【夫婦関係 思いやり】 「決めていいよ」は、責任を手渡すことでもある
「何食べたい?」
「何でもいいよ。好きなもので」
こう言われると、少し優しい人に見える。
自分の希望を押しつけない。
相手の好きなものを優先する。
相手に合わせようとしている。
少なくとも、本人にはそんなつもりなのだと思う。
でも、これが毎回続くと、
言われる側は意外と疲れる。
「希望を聞いてもらっている」ようで、
実際には「決める仕事」を渡されているからだ。
恋愛でも夫婦でも、
一方がもう一方に合わせようとすることはよくある。
「今度の休み、どこ行きたい?」
「旅行はどこがいい?」
「夕飯、何食べたい?」
「家具はどれがいい?」。
そして、
「あなたの好きなところでいいよ」
「私は何でもいいよ」と答える。
一見すると、
とても思いやりのある態度に見える。
相手の意思を尊重しているとも言える。
でも、「あなたの希望を優先する」
ということと、
「あなたに決めてもらう」ということは、
実は少し違う。
何かを決めるには、
けっこういろいろ考えなければならない。
自分は何がしたいのか。
相手は何なら嫌ではないのか。
予算はどうか。
時間はどうか。
前にも同じところに行かなかったか。
本当にこれで相手は楽しめるのか。
そして最後に、
「じゃあ、ここにしよう」と決める。
つまり、意思決定というのは、
単に好みを言うことではない。
二人分の事情を考え、
選択肢を比較して、
最後に一つを選ぶ作業でもある。
「好きなところでいいよ」という言葉は、
その作業を丸ごと相手に渡してしまうことがある。
もちろん、相手が「今日はどうしても寿司が食べたい」
とはっきり希望しているなら、
それに合わせること自体は何の問題もない。
それは、相手の希望を尊重しているだけだ。
問題なのは、相手にも特に決まった希望がないのに、
自分は「何でもいい」と言って、
決める作業から降りてしまう場合だ。
たとえば、「何食べたい?」と聞かれて、
「何でもいいよ。好きなものにして」と答える。
一見すると、相手に選択権を渡しているように見える。
でも実際には、候補を考え、
自分と相手の好みを調整し、
最後に決める、
という作業まで相手に渡している。
つまり問題なのは、譲ることではない。
決める作業から降りてしまうことだ。
これが関係の中でいつも同じ方向に流れると、
だんだん役割が固定されてくる。
一方はいつも、「どうしたい?」と聞く。
もう一方はいつも、「何でもいいよ」と答える。
すると、一方は「相手の希望を聞いてあげる人」になる。
もう一方は「二人のことを決める人」になる。
表面的には前者の方が相手を立てているように見える。
けれども実際には、後者が二人の生活について考え続けることになる。
休日に何をするか、
どこへ旅行するか、
何を買うか、
誰に連絡するか、
子どもの予定をどうするか。
小さなことばかりだ。
だから、一つひとつを見れば大した負担には見えない。
でも、人間は毎日の小さな意思決定でも疲れる。
しかも、自分一人のことではない。
相手が満足するかまで考えて決めなければならない。
その状態で、「あなたの好きなようにしていいよ」
と言われても、必ずしも楽にはならない。
むしろ、「じゃあ、私がまた考えるのか」となる。
興味深いのは、
これがたいてい善意から始まっていることだと思う。
自分勝手にしたくない。
相手を尊重したい。
相手に嫌な思いをさせたくない。
だから、決定権を相手に渡す。
でも、決定権には、
しばしば決定責任がついてくる。
旅行先を自分が決めれば、
雨が降ったときに少し責任を感じる。
店を自分が選べば、
料理がおいしくなかったときに少し気まずい。
家具を自分が選べば、使いづらかったときに、
「これ、私が選んだからな」と思う。
もちろん、相手は責めていないかもしれない。
それでも、決めた側には妙な責任感が残る。
だから、「好きなようにしていいよ」という言葉は、
選ぶ権利を相手に渡すと同時に、
選ぶ責任も相手に渡すことになり得る。
「何でもいいよ」は、感じのいい言葉だ。
相手に合わせる。
相手を優先する。
それが優しさだと、たいていの人は思っている。
私自身、以前はそう思っていた。
私より妻の意向を優先させたいと思っていたからだ。
でも、何でも相手に合わせる人と暮らすことは、
必ずしも楽ではない。
時には、「俺はこれがいい」と言ってくれる人の方が、
一緒にいて楽だったりする。
決定と責任を、いつのまにか片方だけが引き受けている。
それに気づかないまま、
両方とも「思いやり」だと思っている。
どちらが悪いという話でもない。
「何でもいいよ」と言う側も、
それを優しさのつもりで言っている。
「じゃあ決めるよ」と引き受ける側も、
それを厭というほどではない。
ただ、その積み重ねが、
気づけば関係の中に一つの形を作っている。
それがいつまでも心地よい形なのかどうかは、
たぶん誰にも分からない。
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