【人間関係 夫婦関係】 人を笑わせるのは、実は自分のため
私は、仕事でも、病院でも、家でも、つい冗談を言ってしまう。
根本がかなり芸人気質なのだと思う。
先日、耳鼻科で診察を受けた。
「言葉の聞き間違いが多いんです。」
そう説明したあと、
私はつい、
「サンドウィッチマンのネタみたいな聞き間違えが多いんです。」
と言った。
先生は、ポカーンとしていた。
「なんですか、それは?」
完全に滑った。
私は「あー、すみません、忘れてください。」と話を戻した。
行きつけの耳鼻科で顔見知りの先生なのだけど、
生真面目で余り笑わないので、ちょっと笑わせてみたかった。
残念ながら失敗した。
別の日。
初めてのお客さんとの打ち合わせがあった。
お互いに、少し緊張している空気が流れていた。
私は、軽い冗談を一つ入れた。
クライアントから、小さな笑いが起きた。
私は、その瞬間ほっとした。
少し前まで、お互いに様子をうかがっていた空気が、
少しだけ話しやすい空気に変わった気がした。
こうして振り返ると、私はいろいろな場面で人を
笑わせるようなことを言っている。
妻に怒られているときでさえ、
バカなことを言いたくなることがある。
伝わることもあれば、伝わらないこともある。
でも、伝わったかどうかは、
実はあまり重要ではないのかもしれない。
もちろん、いつでもそんなことをいうわけではない。
例えば、深刻な会議では言わない。
妻に言える冗談と、お客さんに伝わる冗談も違う。
相手によって、ギリギリの線を探している。
肩書や立場だけで人との距離が決まるような空気は好きではない。
初対面でカチコチになった空気も居心地が悪い。
だからなのか、自分を笑いの対象にしてしまう。
その方が、お互いに話しやすい。
家でも同じだ。私は妻をほめるように努めている。
「今日も可愛いね!」
そんな言葉を、よく口にする。
お世辞を言っているわけではなく本音である。
でも、それだけではない。
妻はうれしい。
家の雰囲気もよくなる。
そして、私も気分よく過ごせる。
結局、一番得をしているのは私かもしれない。
「結局、自分のためじゃないか。」
そう言われれば、その通りなのだろう。
でも私は最近、
「自分のため」と「相手のため」を分けること自体が、
あまり意味のないことなのではないかと思い始めている。
私が心地よく過ごすためには、
妻も心地よく過ごしている必要がある。
私が話しやすくなるためには、
相手も話しやすくなっている必要がある。
こう考えると、私は、人を笑わせることを
一番に考えているというわけではないのかもしれない。
輪の中心にいたいわけではない。
ただ、目の前の空気が硬いと、放っておけないだけだ。
単に、人と人との間にある、
少し硬い空気をほぐしたいのだ。
そして、その空気の中で一番安心しているのは、
案外、私自身なのかもしれない。
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