【手放すこと#90】痛みが「わたしの物語」に変わるとき
こんにちは。ピアノ講師・メンタルコーチの One Heart です。
はじめましての方は、こちらをごらんくださいね。
今日は、「差取り」の日。
いつも読んでくださっているみなさん、
ほんとうにありがとうございます😊
今週も、「差を取って」いきましょう。
さて、1週目の今回は『新作の日』。
今回は、傷ついた経験が、いつの間にか「かわいそうなわたし」という自己像に変わっていくことについて、書いてみたいと思います。
つらいできごとがあったとき、
「わたしは傷ついた」と感じること、ありますよね。
けれど、その痛みを何度も頭の中でたどっているうちに、
「わたしは傷つけられる人間なんだ」
「わたしは大切にされない人間なんだ」という、
自分自身を見るときの前提に変わってしまうことがあります。
心の苦しみや、思考との向き合い方について書いているエックハルト・トールさんは、これを「被害者アイデンティティ」と表現しています。
ちょっとキツい言葉に聞こえますが、
傷ついた人を責めるための言葉ではありませんので安心してくださいね。
傷ついた経験と、
その経験をもとに作られた「わたしの物語」。
今回は、その二つの間にある“差”を、見ていきたいと思います。
✧✧✧
傷ついたあと、頭は「わたしの物語」を作りはじめる
誰かの言葉に傷ついたときや、
大切にしていたものを失ったとき。
頭の中では、いろいろな考えが動きはじめます。
つらいことが起きたあと、
何も考えずに、すぐ気持ちを切り替えられる人の方が少ないですよね。
きっと、何が起きたかを理解したいと思います。
または、自分が悪かったわけではないと確かめたいかもしれません。
頭は頭なりに、傷ついた自分を守ろうとしているんだと思います。
だから、起きたできごとについてぐるぐる考えてしまうこと自体を、責めなくてもいいんです。
それだけ、心に残るできごとだったということでもあるから。
ただ、同じことを繰り返し考えているうちに、「わたしは傷ついた」というひとつの経験が、「わたしは大切にされない人間なのかもしれない」という、自分を見るときの前提に変わっていくことがあります。
もともとは、「わたしに起きたこと」だったはずです。
これは事実として。
けれど、いつの間にかそれが、「わたしは、こういう人間なんだ」という自分像へ変わっていく。
これが、トールさんの言う「被害者アイデンティティ」につながっていくんだと思います。
一度その見方が自分の中にできると、過去のできごとだけではなく、いま目の前で起きていることも、その物語を通して見るようになります。
誰かからの返事が少し遅いだけで、
「やっぱり、わたしは大切にされないんだ」と思ったり。
目の前で起きていることを見ているようで、
過去の痛みを通して、その意味を受け取っていることがあるんです。
過去のできごとそのものが、
いまを決めているというよりも、
そのできごとから生まれた「わたしの物語」が、いまの見え方に重なっている。
まずは、そのことに気づくところからなのだと思います。
✧✧✧
そもそも「被害者アイデンティティ」という言葉が、ちょっとわかりにくいですよね。
簡単にいうと、「わたしはかわいそうな人だ」という自分像を持つことです。
つらいできごとがあったり、誰かに傷つけられた経験をしたり、大切にしてもらえなかったり、人はいろんな経験をします。
その経験を何度も振り返るうちに、「わたしは傷ついた」という気持ちが、「わたしは傷つけられる人」「わたしは大切にされない人」という、自分を見るときの前提に変わっていくことがあります。
起きたできごとについて考えていたはずなのに、いつの間にか、「わたしはこういう人」という自分像になっていく・・・。
これが、トールさんの言う「被害者アイデンティティ」、いわゆる「かわいそうなわたし」なのだと思います。
こうして「わたしはこういう人」という自分像ができていくことなら、わたしにも思い当たることがあります。
子どものころ、わたしは母からよく、「要領が悪い」と言われていました。
当時は、それなりに傷ついていました。
なにかにつけて、「遅い、もっと早くしなさい」と言われていたので、いつの間にか、「お母さんから、要領が悪いと言われた」というひとつのできごとではなく、「わたしは、要領の悪い人なんだ」という、自分を見るときの前提になっていったんですよね。
そしてそこから、「人より時間がかかる自分はダメ」「もっと早く、ちゃんとできなければ」という思いにもつながっていきました。
今振り返ると、「要領が悪い」=わたし、ではないんです。
母から見た、当時のわたしへのひとつの見方だったはずです。
でも、子どものころのわたしは、その言葉と自分自身を分けて考えることができなかった。
「言われたこと」が、いつの間にか「わたしはこういう人」に変わっていたんです。
でもいまでは、この解釈が変わりました。
「要領が悪いから遅い」のではなく、「ひとつひとつ丁寧にやるから、時間がかかるんだ」と思えるようになったんです。
※この「要領が悪いわたし」という思い込みについては、以前の【手放すこと#85】でも詳しく書いています。
被害者アイデンティティも、似たところがあるのではないでしょうか。
ひとつのつらい経験が、「わたしは傷ついた」から、「わたしは傷つけられる人」へ変わっていく。
できごとそのものよりも、そこから作られた自分像を、いつの間にか「わたし」だと思うようになるんです。
ただ、ここで大切なのは、「かわいそうなわたしになってはいけない」と、自分を責めることではありません。
むしろ、それほどつらかったんだと思います。
ここで見ていきたいのは、「わたしは傷ついた」という経験と、「わたしは、かわいそうな人だ」という自分像。
このふたつは、本当に同じなんだろうか、ということです。
できごとによって傷ついたことと、そのできごとをもとに自分自身を決めてしまうことの間には、わずかな“差”があります。
その差に気づけると、「あの人が悪かったのか、わたしが悪かったのか」というところだけにとどまらず、「いまのわたしは、どうしたいんだろう」と、自分のこれからへ意識を向けることができます。
では、ひとつの痛みは、どのようにして「かわいそうなわたし」という自分像へ変わっていくのでしょう。
ここからは、もう少し深く、差取りマガジンの中でお伝えしていきます。
有料パートでは、
痛みが、どのように「かわいそうなわたし」という自分像へ変わっていくのか
なぜ頭は、その物語を繰り返してしまうのか
傷ついた自分を否定せずに、自分の人生の主導権をもう一度持つにはどうしたらいいのか
ということを見ていきたいと思います。
この記事で持ち帰っていただきたいのは、
「わたしは傷ついた」という経験と、
「わたしは傷つけられる人間だ」という自分像は、同じではないということ。
そして、過去のできごとや相手に、自分のこれからまで決めてもらわなくていい、という視点です。
つらかったできごとを、何度も頭の中で振り返ってしまう方。
「あの人が変わってくれたら」と思いながら、なかなか気持ちが前に進まない方。
「かわいそうなわたし」という言葉に、少しドキッとした方にも、読んでいただけたらと思います。
被害者アイデンティティに気づくことは、自分を責めるためではありません。
むしろ、「わたしは、ここからどうしたいのだろう」と、自分の人生へ意識を戻すためです。
過去をなかったことにするのではなく、過去に自分の主導権を預けたままにしないために。
ここから、一緒に見ていきましょう。
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