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SNSという「言論空間」と憲法・民法・刑法等の役割


はじめに

 現代社会において、SNSは、単なる私的な連絡ツールを超え、主権者たる国民が情報を発信し、世論を形成するための重要な「言論空間(インフラ)」となっています。指先ひとつで世界中へ瞬時に、そして容易に発信できるSNSは、個人の表現活動を画期的に拡張しました。これによりSNSは、民主主義を実現するための理想的な「公共広場(パブリック・フォーラム)」になると期待されています。
 しかし、その強力なシステムは、深刻な権利侵害を引き起こす「諸刃の剣」でもあります。アメリカの高名な情報エコシステム研究者であるルネ・ディレスタによれば、現在、SNSは「公共広場」というより、むしろ一人ひとりに最適化された「オーダーメイドの現実(ビスポーク・リアリティ)」を盾に、死闘を繰り広げる「ローマの闘技場」と化しつつあると主張しています。この歪んだ空間を支配しているのが、インフルエンサー、アルゴリズム、そして群衆が相互に増幅し合う「三位一体のシステム」です。このシステムのもとでは、十分なファクトチェックを経ずに、ボトムアップで猛烈なスピードで噂が拡散され、「トレンドになれば真実になる」という荒廃した言論環境が作り出されています。
 このような環境の中、SNS上での悪質な誹謗中傷、プライバシーの侵害、AIを用いた性的フェイク画像の拡散、あるいはSNSを「餌場」とした「闇バイト」による凶悪犯罪への加担など、個人の尊厳や社会の平穏を脅かす「負の側面」が急速に拡大しています。
 法学では、これらの問題を、「国家」「SNS事業者(プラットフォーム事業者)」「ユーザー」の三者からなる「三面関係」として整理しています。国家はどこまで表現を規制すべきか、圧倒的な影響力を持つ「社会的権力」としての事業者にはどのような責任があるのか、そして私たちユーザーにはどのような自律的ルールが求められるのか、などが問題になります。
 以下では、すでに公表した、SNSの弊害と選挙制度の危機に関する論考https://note.com/nabe_2023/n/nb6bfda4e4fe6
を踏まえ、「アテンション・エコノミーが有権者の熟考を奪う病理」や「メディアの過剰な配慮が生む報道の空白」、そして「法とテクノロジーによる環境デザインと、個人レベルの情報摂取の作法という倫理の両輪」という問題意識をベースにして、法学入門者に向けて、具体的な3つの事例[ケース]を通じて、わが国のSNS規制の全体像と個人の権利保護のあり方を考えていきます。

事例1:SNS上の「誹謗中傷」と「加担」の民事責任

【ケース】 Xさんは、真偽不明のネット上の噂に基づき、「実業家Yは過去に反社会的な交際があり、経営する会社の資金を流用した」という中傷投稿をSNS上で行いました。この投稿は、Yさんの実名や顔写真と共に、爆発的にリポストされ、多数の「いいね」が集まる「炎上」状態に発展しました 。そのため、Yさんは社会的信用を失い、精神的にも深刻な苦痛を受けました。


1.「名誉毀損」等に対する不法行為責任

 被害者のYは、投稿者Xに対し、名誉毀損または名誉感情の侵害、プライバシーの侵害による不法行為に基づく損害賠償を請求できます(民法709条)。

名誉毀損
 「名誉」とは、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を指します。SNS上で、不特定または多数の閲覧者が認識できる状態で、この社会的評価を低下させるような具体的事実(例えば、不適切な交際や資金流用など)を書き込んだ場合、「名誉毀損」が成立します。 しかし、①公共の利害に関わる事項であり、②もっぱら公益を図る目的であり、③摘示された事実が主要な点において真実であるという場合は、表現の自由への配慮から「違法性」が阻却(否定)されます。また、仮に真実であるとの証明ができなくても、④真実と信じるに足りる相当な理由(確実な資料や裏付け)がある場合には、故意・過失(帰責性)が否定され、いずれの場合も不法行為は成立しません。
 [ケース]のXさんは、「裏取り」のされていない噂を書き込んだに過ぎず、真実性の証明も相当な理由もないため、免責されません。

名誉感情の侵害
 社会的評価の低下に至らなくても、本人が自己自身の人格的価値について有する主観的な評価である「名誉感情」を傷つけられた場合、その加害行為の内容・態様が「社会通念上受忍すべき限度」を超える場合は、違法性が認められます。

プライバシーの侵害
 実名や顔写真、みだりに公表されたくない私生活上の事実(前科や病歴など)を無断で公開した場合も、不法行為となります。プライバシー侵害の判断では、表現の自由に一律に優越させることなく、「公表される側の利益・事情」と「公表する側の利益・事情(表現の自由、公共性)」を個別・具体的に比較衡量します。


2.インターネット特有の「加担行為」に対する不法行為責任
 

 [ケース]では、元投稿者のXさんだけでなく、多数の他ユーザーがリポストや「いいね」を重ねる「群衆の力」によって、侵害が大きく増幅されています。

リポスト(拡散)
 他人の中傷投稿をリポストする行為について、判例(大阪高判令和2年6月23日等)は、ユーザー自身がフォロワーに対し、元ポストの内容に賛同する意思を示す表現行為であるとされています。リポストによって、他人の社会的評価を低下させる表現内容を自身のアカウントのフォロワーが閲読可能な状態に置いた場合、リポストした動機や意図に関わらず、原則としてそのユーザー自身も不法行為責任を負います。

「いいね」
 単に「いいね」を押す行為は、抽象的かつ多義的な感情表現にとどまるため、原則として不法行為とは評価されません 。しかし、①「いいね」によって示される好意的・肯定的な感情の対象や程度が特定でき、②それ自体が特定の者に対する侮辱行為と評価でき、③加害の意図をもって執拗に繰り返されているなど、極めて悪質な例外的事情がある場合には、名誉感情の侵害として違法と判断され、賠償責任を負うことがあります(東京高判令和4年10月20日、最決令和6年2月8日で確定)。

「炎上」と共同不法行為
 個々の加害者による一つひとつの投稿やリポストは、単独では結果の一部しか惹起せず違法と断定しにくい場合であっても、全体として集合的に甚大な精神的・社会的ダメージを与えます。そのため、「炎上」に加担した一人ひとりは「自分は1回リポストしただけ」「自分の投稿だけでは被害は生じていない(因果関係がない)」と言い訳をするかもしれません。しかし、民法上、複数の行為者が相通じることなく個々に加害行為を行った場合であっても、それらが客観的に強く関連し合って一体の損害を生み出したと評価できれば、「客観的関連共同」として全体に連帯責任を負わせる「共同不法行為(民法719条)」の成立が考えられます。ネットの群衆に紛れたとしても責任は免れないという、強力な法的警鐘といえます。


事例2:ネット中傷、性的ディープフェイク、闇バイトの刑事責任

【ケース】 高校生のAさんは、特定の同級生に対し、連日SNSの「ダイレクトメッセージ」を用いて「死ね」「バカ」といった人格否定の言葉を直接送り続けました。また、Aさんはお小遣い稼ぎのためにSNSのタイムラインを見ていたところ、「高額即金・荷物を受け取るだけ」というアルバイト募集に応募し、指定された場所へ向かったところ、特殊詐欺の「受け子」を強要されました。


1.誹謗中傷に対する刑事罰


 SNS上の苛烈な誹謗中傷が社会問題化し、尊い命が失われる事態の発生を背景に、わが国の刑事法はネット中傷の厳罰化へ舵を切りました。
名誉毀損罪(刑法230条)と侮辱罪(同231条)
 事実を指し示して他人の社会的評価を下げる行為には名誉毀損罪が、具体的な事実を伴わずに「死ね」「バカ」などと他者を蔑む行為には侮辱罪が適用されます。特に、侮辱罪については、インターネットの非対面ゆえの攻撃のエスカレートや拡散の不可逆性を重く見て、2022年の法改正により、従来の極めて軽微な法定刑(拘留・科料)に、「1年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金」が追加されました。
「公然性」という刑法上の高い壁(DMの事例)
 しかし、これらの犯罪が成立するためには、「公然と(不特定または多数の人が認識できる状態)」行われることが必要不可欠です。 したがって、[ケース]のAさんのように、「ダイレクトメッセ-ジ DM」を通じて直接相手に誹謗中傷を浴びせかける行為は、複数の匿名アカウントを利用した場合であっても、非公然であるために侮辱罪や名誉毀損罪を適用して処罰することは原則困難です。このように、甚大な精神的被害をもたらしながらも既存の刑法犯で捕捉できない間隙を埋めるため、「著しい精神的苦痛を与えられない利益」そのものを保護する新たな犯罪類型の創設といった立法論も主張されています。


2.性的ディープフェイクと現行刑事法の限界


 生成AIの急速な発展により、他人の顔写真を無断で性的な画像や動画に精巧に合成する「性的ディープフェイク」の拡散が、個人の精神を破壊する極めて深刻な問題となっています。
判例(東京地判令和3年9月2日)は、被害者が実際にアダルトビデオに出演したという事実を摘示したとして名誉毀損罪の成立を認めました。しかし。「フェイクである旨の但し書きが明記されている場合は誤信の危険性をどこまで認定すべきか」という問題や、「AVへの出演事実が社会的評価を低下させるというロジック自体が職業差別にあたるのではないか」という批判など、多くの課題を抱えています 。
  さらに、現行の「性的姿態撮影等処罰法」や「リベンジポルノ防止法」は、いずれも「実在する身体を撮影した記録」の提供等を処罰対象としているため、他人の顔を無関係の性的画像に接合した「AI合成動画」には直接適用できません。刑事法には、法律の定めのない行為を類推して処罰することを禁じる「罪刑法定主義(類推解釈の禁止)」という大原則があるためです。この致命的な処罰の間隙を埋めるには、「イメージに基づく性的虐待(Image-Based Sexual Abuse)」として包括的に処罰する、新たな保護法益に基づく刑事立法の導入が有力に主張されています。

3.「トクリュウ」と「闇バイト」の罠


 [ケース]でAさんが足を踏み入れた「闇バイト」は、SNSが組織犯罪の「実行犯調達のためのインフラ(餌場)」として悪用されている深刻な現状を物語っています。 その背後に存在するのが、「匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)」です。
 彼らは、暴力団とは異なり、中核メンバーが徹底して身元を匿名化しつつ、SNS上で「高額報酬」「安全なホワイト案件」といった甘い言葉で、判断力の不十分な若年層をボトムアップで引き込みます。一度応募すると、身分証などを人質に取られて脅迫され、特殊詐欺や強盗などの凶悪犯罪の使い捨ての実行犯(受け子や叩き役)へと仕立て上げられます。 たとえ若者が「甘い言葉に騙された被害者」の側面を持っていたとしても、強盗や詐欺という客観的犯罪を実行した以上、共同正犯等として厳しく処罰されます。

事例3:投稿の削除対応とプラットフォーム事業者の「表現の自由」

【ケース】 Zさんは、SNS上に自身の過去の逮捕歴(不起訴処分)がいつまでも投稿として残っており、検索エンジンやSNSの検索機能で実名を入力すると即座に表示されるため、社会生活の平穏を著しく害されています。Zさんは、SNSを運営するプラットフォーム事業者に対して、投稿の削除を繰り返し要請しましたが、事業者側は「ユーザーの表現の自由を守る必要があり、民間企業による削除の強制は実質的な検閲に該当する恐れがある」として、削除に応じません。


1.三面関係における「検閲」と「私人間効力」



 プラットフォーム事業者が行う投稿の削除やアカウントの凍結(コンテンツ・モデレーション)に対し、「憲法が保障する表現の自由を侵すものであり、禁じられた検閲である」という抗議がされることがあります。
  しかし、日本国憲法21条2項が禁じる「検閲」は、「行政権が主体となり、表現物が公表される前にその内容を審査して、不適当なものの公表を禁止すること」(最大判昭和59年12月12日)と指します。 また、プラットフォーム事業者は民間の私企業であり、国家機関ではないため、事業者がその利用規約に照らして行う自主的な削除行為は、憲法上の「検閲」には該当しません。憲法の基本権保障は本来、「国家 vs 個人」の関係を律する規範であり、私企業と個人との契約関係に憲法を直接適用することは原理的に困難です(「私人間効力」の問題)。したがって、この関係は原則として、ユーザーと事業者の間で結ばれた「サービス利用契約」に基づく合意(規約)に服するものと整理されます。

2.アルゴリズムは「表現」か?──プラットフォーム事業者の「編集権」


 一方で、プラットフォーム事業者自身にも「表現の自由」が保障されるか、という憲法学上極めてホットな議論が存在します。
 事業者が「どの投稿を規約違反として削除し、どの投稿をアルゴリズムを通じて他のユーザーにおすすめ表示・優先表示するか」を設計・決定するプロセスは、新聞社や出版社が限られた紙面にどの情報をどう配置するかを判断する「編集行為」と本質的に同一であり、憲法上厚く保護されるべきだというアナロジー(類推)が有力です。 判例も、検索結果削除請求事件において、「検索事業者による検索結果の提供は、検索事業者自身による『表現行為という側面』を有する」(最決平成29年1月31日)とし、一定の表現活動としての保護を認めました。
 しかし最高裁は、表現の自由を絶対視したわけではなく、事例1で学んだプライバシー侵害の判断と同様、ここでも「公表されない利益」と「検索結果として提供する利益」を個別具体的に比較衡量するアプローチを採っています。したがって、国家が事業者に対して「特定の投稿をすべて強制的に削除せよ」あるいは「特定の表示アルゴリズムを不当に変更せよ」と過度に個別具体的な命令を下すことは、事業者側の表現・編集の自由を直接的に侵害するおそれがあり、慎重な制度設計が求められます。

3.アルゴリズムの非中立性と「統治者」としての事業者


 忘れてはならないのは、プラットフォーム事業者が提供するアルゴリズムは中立的な存在ではないということです。アルゴリズムは、広告収入のために「ユーザー・エンゲージメントの最大化」というプラットフォーム事業における経済的・利潤動機によって色濃く形作られており、人間の「怒り」や「刺戟」を増幅するバイアスを構造的に内包しています。つまり、プラットフォーム事業者は、何に特権を与え、何を許容し、何を沈黙させるかという価値観をコード(アルゴリズム)を通じて表現している「ルール決定者(言論の統治者)」なのです。
 ルネ・ディレスタが指摘したように、民衆扇動家に拡声器を渡したり、偽情報のインプレッションから不当な利益を得たり、新たなユーザーにそれらを推薦し増幅させる義務は事業者にはないことから、表現の自由と個人の人権、公論空間の公正のバランスを取る「実行可能な規制の選択肢」は十分に模索し得るのです。

4.「共同規制」と「情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)」


 こうした観点から、わが国が2025年に施行したのが、国家が言論の内容に介入するのではなく、手続きと仕組みの適正性を担保する「共同規制」というアプローチです。 その中核をなす「情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)」は、大規模な事業者に対し、以下の手続的統制を義務付けています 。
①削除基準の事前策定と公表:どのような表現がどのような基準でモデレーションされるのかを明示すること。
②専門的な相談・受付窓口の整備:被害者が削除を迅速に申し立てられる手続きを整えること。
③判断の迅速化と通知義務:削除の申出に対し、一定期間内に可否を判断し、その結果を申請者に通知すること。
④透明性の担保(運用状況の定期公表):削除の実施件数などを社会に公表し、適正なプロセスが行われているかを外部から監視可能にすること。
 情プラ法(および従来のプロバイダ責任制限法の精神)のもとでは、事業者が被害者の権利侵害を信じるに足りる相当の理由に基づいて適切に削除を行った場合、投稿者に対する損害賠償責任から免責される仕組み(同法3条2項1号)が設けられており、事業者が委縮することなく、個人の権利救済と表現の自由の調和を図れるよう環境が制度設計されています。


おわりに

 わが国におけるSNS規制の全体像を俯瞰すると、それは「いかなる国家権力による表現の事前抑制・言論検閲も絶対に許さない」という憲法21条の大前提を維持しつつ、誹謗中傷やデマといった「表現の濫用」から個人の基本的人格権(社会的評価、プライバシー、心身の平穏)をいかに救済するかという、比較衡量とルール構築の歴史にほかなりません。
 デジタル空間という新たな生態系に、基本的人権の保障や、プラットフォーム事業者という「社会的権力」を統制する原理を組み込んでいこうとする挑戦は、現在、「デジタル立憲主義」という最先端の学問潮流として世界中で議論されています。情プラ法などの共同規制の仕組みは、まさにこの「情報空間の立憲化」に向けた具体的な制度設計にほかなりません。
 しかし、どれほど法制度やテクノロジーによる高度な「環境デザイン」を整備したとしても、情報の受け手であり送り手でもある私たちユーザーが、目の前の「刺激」をただ衝動的に消費し、他者を貶める無責任な拡散(リポストやいいね)に加担し続ける限り、この病理を根本から治癒することはできません。
 私たちは、SNSという強力な技術の背後にある「民事・刑事上の法的責任」の重さを自覚し、自らの言論が他者や社会に与える影響に想像力を働かせることが重要です。
 そして、アルゴリズムによる認知ハックに踊らされることなく、自らの偏見や好みを客観的に認識し、不信と信頼のバランスを取り、客観的な証拠を冷静に吟味する「主権者としての情報摂取の作法(情報倫理)」を、一人ひとりが自律的に鍛え上げていくことです。同じリアリティを共有し、民主主義的な合意形成を諦めないという個人の倫理と、それをシステム側から支える法・テクノロジーの環境デザイン 。この両輪が調和して駆動したとき初めて、SNSは人権を蹂躙する「闘技場」から、私たちの民主主義と個人の尊厳をより豊かに育むための真の「公共広場」へと昇華するのではないでしょうか。

【参考文献・資料】

角本和理「SNSと民法上の名誉・プライバシーの侵害」(『法学教室』551号、2026年8月)

梶原健佑「SNSと表現の自由」(『法学教室』551号、2026年8月)

田山聡美「SNSをめぐる犯罪の現状」(『法学教室』551号、2026年8月)

ルネ・ディレスタ「ネット世論の見えない支配者 フェイクニュース、アルゴリズム、プロパガンダを操るものの正体」(原書房 / 2025年10月)