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【人間関係 夫婦関係】 人は、ほめられたいのではない。見てもらいたい。

外出から帰ってきた妻から、
突然話しかけられた。

「今日、なんか違うの分かる?」

夫婦の間では、
こういう質問が交わされることが、
結構あるのではなかろうか。

そこで、
「え? いつもと同じじゃない?」
と答えてしまうと、
おそらく、その日の夫は、
あまり平和な一日を過ごせない。

一方で、
「髪型変えた?」
と答えると、
妻はうれしそうな顔をする。

不思議である。

その質問に対して、
「ちょっときれいになったね」
と返すこともできる。

しかし、
「髪型変えた?」
よりは、反応はよくないだろう。

どちらも、相手をほめているのに。


この違いは、
「評価」と「観察」の違いである。

「ちょっときれいになったね」は、
相手への評価である。

一方、「髪型変えた?」は、
評価ではない。

「私は、あなたの変化に気づいていました」

というメッセージなのである。

人は、評価されるとうれしい。

でも、それ以上に、
「ちゃんと見てくれていた」
と感じると、もっとうれしいのである。


人のいいところを見つけるのは、
案外難しい。

逆に、
「誰かの欠点を三つ挙げてください」
と言われれば、
多くの人は意外とすぐに答えられる。

では、
「長所を三つ挙げてください」
と言われると、急に難しくなる。

もちろん、長所がないわけではない。
ただ、すぐには出てこないのである。


これは、人間の見方の問題なのかもしれない。

欠点というのは、
放っておいても目に入ってくる。

約束を忘れた。
片付けていない。
失敗した。

こうしたことは、
そのつど「問題」として
姿を現すからである。

長所は、そうはいかない。

毎日きちんと仕事をしていること。
さりげなく周囲を気遣っていること。
家族が困らないように動いていること。

これらはどれも、
何も問題を起こさない。

問題を起こさないものは、
意識して見ようとしなければ、そ
こにあることにすら気づかない。

妻がいつも小ぎれいにしていることも、
問題にはならない。
だから、気づかれにくい。


評価の言葉で、
軽く人をほめることは簡単だ。

「美人だね」
「すごいね」
「よくできたね」

これらの言葉は、誰でも言える。

でも、上手に人をほめることは難しい。

「今日は、ちょっとメイクが違うね」
「最近、説明が分かりやすくなったね」
「いつも、みんなが困る前に動いているよね」

こういう言葉は、
相手を観察していなければ出てこない。

評価の言葉は、
思いつけばすぐに口に出せる。
だから、それを言われても、
本当に見られていたのかどうかは分からない。

観察の言葉は、
そうはいかない。

それを言うためには、見ていた時間が要る。
その人をよく見ていなければ、出てこないのである。


世の中には、
「人をほめるのが上手な人」がいる。

何か特別な才能を持った人のようにも聞こえる。

でも、私は少し違う気がする。

その人は、特別な才能があるというより、
周りの人を丁寧に扱おうとしている人なのではないだろうか。

だから、人を見るのが上手で、
ほめるのも上手なのである。

小さな変化に気づき、
前との違いを覚えていて、
その人らしさを見つけている。

だから、ほめ言葉が具体的になる。


だからといって、
「もっと人を見ましょう」
と言いたいわけではない。

人を丁寧に見るには、
時間と注意力がいる。

仕事に追われていれば、
部下の変化に気づく余裕はなくなる。
家事や育児に追われていれば、
子どもの小さな成長を見逃す日もある。

夫婦だって、一緒に暮らしているからこそ、
「いつも見ているつもり」になってしまう。

誰かがサボっているわけではない。

むしろ、お互いに毎日を回すことに
真剣であるほど、
相手を見るための余白は先に削られていく。

人を雑に扱おうとしている
わけではない。

人を丁寧に見ることには、
思っている以上のコストがかかるのである。


だからこそ、
「最近、表情が明るくなったね」
「前より自信がついたね」
といった一言には価値がある。

うれしいのは、ほめられたからだけではない。
自分の変化を見つけてもらえたからである。

ただ、この価値は、
求めれば簡単に手に入るものでもない。


「今日、なんか違うの分かる?」

妻がこの質問をするのは、
正解を当ててほしいからではない。

髪型なのか。メイクなのか。服なのか。

大事なのは、そこまで正確に当てることではない。

自分の方を見て、何が変わったのかを考えてくれた。
そのこと自体が、うれしいのである。

「髪型変えた?」

この一言には、
「きれいだね」よりも多くのものが入っている。

相手に向けた時間と、注意と、
「ちゃんと見ていた」という事実である。

人は、ほめられたいのではない。
見てもらいたいのである。


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