連載小説「オボステルラ」 【第五章 巨きなものの声】 8話「巨大樹の沈黙」(6)
8話「巨大樹の沈黙」(6)
「……!」
突如、リカルドの足が止まった。ハッと振り返るゴナン。ちょうど、周辺の建物がなくなって見通しが良くなり、巨大樹の姿が見えてきた、そのときだったのだ。
「…ゴナン、今日の晩御飯、どうする? ウサギを取りに行くって言ってたね。僕の分も取ってきてよ。宿の食堂で調理してもらおう」
リカルドはそう言って踵を返そうとする。遺跡での反応と同じ感じだ。ゴナンはリカルドの腕を握って引き留めた。
「リカルド、ここから進まないと、何もわからないよ」
「…う…ん、そうだね…。巨大、じゅ、を…」
苦しそうな表情で、なんとか踏ん張ろうとするリカルド。ゴナンはリカルドの腕を引く。
「俺が近くまで連れて行くから、リカルドは下を向いてて。樹を見ないでいいから。目を瞑っててもいいよ」
「…うん、ゴナン…。頼む……」
リカルドはグッと目を閉じて、ゴナンが引く手にだけ意識を集中しながら、ゆっくり歩みを進める。しかし、動悸がひどい。脂汗も出てきたようだ。
(…くそ、一体、なんなんだ。これは…)
足も重い。自分の足ではないかのようだ。でも、この猛烈な拒絶反応、絶対にユーの呪いと関わりがある。これで何かが分かれば、危険な思いをして卵を追う必要だってなくなるかもしれない…。
「……リカルド。ひとまず、柵についたよ」
ゴナンが声をかける。有料エリアの直前、巨大樹を見渡すことができる場所だ。リカルドはゆっくり頷き、目を開こうとするが、身体が震える。ゴナンは握る手からその震えを感じて、リカルドを支えるように寄り添った。
「…リカルド、帰る? 無理しない方が……」
「……いや、大丈夫…」
そうしてリカルドは、何とか目を開く。目の前には、見上げても見尽くせないほどに巨大な樹。こんな大きさの樹は見たことがない。自然学を修めるリカルドなら、この樹の恐ろしい成長に関してなんらかの分析を始めるべき所だが、まったく思考が動かない。
(…巨大樹…。何が、何が、僕にこうさせるんだ……。ユーの呪いと、何か……!)
リカルドは胸中でそう、巨大樹に叫んだ。しかし、威容な影を背負いリカルドを見下ろす巨きなそれは、何も応えない。何の声も聞こえない。そしてその直後、リカルドはピタリと固まる。巨大樹を凝視しているようでいて、何も視えていないような…。

「…リカルド? どう? 先に進んでみる?」
ゴナンがそう、声をかけるが、リカルドから返事はない。ゴナンは、「リカルド? リカルド?」と背を叩き名前を呼ぶ。しかし、その声もリカルドの耳には届いていなかった。
「……!」
と、リカルドの身体がぐらりと揺れ、そしてその場に倒れ行く。ゴナンが慌てて支えるが、支えきれず一緒に地面に倒れてしまった。
「リカルド、リカルド…!」
ゴナンは慌ててリカルドの胸に耳を当てるが、心拍はある。気を失ってしまったようだ。いつもの発作とも様子が違う。
「……!」
ゴナンは何かゾクリとして、巨大樹の方を見た。物言わぬ巨きな巨きな骸が、枯れ枯れしく虚無の中に沈もうとしているような、そんな薄ら寒さを感じた。
* * *
「……」
リカルドはゆっくり目を開ける。ベッドに寝ているようだ。
(あれ? もう朝、だっけ……)
しかし、室内に漏れてくる光は、真っ昼間の明るさだ。ボンヤリとして記憶が定かではない。
「……あっ、リカルド? 大丈夫?」
と、ベッドサイドにいたゴナンが声をかけてきた。そこでハッと思い出すリカルド。そうだった。自分は、『あれ』を見に行って…。
「…リカルド……?」
「……ああ、ごめん、大丈夫だよ」
リカルドはそう微笑んで身体を起こした。どうやら自分は倒れて、宿まで運ばれてきたようだ。
「……あれ? もしかして、ゴナンが運んでくれたの?」
「…ええと、途中までは何とか…。でも、運んだって言うより、引きずってきたって感じで……」
ゴナンは申し訳なさそうに、ベッドサイドに置いてあるリカルドのブーツを見る。革製のそれは、爪先の部分が地面にひどく擦れてしまっている。
「途中からは、通りすがりの人が手伝ってくれて…。それで、心配で、お医者さんも呼んで……、その、胸に聴診器を、あてたりも、したから……」
ゴナンはさらに申し訳なさそうな表情になる。リカルドはその理由に気付いた。
「……ああ、身体のアザを、お医者さんに見られたことを、気にしてるの?」
「……リカルド、いつも隠してるのに、ごめん……。でも、俺、どうしても心配で…」
「……」
リカルドは優しく微笑んでゴナンの頭を撫でる。この観光地だと、医者代もかさんだことだろう。あとでゴナンの財布にこっそり補充しておこうと思いつつ、ゴナンを慰める。
「ありがとう。大丈夫だよ。ほとんどの人は、このアザを見ても何なのか分からないから。ゴナンだって、そうだっただろう?」
「うん……」
リカルドはうーんと背伸びをして、そしてベッドから降りた。先ほどの異常が嘘のように、もう身体はなんともない。心配そうに見つめてくるゴナンに、「大丈夫だよ」とまた微笑む。
「……何か、わかった?」
そう、おずおずと尋ねてくるゴナンに、リカルドはうーん、と唸った。
「……僕…、『あれ』を、見たはずだよね?」
「うん。目を開いてから少しの間、見てたよ。その後、すぐに倒れちゃったけど」
「そうか……」
ふう、と息をつき、椅子に座るリカルド。
「……『あれ』の姿が、全く思い出せない…。記憶がぽっかり、抜けているんだ」
「えっ?」
「……ゴナンに手を引かれて、目を開けた直後に、何というか、僕に入ってくる情報の全てが遮断されたような、そんな感じだった……」
「……」
ゴナンは哀しそうな顔でリカルドを見ている。リカルドはそんなゴナンに、明るく声をかけた。
「……まあ、この意味はゆっくり考えてみるよ。ゴナン、あの食材屋さんにウサギを届ける約束をしたんじゃなかった? 行っておいでよ。僕は宿で休んでいるから」
「でも…」
「心配しないで。ほら、食材屋さんと約束してるんだから」
そうなだめるリカルドに、ゴナンはコクンと頷いた。
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