心と言葉の日本語文法(23)日本語文の分析(14)日本語は「伝達(対人的モダリティ)」まみれの言語(1)
(↓のつづきです)
もとの日本語文の各文の「伝達」(対人的モダリティ)の部分をカットして「認識」(命題)と「判断・態度」(対事的モダリティ)だけの文をつくってみると、次のようになる。
【もとの日本語文章】
貴社ますますご清栄のことと大慶に存じ上げます。山田商事営業部の山田太郎でございます。
さて、おかげさまで小社は来る○○月○○日に創立○○周年を迎えることとなりました。これもひとえに皆様方のご高配の賜物と厚く御礼申し上げます。
そこで、創業以来前進して参れましたことを皆々様方に深く感謝し、下記の通り心ばかりの記念パーティーを催したいと存じます。ご多用中のところ、まことに恐縮ながら、何とぞご光来の栄を賜りますようお願い申し上げます。
まずは、略儀ながら書中をもちましてご案内申し上げます。
↓
【判断・態度」(対事的モダリティ)だけの日本語文章】
山田商事が○○月○○日に創立○○周年を迎える。関係者に感謝を示すために下記条件で記念パーティーを催す。関係者のパーティーへの出席を希望する。
これが、「伝達」(対人的モダリティ)というトッピング部分を除いた認識(命題)と判断(対事的モダリティ)の部分である。
なんともそっけないかたちになった。
これほどまでに
日本語という言語は伝達(対人的モダリティ)表現まみれの言語
だということである。
さらにいえば、
「いつも世話になります。」
「どうぞよろしくお願いします。」
のように、本来であれば認識(命題)の部分を担うべき表現であっても、場合によっては伝達(対人的モダリティ)表現として用いられてしまうという傾向が、日本語には強く見られる。
より一般化していえば、
日本語の世界では対事的な認識・表現から対人的な認識・表現に向かおうとする力がつねに強く働いているといえるのではないだろうか。
一方で
英語の世界ではその逆に、対人的な認識・表現から対事的な認識・表現へと向かおうとする力がつねに強く働いているように思われる。
(続きは↓)
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