世界平和は、最初から無理だった
― 利己性を抱えた人間に、完成された平和など作れない ―
世界平和という言葉は、美しい。
だが、美しいだけだ。
現実を見れば分かる。
この言葉は、人間を知らない者ほど信じたがる幻想にすぎない。
人間は、綺麗事を語る。
優しさを語る。
思いやりを語る。
「人のため」と語る。
だが、その中心にあるのは、他者ではない。
いつも自分だ。
自分の利益。
自分の安心。
自分の評価。
自分の快適さ。
自分が傷つかないための予防線。
人間の行動原理など、突き詰めればその程度でできている。
それを直視したくないから、人は言葉を飾る。
善意。道徳。正義。思いやり。共存。平和。
都合の悪い本音を隠すために、いくらでも美しい語彙を持ち出す。
だが、言葉を取り払えば残るのは、利害と保身と恐怖だ。
世界平和が実現しない理由は単純である。
人間が未熟だからではない。
教育が足りないからでもない。
人間そのものが、平和の完成形に向いていないからだ。
利己性を抱えた者同士が集まれば、衝突は必ず起きる。
欲がぶつかる。
正義が割れる。
立場が対立する。
恐怖が先回りして攻撃に変わる。
その繰り返しの上にあるのが人間社会だ。
にもかかわらず、人は平和を語りたがる。
なぜか。
平和を実現したいからではない。
平和を語る自分を、正しい側に置きたいからだ。
ここに、人間の醜さがある。
本当に他者のために動く人間など、多くはない。
大半は、自分に得がある時だけ動く。
感謝されたい。
評価されたい。
善人であると思いたい。
孤立したくない。
あるいはただ、自分が不快になりたくない。
その動機を「人のため」と呼び替えているだけだ。
つまり、人間は平和を壊すだけではない。
平和を語る時ですら、自分のために語っている。
この時点で、世界平和という言葉はすでに破綻している。
綺麗事が現実を救わないのは当然だ。
綺麗事は責任を取らない。
綺麗事は損失を背負わない。
綺麗事は、痛みのある場面で真っ先に沈黙する。
耳あたりのいい理想ほど、現場では役に立たない。
なぜなら現実は、善意ではなく利害で動くからだ。
人間は、語ることには熱心だ。
だが、背負うことには驚くほど冷淡だ。
社会を変えたいと言いながら、代償は払いたがらない。
誰かを助けたいと言いながら、自分が少し不利になると引く。
正義を口にしながら、自分の側に不都合が生じれば黙る。
それが人間だ。
だから私は、世界平和を信じない。
信じられないのではない。
見てきた結果として、信じる理由がない。
人間が利己性を捨てない限り、完全な平和は来ない。
そして、その利己性は捨てられない。
ならば結論は一つしかない。
世界平和は、最初から無理だった。
では、すべてが無意味なのか。
いや、そうではない。
ただ、目指すべきものを取り違えるなと言いたいだけだ。
必要なのは理想郷ではない。
善人の到来でもない。
必要なのは、利己的な人間同士でも致命的に壊れにくい構造だ。
争いをなくすことはできない。
だが、被害を減らすことはできる。
悪意を消すことはできない。
だが、暴走を抑えることはできる。
人間を美しく矯正することはできない。
だが、醜さ込みでも崩れにくい仕組みは作れる。
それが現実だ。
平和とは、到達点ではない。
崩壊を遅らせる技術にすぎない。
世界平和を語る者ほど、人間を見ていない。
人間を見ている者ほど、世界平和を簡単には語れない。
このねじれこそが、本質だろう。
人は綺麗ではない。
人は高尚ではない。
人は他者のためだけには動かない。
だからこそ、幻想ではなく構造を見なければならない。
理想を掲げる前に、まず人間を疑え。
善意を語る前に、まず利害を見ろ。
平和を願う前に、まず何が平和を壊すのかを直視しろ。
世界平和は、祈りでは作れない。
綺麗事でも作れない。
人間を美化した瞬間に、もう壊れている。
Nemesis - ASTRA -
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