期待において…
人は、相手に期待する。
それ自体は悪ではない。
けれど期待は、いつの間にか相手を縛る縄になる。
「こうしてくれるはず」
「分かってくれるはず」
「自分の思い通りに動いてくれるはず」
その“はず”が外れた瞬間、人は相手を責め始める。
しかし、本当に崩れたのは相手ではない。
自分の中に勝手に作り上げた筋書きだ。
期待とは、相手を信じることのようでいて、
時に、自分の都合を相手に預ける行為でもある。
だから期待が裏切られた時、人は怒る。
けれどその怒りの奥にあるのは、相手への失望だけではない。
自分の思い通りにならなかった現実への抵抗だ。
相手には、相手の選択がある。
相手には、相手の限界がある。
相手には、こちらの期待から外れる自由がある。
それを認められない時、期待は信頼ではなく支配になる。
本当に向き合うべきなのは、相手の落ち度ではない。
自分がなぜ、そこまで相手に委ねてしまったのか。
なぜ、相手の行動ひとつで自分の価値まで揺らいでしまうのか。
期待において問われるのは、相手の正しさではない。
自分の依存の深さだ。
人に期待してもいい。
けれど、期待通りにならなかった時に、相手を裁く権利までは生まれない。
期待は、願いであって命令ではない。
そこを見誤った瞬間、人は優しさの顔をした支配者になる。
――――。
期待とは、時に、自分の未熟さを映す鏡である。
Nemesis - ASTRA -
