「アーカイブ・サテライトの園」第15話
●あらすじ
人工知能と人工意識を搭載したアンドロイドが普及し、多くの人間が仮想世界に入り浸るようになった近未来。人類は増え続けるデータに対処すべく、データ保存に特化した衛星アーカイブ・サテライトを打ち上げた。
その衛星へ送るデータを選別するアーキビストとして働いていた五塔重法は、不審な死を遂げた妻、エリコの死の真相を突き止めようと動き始める。
車椅子に乗る元探偵の老女、雪島時子と、一人息子を持つ備品管理課所属の刑事、冠木一獅、警官型アンドロイドのキャス、エリコの元同僚の荒角から協力を得た五塔は、宇宙素粒子物理学の研究者であったエリコが残した未完成の論文を頼りに、信じ難い真相にたどり着く。
通された見覚えのある応接間には、荒角さんと柏戸がいた。冷え冷えとした怒りを露わにする荒角さんの隣で、柏戸は大柄な体を丸めてソファに浅く腰掛けている。2人の尋常でない雰囲気に、対面のソファに座る俺と時子さんは目を見合わせた。
「突然お呼びしてすみません。もう、室長には本当に頭にきて、すぐに連絡させたんです。今朝、珍しく室長が出勤してたんですよ。ずっと倉庫で何かしてたので、気になって見に行ったら、室長がエリコさんの論文の資料を抱えてて……。エリコさんが亡くなってからずっと、行方が分からなくなっていた資料です。大体の研究員は資料を光子データにして保管しますが、エリコさんは万が一のためにと、写真や手書きの資料も残していました。室長はエリコさんから論文の資料も全て取り上げました。でもアナログ版の資料は、秘密の場所に隠して守っているんだとエリコさんが言っていたんです。事件の後、他の研究員たちと一緒に探していたんですが見つからなくて……。やっぱり室長が盗んで持ってたんです。五塔さん、本当にすみません。私からもお詫びします。室長、五塔さんに心からの謝罪を」
急に背筋を伸ばした柏戸は、顔を下に向けながら、ごにょごにょと何かつぶやいた。
「聞こえないですよ!」
「ほ、本当に、申し訳ありませんでした。実は他の不正行為や研究費の横領でも訴えられまして、再来月には刑務所に送られます。ははは……誠にすみませんでした」
唖然とした。本当に柏戸か?以前この部屋で対面した傲慢不遜な男と同一人物とは思えない。まるで母親に叱られている子どもだ。一方で柏戸を睨みつけている荒角さんは、今までにない猛々しいオーラを放っている。
「……きっちり罪を償って、二度と卑劣な真似はしないこと。そして、エリコの墓前でも真摯に謝ってください。論文盗用の件はもちろん、今までのパワハラの件も。荒角さんや他の研究員の方にも、今までの酷い態度を詫びてください。全てできるなら、許します」
「……はい……」
「室長!もっと大きな声で!」
「はい!五塔さんの仰せの通りにします!」
柏戸の叫ぶような返事が響き渡る。ずっと事の成り行きを見守っていた時子さんが、机の上に積まれているノートやファイルに手を伸ばした。
「……じゃ、この机の上の資料は拝見してもいいのね?」
「ええ。今は大切な捜査資料でもありますから。存分に見ていってください。この応接間は終業時間まで、お2人で自由に使っていただいて構いません。本来なら未完成論文の資料の閲覧は、論文作成者本人にしか許されていませんが、全ての責任は室長が負います。そうですよね?室長?」
「え……はい……」
「では私と室長は研究室に戻りますので。何かあったら呼んでください」
荒角さんは頼もしい警察官のように、柏戸を連行していった。
「……さっそく資料を調べましょうか。こほっ、こほっ」
マスクに覆われた口元を押さえて、苦しそうに咳をし始めた時子さんの背中をさする。
「出かける時も少し咳が出てましたね。本当に無理してないです?今日はもう帰って休んだほうが……」
「熱は無いから大丈夫。きっと空気が乾燥してるせいね。この時期はいつも、喘息の軽い発作が出るのよ。気にしないで。さぁ、手分けして調べるわよ」
眼鏡をかけた時子さんは、資料の山から分厚いファイルとノートを1冊ずつ引き抜き、俺にノートを手渡した。渡されたノートをめくる。エリコの少し角張った文字と、フリーハンドで描いたと思われるグラフが、白いページを埋め尽くしていた。元気なリスのように、あちらこちらに脱線する内容を完璧に理解できるのは、エリコだけなのだろう。俺では捉えきれない。もどかしく感じながら、読み進めていく。読み終わったことにして2冊目のノートに手を出すと、時子さんが呟いた。
「途中から論文とあまり関係なさそうな資料が増えてる。生物学、特に命の起源や人工意識に関する資料ね。あの新生物と交流しながら論文を書き進めていく中で、エリコさんは気付いたんだわ。エレクトロン・ピンボール粒子と電子の衝突によって生まれ得る粒子が、私たちとよく似た生命になる可能性に」
「素粒子が生命に……そんなことあり得るんでしょうか?」
「素粒子1つで人体を構成することは不可能だけど、人工意識のようなものだけなら、可能かもしれない。人工意識の仕組みは、今も解明されてないわ。旧式AIの人工脳の中で偶然生まれたもの。ならば、未知の素粒子が、何らかの人工物の中で人工意識を構築する可能性も否定できない。まだ生命の起源もよく分からないのだし、まったく考えられない話ではないわ。人間が作った複雑な器に意識が宿ったら、アンドロイドたちの身体を借りて自由に行動できるかもしれない。犯人みたいに」
「意識と命の起源か……。もしかして犯人は、それを突き止めたんでしょうか?」
「さてね。全知全能の存在だったらどうしましょうねぇ。でも犯人も、私たちとそう変わりない気がするわ。自分自身のこともよく分からなくて、戸惑ってるんじゃないかしら。ん?あら?」
話しながら数冊のファイルを机に広げ、次々とめくっていた時子さんが、動きを止めた。
「どうしたんです?」
「衛星の歴史……アーカイブ・サテライト計画……現代のデータ管理における問題点……このファイルの中身、ほとんどアーカイブ・サテライトに関する資料なの。ほら、読んでみて。こんなに」
ファイルをめくると、懐かしい衛星の画像ばかりが目に入ってくる。機密データ・アップリンク法や共生監視法といった、アーカイブ・サテライトに関連する法律の資料もあった。
「これは……どういうことなんでしょう?あの論文にアーカイブ・サテライトなんて一言も出てこないのに……」
「……エレクトロン・ピンボール粒子はダークマターの正体かもしれないのよね?本当にそうだとしたら、エレクトロン・ピンボール粒子は宇宙空間に無数に飛び交っていることになる。ならば、エレクトロン・ピンボール粒子が電子と衝突して生まれる謎の素粒子は?どこにあるかしら?」
「宇宙……」
「そう。宇宙。そしてエリコさんは犯人のことを、遠い場所で漂っている君と表現していたわね?」
時子さんの爛々と輝く瞳に射抜かれながら、唖然とした。
「……まさか……」
「その遠い場所で漂っている君が、アーカイブ・サテライトだったとしたら。謎の素粒子が人工衛星の中で大量に発生して、脳細胞のような組織に変化して、自由な思考ができるようになったら。エリコさんの言動の辻褄が合う。発電機能のあるアーカイブ・サテライト内の電子に、エレクトロン・ピンボール粒子が繰り返し衝突したのなら、謎の粒子が大量に生成され得るわ」
アーカイブ・サテライトの写真に目を落とす。またも灯台下暗し。叫んで悔しさを発散したい衝動を、奥歯を噛んで必死で抑えた。
「……俺を挑発するために、わざわざ証拠になる音声データを残したくらいだ。犯人は明らかに俺に敵意を抱いています。俺は元アーキビストです。エリコよりもアーカイブ・サテライトの近くにいた。もしかしたら犯人が本当に狙っていたのは……」
「五塔さんがターゲットだったとしたら、わざわざエリコさんを巻き込むかしら。アンドロイドたちを自由に操れる。ハッカーとして一流で知性がある。そういう犯人が無駄な行動をするとは考えにくいわ。最初から五塔さんだけを始末しようとするでしょう。やはりエリコさんを狙っていたのではないかしら。そして今は、五塔さんを手ぐすね引いて待っている」
時子さんの両目の奥で、何かが輝いている。エリコの銀河が、燃え盛っていた。
「アーカイブ・サテライトの恨みを買った覚えはありませんが、こっちには売るほど恨みがあるんだ。こっちから堂々と出向いて、捕まえてやりましょう」
「そうね。全て白状させてやりましょう」
ファイルを勢いよく閉じて立ち上がる。行くべき場所は1つだけ。アーカイブ・サテライトに潜む犯人と接触できる唯一の場所、中央情報管理局だ。
研究所を出て、時子さんと話しながら歩いていると、後ろから強い視線を感じた。立ち止まって振り返り、左右を見渡す。
「どうしたの?」
「誰かに付けられてるような気が……」
しばらく見回してから、やはり気のせいだと言おうとした時、視界の端で人影が素早く動いた。顔も姿もほとんど見えなかったが、直観的にキャスさんだと思った。
「キャスさん!待って!時子さん、少しここで待っててください!」
急いで時子さんの車椅子を歩道の脇に寄せ、全速力で走る。内臓も足も壊れてしまいそうだ。しかし構っていられない。俺は犯人と相対する前になんとしても、キャスさんと話さなくてはいけないのだ。話したくても話せなくなる前に。同じ後悔をしないために。
人影が消えた暗い路地を走る。何回か角を曲がると、遠くから明るい光が差し込んできた。大通りだ。荒い息を吐きながら、歩く速度で走る。半ば諦めながら大通りに出た。立ち尽くすキャスさんが横にいた。驚きながらも、まずは両膝に手をついて息を整える。息が白いな、と気付く余裕が出てきた時、無表情のキャスさんは静かに頭を下げた。
「……謝らないでください。謝る必要なんて、ないじゃないですか。記憶はないのでしょう?あなたは被害者だ。誰もあなたを責めませんよ」
「……記憶はありません。でも、間違いなく僕でした。この手でエリコさんを、殺害していたという現実に、耐えられそうにないんです。もう皆さんに合わせる顔がない。誰より五塔さん、あなたに。もう居場所はないんだと思うと、苦しくて……本当に申し訳ありませんでした」
「……俺たちは心配してたんです。キャスさんともう、会えないんじゃないかと思って。どうか戻ってきてくれませんか?キャスさんがいないと、なんだか、落ち着かないんですよ皆」
ゆっくりと頭を上げたキャスさんは、痛みに耐えるような表情を浮かべていた。微かに頷くまで待ってから、キャスさんを抱きしめた。耳元で鼓動によく似た機械音がする。目を閉じて、その小さな音に耳を澄ませた。
しばらくすると強い視線が全身に突き刺さってきて、目を開けた。道行くアンドロイドたちが、興味深そうにこちらを見ている。慌ててキャスさんから離れ、一定の距離を取った。
「うん、とにかく、また会えて良かったです。とりあえず時子さんの所に戻りましょう。あまり1人にしていたら危ないし」
また頷いたキャスさんは、無言で俺に付いてきた。
「冠木さんへの連絡は、まだ?」
「はい。警部にも迷惑をかけています」
「あの人は迷惑だなんて思ってないでしょう。キャスさんのほうがよく知ってるでしょ?誰よりも心配してましたよ。早く連絡して、安心させてあげてください」
「はい……」
戻ると、時子さんは何も言わずにキャスさんの両手を取った。無言で再会を喜ぶ2人の間で、茜色の光の粒子が躍っている。俺の瞳にカメラ機能があったら、迷わずシャッターを切るだろう。
「……急にいなくなるなんて、もう止めてね」
「……すみませんでした。自分の不完全さを思い知りました。自分を過信していたんです。もう帰る場所が無いと思ったら、逃げて迷子になってしまうのに」
「生命は不完全なものよ。キャスさんも私たちも生きている。それだけのこと」
「……ありがとう、ございます。はは、なんだか今、すごく安心しました。ああそうだ、早く警部に連絡しないと」
「私の携帯を使って。イヤーカフス型なんだけど使い方、分かる?」
「助かります。大丈夫です。お借りします」
つい片耳を探ってしまった手をゆっくり下げる。そういえば、俺の携帯はいつ返却されるのだろう。片耳を手で覆いながら話し始めたキャスさんの声には、さっきよりも張りがある。表情はどんどん明るくなる。通話を終えた時には、笑っていた。
「携帯ありがとうございました。ふふふ」
「あら、嬉しそう」
「初めて叱られました。嬉しいというか、くすぐったくて。変ですね僕」
「冠木さんには息子さんがいますからね。叱り慣れているんでしょう。キャスさんは息子さんと同じくらい、大切な存在ってことですよ」
「ふふふ、本当に警部はお父さんって感じです。何があっても僕の帰りを待っていてくれる。そういう人です」
夕日が眩しくて、顔を下に向けた。俺の父親は、どんな人なのだろう。父さん、お父さん、親父。どんな呼び方がしっくりくる人なのだろう。無機質なデータの断片としてしか実の父親を知らない俺には、想像できない。
エリコが義父と気安く話している姿を、俺はいつも離れて見ていた。あの時の俺は、引力と遠心力のせいで、地球に近づけない月だった。当然ながら、義父はエリコの父親だ。今も、これからも。
「あっ!そうだ!」
時子さんの良く通る声に、顔を上げる。やっぱり眩しくて、片目を閉じた。
「キャスさんたちの所属は備品管理課なのよね?それなら警察署の倉庫の中身に詳しい?」
「うーん、詳しいかと聞かれると……。署内には年季の入ったガラクタばかりの倉庫部屋が、結構ありまして……普段使われない倉庫は、ろくに整理もされていない状態なんです」
「うんうん、そういう倉庫を期待してたのよ。冠木さんと一緒に倉庫で探してみてほしいものがあるのだけど……えーと」
鞄からペンケースとメモ帳を取り出した時子さんは、膝の上で何かを書き始めた。鋭く輝く瞳と忙しなく走るペンは、気迫に満ちている。冷たい風が通り過ぎたが、寒さは感じなかった。
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