歪んだ多様性
多様性という言葉が、いつからこんなに息苦しくなったんだろう。
本来、多様性は
「違いがあっても共存できる」という、静かで強い概念だったはずだ。
少なくとも、
強制されるための、思考を止める免罪符ではなかった。
今の多様性は違う。
否定しないことが正義になり、
違和感を口にすることが悪になる。
それはもう多様性じゃない。
同調圧力を丁寧な言葉で包んだだけの統一思想だ。
意見が違ってもいい。
価値観が噛み合わなくてもいい。
でも最近は「違う」と言った瞬間に
「理解が足りない側」に分類される。
違う、そうじゃない。
理解とは、
すべてを受け入れることじゃない。
線を引いた上で、相手を認識することだ。
多様性を盾にして
思考停止を正当化する人たちは、
実は一番、他者を尊重していない。
なぜなら彼らは、
「考えること」そのものを放棄しているから。
私は、全員に好かれたいわけじゃない。
全員と分かり合いたいとも思っていない。
ただ、
考える自由だけは奪われたくない。
奪われる筋合いはない。
違和感を違和感として言えない社会は、
静かに腐る。
多様性が歪んだ瞬間、
残るのは空気と恐怖だけだ。
だから私は、ここで線を引く。
迎合しない。
沈黙もしない。
これは排除じゃない。
選択だ。
本当の多様性は、
もっと冷静で、もっと孤独で、
そして、ずっと強い。
Nemesis - ASTRA -
