがここで見たいのは、責めるための原因探しではないんです。
苦しみの中にいる自分を、もう少しやさしく、正確に見るためです。
いま、自分は何に痛みを感じているのか。
そして、その痛みに対して、どんな抵抗を重ねているのか。
「これは起きてはいけなかった」
「わたしはこんなふうに感じてはいけない」
「早く抜け出さなければならない」
「まだ苦しんでいる自分はだめだ」
そんなふうに、痛みの上からさらに自分を押さえつけていないか。
そこに気づくだけでも、苦しみの質が少し変わっていくんです。
すでにそうであるものと戦っているとき、
わたしたちは現実だけでなく、
それを受け入れられない自分とも戦っているのかもしれません。
できごとはすぐに変えられなくても、
そのできごとに対して、自分の内側でどんな力みが入っているのかを見ることはできる。
「受け入れる」とは、その力みに気づくことから始まるのかもしれません。
とはいっても、「すでにそうであるものを受け入れる」と言われても、
どうしても受け入れられないことってありますよね。
頭ではわかるけど、心が追いつかない。
そんなときもあります。
では、外側の状況を受け入れられないとき、
わたしたちはどこから「手放すこと」を始めればいいと思いますか?
ここで手がかりにしたいので、エックハルト・トールさんの言葉です。
トールさんは、「いまにあること」や「あるがままを受け入れること」について語っている方です。
そのトールさんは、外側の状況を受け入れられないときのために、
もうひとつのきっかけを示しています。
外側を受け入れられないなら、
せめて内側にあるものを受け入れる。
つまり、目の前の現実をすぐに受け入れられないときは、
その現実に反応している自分の苦しみに、まず抵抗しない、ということが言いたいのではないかと思います。
ここから先では、「差取りマガジン」の中で、
「受け入れること」や「手放すこと」を、もう少し日常的な感覚に置き換えて見ていきたいと思います。
特に、次のようなことについて書いています。
外側の状況を受け入れられないとき、内側の苦しみをどう受け止めるのか
感情にすぐレッテルを貼らず、苦しみを観察するとはどういうことか
「手放す」とは、感情を消すことではなく、抵抗している力をゆるめること
この記事で持ち帰っていただきたいのは、
「受け入れられない自分はだめなのだ」と責めるのではなく、
「現実への抵抗」と「自分への責め」を分けてみる視点です。
現実をすぐに好きになれなくてもいい。
納得できなくてもいい。
前向きに捉えられなくてもいい。
それでも、いま自分の内側で起きている苦しみに気づくことで、
握りしめていた抵抗が、ゆるんでいくのがわかります。
この先は、
「受け入れなきゃ」と思うほど苦しくなる方、
頭ではわかっているのに心が追いつかない方、
つらい感情を早く消そうとして、かえって苦しくなってしまう方に、
特に読んでいただけたらと思います。
「手放すこと」は、無理に納得することではありません。
受け入れられない自分を責めるのではなく、
その抵抗の奥にある苦しみを、まず認めること。
そのことについて、もう少し深く書いていきます。
今回も長いので、ゆっくり読み進めてくださいね。
立ち止まってもOK。何度でも戻ってきてください。
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ご自愛の哲学 〜“差”取りのすすめ〜 このマガジンは、「責めない・比べない・争わない」という“差取り”の視点を通して、 日々の中にある「ほ…
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