連載小説「オボステルラ」 番外編6「受難の宿屋」(10・終話)
番外編6「受難の宿屋」(10)
そうしてウキに、そして宿屋に平穏が戻ってきた。
あの旅人達が去った後、アンナは勉強に真面目に取り組むようになっていた。文字をもっときちんと読めるようになって『あなユラ』を読み進め、その感想をミリアと手紙でやり取りするためなのだそうだ。その動機はともかく、アンナのやる気を嬉しく感じる主人。
祭が終わって街全体が静かになり、次の農繁期への力を蓄える冬が近づく。冬に作る作物もあるにはあるが、多くはない。何かの力をぴりりとひそめるような、土色の静寂の景色が、ひととき街を覆うのだ。
* * *
……と思いきや、冬の訪れの前に、宿の主人はもう一騒動に巻き込まれることになった。
「おじさん……! 俺を泊めてくれ!」
祭から約2ヵ月、厚手の上着が必要な程に寒くなったある日、昼過ぎの宿屋に大きな声が響く。食堂にいた主人が宿の受付の方を見ると、大荷物を背負って妙に凛々しい表情をしたエドワードが立っていた。そのエドワードは、主人の姿を見て一瞬、ギョッとする。
「……あれ? おじさん、何やってんの?」
「あ、ああ……。ちょっと鍛えて、ダイエットでもしようかと思ってね」
思うところがあり、最近は仕事の合間に筋トレに勤しんでいる主人。ちょうどスクワットに励んでいるところだった。汗を拭きながら受付へと主人は向かう。
「それで、エドくん、一体どうしたんだ? 泊めてって……」
「何も聞かずに泊めてくれ……! これで…」
そう言って財布から小遣いらしき金をぶちまけるエドワード。
「これは……、子ども料金なら4泊分くらいだな……」
「……俺は大人料金だ! だから、2泊分……。でも、それ以上になるかもしれねえから、そうなったら、出世払いで……!」
「それ以上泊まるかもって……? どうしたんだ?」
「俺、家出してきたんだ……!」
「家出……」
同じ街内の知り合いの宿屋に泊まり、しかも宿代を出世払いとは、なんとも甘っちょろい家出だな、と胸中で苦笑いする主人。代金をもらうつもりはないが、ひとまずは金を一旦受け取る。
「よくわかんねえが…、父ちゃん達に、宿に泊まるってちゃんと伝えたのか?」
「おじさん! 伝えたら家出にならないじゃんか! 俺は本気なんだ!」
「あ、ああ、そうか……」
そのエドワードの気迫溢れる雰囲気に、ひとまず2階の部屋へと通す主人。そして、何事かと様子を見守っていたアンナに耳打ちをした。アンナは頷き、そして宿を飛び出した。
* * *
それから数時間後。
「エド!」
大きな声と共に、宿にエドワードの両親が現れた。妻は赤ちゃんを抱っこしている。3人はエドワードが閉じこもる2階の部屋の前までやってきた。流石に本当に親に伝えないわけにはいかなかったので、アンナにエドワードの家まで走ってもらったのだ。
「エド! 宿屋さんに迷惑をかけるんじゃない! 帰るぞ!」
「ひでえ、おじさん、裏切ったのか……!」
「お前が行きそうな場所なんて、すぐに分かる!」
主人がチクったことは内緒にして、エドワードの父はそう叫ぶ。そして部屋のドアを開けようとするが、内から鍵をかけられていて開けられない。
「エド! バカな真似はやめろ!」
「父ちゃんが認めてくれるまで、帰らねえ! 俺は決めたんだ!」
エドワードはドアの向こうからそう叫んでいる。親子げんかだろうか? 「男の子の親は大変だな……」と主人は様子を見守っていたが、そこに遅れてクラウスマン夫妻が来たことに気付いた。エドワードの父は頭を下げる。
「あ、先生……。うちのバカが申し訳ねえ……」
「いや、私の方こそ、まさかエドがあんなことを言い出すとは思わなかったからねえ」
どうやらこのケンカには先生も関わりがあるようだ。主人はジョージに尋ねる。
「一体、何事で?」
「いやあ、実は私達は、夫婦で少し遠くへ旅に出ることにしたんだよ」
「え? そうなんですか? 遠くというと、もしや外国へ?」
「いや、国内ではあるのだが……。ストネよりもずっと北の荒れ地の中に、あまり人に知られていない村があってね。その周辺で深刻な異常気象が起こっているというから、現地を実際に見てみたいと思ってな」
「北の荒れ地……」
生まれてほとんどこの街を出たことがないため、言われてもイマイチ距離感がピンとこない主人。
「まあ、馬車だとここから片道1ヵ月以上……、長けりゃ2ヵ月はかかりそうだな」
「それはなかなか遠いですね」
「私もこの年齢だし、体が動く内に、見るべきことを見ておくべきだと思ってね。まあ、それにしてもハードな旅にはなりそうだが」
そう言って、ジョージはマリアーナに優しく微笑み、マリアーナも「あらあら、弱気なこと言っちゃって」と笑顔を返す。
主人は、さらに尋ねた。
「しかし、それと、エドくんの家出と何の関わりが……?」
「私達がその話をしたらね、エドくんが、『自分もその旅に着いて行きたい!』って土下座してきて……」
マリアーナが思い出し笑いをしながら答える。えっと驚く主人。
「いったい、なぜ?」
あの旅人達にあてられでもしたのだろうか? それにしても、あまりにも無謀な気がするが……。ジョージはふう、と息をついた。
「エドが仲良くなったゴナンって子がいるだろう? その北の村は、あの子の故郷なんだよ。ひどい干ばつに遭って、それでゴナンは故郷から逃がされてきたらしくてね」
「そうだったんですか……」
ジョージは扉の前まで進み、部屋の中のエドワードに呼びかける。
「エド、お前の気持ちも分かるが、ただ観光をしに行くような旅行とは違うんだぞ。ゴナンは無事、皆と合流できたと手紙が来たじゃないか。お前が焦って何かをしようとする必要はないだろう?」
行方不明になったというのはゴナンのことだったのか、と主人はこの時、初めて知る。無事だったとのことだが、こののどかな街で子どもが行方不明だとは、一体何があったのだろうか。
「お前は図体は多少大きくなってはいるが、まだ親御さんがいないと何もできない子どもだ。この宿にだってせいぜい数泊しか泊まれないくらいしか金も持っていないだろう。それで、旅に着いて行かせてほしいだなんて、全てが甘すぎるぞ」
その厳しい指摘に、扉の奥でエドワードは何も反論できずにいるようだった。しかし、少しの間の後、エドの声がする。
「……でも、ゴナンは…」
「あの子だって、氷っ子…、リカルドや他の大人達が保護者としてついているから、ああやって旅をしているんだ。それに、あの子は一人になっても、できることはとても多い。お前とは育ってきた環境がまるで違うからだ。でも、そのことでお前が何か引け目を感じる必要はねえんだ」
「……」
「そもそも、お前が干ばつの村に行ったところで、できることなんて何もないだろう」
そう指摘され、また黙るエドワード。主人は一旦、階下に降り、部屋の合鍵を持って来た。そして突入のために鍵を開けようとしたが、その前に部屋の鍵が内側から解錠された。うつむいたままのエドワードが顔を出す。
「エド…」
「…でも、先生……。ゴナンは、ゴナンはなんか、あんな、一生懸命、生きてる、感じがするのに……。でも、俺は、何も、全然……」
「……」
「……俺も、何か……。それで、俺は、ゴナンが生まれた場所を、見た方がいい気が、するんです……」
そう、押し殺した声で語るエドワードに、ジョージとマリアーナは顔を見合わせる。「いいから、帰るぞ」と父はエドワードの腕を引こうとするが、ジョージがそれを止める。そしてエドワードに目線を合わせて、彼の両肩をぐっと握った。
「……本気なんだな?」

その言葉に、エドワードはジョージをきっと見て、強く頷く。ジョージはそのまま、少し考えた。そして父の方を見る。
「……これで無理矢理止めると、今度は本当に一人でどこかへ飛び出しちまうかもしれねえ。それよりは、私達の保護下で旅する方がまだ、マシだと思うが、どうかな?」
「え? 先生……!」
「先生!」
エドワードと父が、驚いて声を上げる。ジョージは苦笑いを浮かべた。
「この年頃の、何か動かずにはいられない、もぞもぞした感じってのは、どうにもならねえものだ。特にこの平穏な村では、発散できることも少ないだろう」
「しかし、絶対に邪魔になりますよ、何かと騒がしいし、こいつは……」
「もちろん、旅の手助けはしてもらうつもりだよ。それに、街の外を見ることは、この子には絶対に良い経験になるさ。もちろん、お父さんとお母さんが許諾すればの話だが」
そのジョージの言葉を聞き、エドワードは両親に深く頭を下げる。
「父ちゃん、母ちゃん! お願い…、します! 俺、行きたいんだ! 金は……、かかるけど、その、それは出世払いで……」
「……」
両親は困った表情で見合う。妻の腕の中でエミリーが少しぐずり始めた。
「……しかし、先生…。危ないことは、ないだろうか……」
「まあ…、旅には護衛を2人依頼している。それに、ストネから先は、荒れ地の移動に慣れたキャラバン隊と同行での移動になるから、普通の旅よりはいくらかマシだろう。引き受けるからには、きちんと責任を持つつもりではいるが、それでも絶対に安全だとは断言はできないけどな」
「……」
「父ちゃん、母ちゃん……!」
エドワードが、さらに深く頭を下げる。「あなた……」と母が父に答えを促した。はあ……、と深く息をつく父。
「……わかった。ただ、絶対に途中でやめたはなしだぞ。絶対に迷惑をかけるな。そして、絶対に無事に帰ってくるんだぞ。絶対だ」
「……父ちゃん……!」
父の許諾に、エドワードは瞳を輝かせる。そして、「ありがとう! 俺、頑張る! 先生、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
そう、四方に頭を下げまくって、ついでに宿の主人に「ご迷惑おかけしました!」と、先払いした宿代を返してもらうのも忘れて、「うおー!」と宿を飛び出した。相変わらず、元気いっぱいだ。アンナが心配して、「ちょっと、エド、うるさいわよ」とたしなめながら後を追って行く。
「先生、申し訳ない。感謝します」
「なあに。まあ、マリアーナと2人きりのデートとは行かなくなったけどな」
そう、茶目っ気たっぷりにウインクをして、そして今後の打ち合わせについて夫婦とすりあわせをしながら、皆階下へと降りていく。
「ご主人、騒がせて申し訳ないね。この前から、いろいろと災難だったな」
宿を出ようとしたジョージが、主人をそう労った。
「ああ、いや。騒ぎにはなりましたが、大したことじゃないですよ。俺はただ、見ていただけですから」
「ふふっ…。まあ、こういう場所があり続けてくれるのは、ありがたいことだ」
そう言って主人の肩をポン、と叩いて、ジョージも帰宅の途へとついた。妻はまだ買い物に出ており、宿には主人1人が残され、しんと静かになる。
(……なんだか、『何か』が始まる瞬間を見た気がするな)
明るくよくしゃべり元気いっぱいで、しかしまだ甘ちゃんのエドワードが、内なる衝動を抑えきれず、自ら自分の世界をこじ開け押し広げようとしている。きっと、ここから始まる物語があるのだろう。しかし主人は恐らく、これからもそれをただ傍観するだけだ。
(……まあ、そういう役回りってことだな、俺は。それが性に合っている)
そう、胸の中で呟くと、また食堂の方へと移動して筋トレの続きを始めた主人であった。
〈「受難の宿屋」了〉
↓次の話↓
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