【夫婦関係 信頼関係】 夫婦は、壊れなければそれでいいのか
夫婦は、全部言わなくていい。そう言われることがある。相手を傷つけることまで、わざわざ言う必要はない。お互い様なのだから、多少のことは流したほうがいい。
たぶん、その通りなのだと思う。思ったことを何でも口にすればいいわけではないし、一時的な苛立ちなら、飲み込んだほうがいいこともある。それでも、この考え方を聞くたびに、どこかで納得しきれない自分がいた。
自分が引っかかっていたのは、この考え方の正しさではなく、その前提だった。「言わないほうがいい」という話は、たいてい、夫婦を壊さないための知恵として語られる。でも、深く知り合おうとすると、どこかで、関係が揺れるかもしれないところまで踏み込む必要があるようにも思う。
自分と妻の間では、ときどき、海の底まで探り合うような攻防になる。なぜそんな言い方をしたのか、本当は何に腹を立てているのか、その奥には何があるのか。掘れば掘るほど、さらにその奥が出てくる。正直、しんどい。ただ、こういうやり取りを何度もしていると、相手が何を嫌がるのかだけではなく、その人がどういうふうに物事を見ているのかまで、少しずつ見えてくる。それは、たしかに一つの深まり方なのだと思う。
ただ、最近は、別のことも考える。そこまで知り合うことは、本当に必要なのだろうか。
腹の底まで確かめ合おうとすると、その過程自体がかなりしんどい。相手にとって都合の悪いことを言い、自分にとって都合の悪いことも言われる。見せたくなかった感情が出てくることもあるし、言わなければ何事もなく終わったはずの一日が、あえて話し始めたことで険悪になることもある。
自分たちの場合は、その先まで行ったことで、なぜ納得できなかったのかがわかったり、相手の感情にようやく腹落ちしたりして、結果として良かったと思うことの方が多い。
でも、それはたまたまなのかもしれない。掘った先に見たくなかったものが出てきて、知ったことで元には戻れなくなることもある。
深く知り合うというのは、案外、危ない作業でもある。
そう考えると、全部を確かめない夫婦のあり方も、よくわかる。見なくてもいいものまで見ようとせず、少し引っかかることがあっても、いちいち掘り返さない。相手には相手の領域があり、自分には自分の領域がある。そこを無理に一つにしない。そうすることで、穏やかに続いていく関係もある。
それは、問題から逃げているというより、壊れるかもしれないところまで踏み込まない、と決めているということなのだと思う。そして、それは十分に合理的な選択だ。
ただ、ここには少し非対称なところがある。
踏み込まなければ、関係が壊れる危険は減るが、その先にあるものにも近づかない。深く知り合おうとすれば、関係が揺れるかもしれない場面を通らないといけない。
平穏を守るために踏み込まないことと、深く知り合うために踏み込むことは、単純な二択ではない。
以前の自分は、たぶん、このことを少し単純に考えていた。厳しいことも言い合える関係のほうが深く、言わずに流すのは、まだそこまで信頼が育っていないからだ、と。
もちろん、そういう場合もあると思う。でも、いまはそうとも限らないと考えている。言わない夫婦が浅いのではなく、踏み込まなくても壊れないと、お互いにどこかで思えているからこそ、あえて踏み込まない、という信頼のかたちもあるのだろう。
そう考えると、この違いは「本音を言うか、言わないか」という話ではなく、夫婦は、どこまで一つになろうとするのか、という話ともいえる。多くの夫婦は、そんなことをはっきり言葉にしないまま、日々、境界線を引いているのだろう。
今日、二人でレストランに行った。妻はいつも、同じメニューを頼みたがらない。いろいろ試したい人だからだ。比較的、自分の方がおいしいものを頼み当てることが多い。
妻の顔を見て、こちらから交換を申し出る。
妻は当然のように、うれしそうに食べる。
特に何か言葉が交わされるわけでもない。なぜそっちが食べたいのか、どれくらい気に入らなかったのか、そこまで確かめない。顔を見れば、だいたいわかる。わからなくても、それほど困らない。
夫婦は、全部言わないほうがいいのか。
たぶん、単純に回答できない話なのだと思う。
深く知り合ったから、言わなくてよくなったこともあるし、全部を知ろうとしなくても大丈夫になったから、知らない方がいいから、言わなくなったこともある。その二つは、外から見ればよく似ている。でも、たぶん同じではない。
どこまで踏み込むのか。どこで止まるのか。
それは、単に夫婦の距離を決めているだけではないのかもしれない。
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