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日本人のプライドは嘘

今回は、KAZUYA/デビルさんの「あなたは、もう十分頑張っている」という記事の中のプライドについて考えてみます。

KAZUYA/デビルさん、興味深いテーマありがとうございます。



日本ではよく言われる。

「あの人はプライドが高い」

でも、少し立ち止まって考えてみるといい。
それは本当にプライドなのだろうか。

多くの場合、それは違う。

間違いを認めない。
指摘されると怒る。
負けを受け入れない。

それを人は「プライドが高い」と言う。

だが、それはプライドではない。

ただの防御だ。

傷つきたくない。
間違っていると思われたくない。
自分の価値が下がるのが怖い。

だから守る。

守るものが多いほど、人は強くなるわけではない。
むしろ逆だ。

守らなければ崩れてしまうものが多いほど、
その人は脆い。

本来、プライドとは何か。

それは
自分の価値を自分で知っていることだ。

だから、本当にプライドがある人は
意外なほど静かだ。

間違いを認める。
指摘を受け入れる。
自分の未熟さから目をそらさない。

なぜそんなことができるのか。

簡単だ。

それで自分の価値が崩れないと
分かっているからだ。

逆に、日本でよく見る「プライドの高い人」はどうか。

謝れない。
認められない。
指摘を攻撃だと感じる。

それは誇りではない。

ただの不安だ。

崩れそうな自分を守るための
薄い殻。

そしてその殻を、人は
「プライド」と呼ぶ。

言葉は便利だ。

だが、ときどき
言葉は本質を隠す。

「プライド」という言葉も、
その一つだろう。

日本では、見栄や体面、
自己防衛までまとめて
プライドと呼ぶ。

だが、それらは誇りではない。

誇りとは、守るものではない。
土台だ。

土台は、揺れても崩れない。

だからこそ
本当に誇りを持つ人は
必要以上に守らない。

日本では、
よく「プライドが高い人」が嫌われる。

だが実際に嫌われているのは、
プライドではない。

誇りでもない。

ただの自己防衛虚勢だ。

そしてその誇りは、
不安の別名にすぎない。


日本人のプライドは、
少し嘘が混ざっている。


Nemesis - ASTRA -


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