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セガはいつも10年早い。NVIDIA編

NVIDIA(エヌビディア)って知ってるかい?

そう。あの米国の半導体メーカーのNVIDIAだ。

近ごろ、AI関連のニュースを見ていると、かなりの頻度で名前が出てくる大企業である。生成AIだの、データセンターだの、半導体だの。なんだか難しい単語が飛び交う世界の中心で、ものすごく忙しそうにしている。

AIが伸びれば、NVIDIAも伸びる。NVIDIAが伸びれば、ニュースでまた名前を見る。もはや、AI界隈の大地主みたいな存在である。

詳しい仕組みは分からなくても、

「とにかくAIに必要な、すごい半導体を作っている会社」

くらいの認識を持っている人は多いのではないだろうか。雑な説明だが、だいたい合っている。そしてゲームが好きな人にとっては、もっと昔からおなじみの名前でもある。

―――『GeForce(ジーフォース)』。

パソコンゲームの映像を美しく、そして滑らかに動かすための、NVIDIAを代表する製品ブランドである。

金属類の表現をキラキラさせる。
水面を美しく反射させる。
遠くの山まで、無駄にくっきり見せる。

ゲームにおける映像の世界が進化するたび、その裏側にはいつもNVIDIAと『GeForce』の名前があった。つまりNVIDIAは、長年ゲームの映像を支えながら、いつの間にか生成AIの時代まで支える、とんでもなく大きな会社になっていたのである。

ロゴは緑色。そのトップは、革ジャンの似合うジェンスン・フアン氏。名前がニュースに出るだけで、なにやら大きなお金と未来が動き出しそうな人物だ。まあ、実際にそんな感じなんだけれども。

では、ここでひとつ質問をしよう。

そんなNVIDIAが、創業間もないころに会社存続の危機を迎え、セガから約5億円の支援を受けて生き延びた―――と聞いたら、あなたはどう思うだろうか。

またセガか。

そう思った人。

おめでとう。

あなたはもう、このシリーズの読み方を完全に理解している。

そうなのだ。

いまやゲームだけでなく、AIをはじめとした世界の最先端を走るNVIDIA。その会社がまだ小さく、未来が今ほど鮮明には見えていなかった時代に、セガはすでに出会っていた。

しかも、ただ出会っただけではない。一緒に新しい技術を作ろうとして、失敗した。普通なら、ここで終わる。

「残念ですが、今回の話はなかったことに」

契約終了。
解散。
はい、お疲れさまでした。

ビジネスの世界とは、おおむねそういうものだ。

ところが、セガは違った。

プロジェクトは失敗した。
自社のゲーム機には使えない。

それでも、この会社と、この男はここで終わらせてはいけない。

そう考えた人物が、セガにいた。

そしてセガは、まだ何者でもなかったNVIDIAの未来へ、約5億円を差し出したのである。

セガちゃんよ……。

未来を見る目があるとは思っていた。

未来へと走り出す足が速すぎることも、わたしたちはよく知っている。しかし今回は、未来の技術だけではない。未来を作る会社と、未来を作る人間まで見つけていたらしい。

わたし、西野葵のひさしぶりとなる「セガはいつも10年早い」シリーズ。今回お届けするのは、セガが世界的な巨大企業を救った物語。そして約30年後、その恩を忘れなかったひとりの男が、セガのもとへ帰ってくる物語である。

―――時間を、1994年まで巻き戻そう。

大阪で『関空』が開港し、パソコン界隈では『Windows95』の発売を翌年に控えていたころ、NVIDIAは、まだ創業して間もない小さな会社だった。いまのように、世界中の企業がNVIDIAの技術を必要としているわけではない。まだ何者でもない。いや、正確に言えば、何者かになろうとしていた途中だった。そんなある日、ジェンスン氏はゲームセンターで、一台のゲームに出会う。

『デイトナUSA』。

セガが世に送り出した、アーケード用のレースゲームである。ゲームセンターに置かれた大型筐体。ハンドルを握り、アクセルを踏み、派手な音楽とともにコースを駆け抜ける。いまの目で見れば、レースゲームとして当たり前に思える部分もあるかもしれない。

しかし、1994年である。

立体的に描かれた車体が、広いコースを何台も走り回る。景色がものすごい勢いで流れていく。ゲームの中に、本当にひとつの世界が存在しているように見える。ジェンスン氏は、その映像と音に衝撃を受けた。

「―――なんだ、これは。
 こんな3Dゲームを、いったい誰が作っているんだ!」

答えは、セガである。

またセガか。

そう。

またセガなのである。

現在の世界有数の大企業の一つ、NVIDIAを率いる男が、まだ会社の未来を模索していたころ。その目の前に”3Dゲームの未来”を実物として叩きつけたのが、セガの『デイトナUSA』だった。しかもジェンスン氏は、一度遊んで感心しただけではない。毎日のようにゲームセンターへ通い、この『デイトナUSA』を遊んでいたという。

セガちゃんよ……。

NVIDIAを救う前に、まずNVIDIAの創業者をゲームセンターで釣り上げていたらしい。しかも餌は、当時世界最高水準の3Dゲームである。ジェンスン氏は、この技術を作った人たちに、どうしても会いたいと考えた。当時、セガで本格的な3Dゲームを作っていたのが、鈴木裕氏率いる『AM2研』だった。

鈴木裕氏は、『バーチャファイター』や『デイトナUSA』などを生み出した、セガを代表する今やレジェンドのひとりともいえるゲームクリエイターである。ゲームセンターに、誰よりも、どのメーカーよりもひと足早く”未来”を並べていた人物だ。

ジェンスン氏は、日本へ向かった。

目的地は、セガ。

のちに世界のAI産業を支えることになる男が、セガのゲームに心を奪われ、日本のゲーム会社の扉を叩く。

こう書くと、いかにも運命的な出会いに見える。実際、運命的な出会いだった。ただし、ここから始まるのは、順風満帆な成功物語ではない。そこはセガである。話が普通に進むはずがない。NVIDIAとセガは、次世代家庭用ゲーム機に向けた、新しい3Dグラフィックス技術の開発を始めた。

のちにドリームキャストへとつながっていく、セガの新たな主力兵器。その映像を担う技術を、NVIDIAとともに作ろうとしたのである。創業間もないNVIDIAにとって、これは巨大な仕事だった。相手はセガ。しかも、次世代ゲーム機。成功すれば、会社は一気に成長する。自分たちの技術が、世界中の家庭へ届くかもしれない。

夢がある。

ドリームキャストだけに。

まだ当時は名前は決まっていなかったかもしれないけれど。

NVIDIAは開発を進めた。セガも期待した。新しいゲーム機で、新しい映像表現を実現する。双方が、同じ未来を見ていた。ところが、開発開始から約9か月後。その未来へ向かっていたはずの道が、根本から間違っていたことが分かる。NVIDIAが選んだ技術的なアプローチでは、セガが求めるゲーム機を実現できない。努力が足りないとか、少し改良すれば何とかなるとか、そういう話ではなかった。なんと”道”そのものが違っていた。

9か月進んだところで、

「―――すみません。
 この道、目的地につながっていませんでした」

と判明したのである。

これはつらい。カーナビなら再検索で済む。しかし、企業の技術開発である。人も使った。時間も使った。お金も使った。かなり。そして何より、期待を使ってしまった。NVIDIAにとって、この失敗は会社の存続に関わるほど大きなものだった。

ジェンスン氏は、日本へ向かった。成功の報告ではない。失敗を伝えるために。そのとき、セガ側でNVIDIAと向き合ったのが、入交昭一郎氏だった。ホンダで経営手腕を振るい、のちにセガの社長も務めることになる人物である。

ジェンスン氏は入交氏と向き合い、自分たちが選んだ技術では計画を完成させられないと説明した。

失敗を隠さなかった。

会社が危ないから黙っておこう。もう少しごまかせるかもしれない。
何とかなると言い張って、時間を稼ごう。そういう選択も、きっとあったはずだ。

しかしジェンスン氏は日本までやってきて、自分の口で失敗を認めた。言うほうも地獄。聞くほうも地獄。誰も得をしない報告会である。

しかも、セガには自社の次世代ゲーム機がかかっている。情に流されている場合ではない。ゲーム機の発売は待ってくれない。ライバル企業も待ってくれない。市場も待ってくれない。

セガはNVIDIAとの開発を打ち切り、別の技術を選ばなければならなかった。ここまでは、当然の判断だ。普通ならこれで終わる。

「分かりました。
 残念ですが、契約は打ち切りです」

握手。

解散。

はい、スタッフロールである。

ところが、入交氏は失敗だけを見てはいなかった。今回の技術はうまくいかなかった。プロジェクトも終わった。それでも、ジェンスン・フアンという人物と、NVIDIAという会社まで、ここで終わらせてよいのか。

入交氏は、そこを見た。

そしてNVIDIAへ、約500万ドルの資金支援を決断した。

当時の日本円にして、およそ5億円。

もう一度言おう。開発に成功した会社ではない。期待どおりの成果を持ってきた会社でもない。失敗した会社に、約5億円である。

セガちゃんよ……。

そのお金、どこから出てきた。

いや、今回の約5億円は、ただの豪快なお金の使い方ではなかった。入交氏は、失敗した技術と、その技術を作った人間を、同じものとして扱わなかった。今回の方法はうまくいかなかった。だが、この会社にはまだ力がある。この男は、ここで終わるような人物ではない。そう判断したのだ。

わたしたちは、いまのNVIDIAを知っている。世界中で使われる半導体を作り、ゲームの映像を動かし、AIの時代を支える巨大企業だ。

だから後ろから振り返れば、

「セガはNVIDIAの未来を見抜いていた」

と簡単に言えてしまう。

だが、そのとき目の前にいたのは、現在のNVIDIAではない。開発に失敗した、創業間もない小さな会社だった。成功した会社を褒めるのは簡単だ。難しいのは、まだ何者にもなっていないときに、その可能性を信じることだ。

未来の姿など、誰にも見えていない。もしかすると、そのまま消えてしまうかもしれない。渡したお金も、戻ってこないかもしれない。それでも入交氏は、NVIDIAの未来を切らなかった。その約5億円によって、NVIDIAは次の技術を開発するための時間を得た。

会社にとって、時間とは命である。優秀な技術者がいても、立派な夢があっても、資金が尽きればそこで終わる。ゲームで言えば、まだボス戦の途中なのに、電源コードを抜かれるようなものだ。セーブもできない。コンティニューもできない。そんなNVIDIAへ、セガはコンティニューのためのコインを入れた。しかも、かなり高額なコインを。

NVIDIAは、その時間を無駄にしなかった。新しい技術を開発し、ゲームのグラフィックスを支える会社として成長していく。やがてNVIDIAは、『GeForce』という名の映像処理に特化した半導体『GPU』の製品ブランドを世に送り出す。

パソコンで動画制作したりゲームをする人なら、いまでは一度くらいはその名前を目にしたことがあるだろう。より美しい映像を。より滑らかな動きを。より重たい(処理)のゲームや映像制作を。ゲームや映像の世界が進化するたび、その裏側にはNVIDIAと『GeForce』の名前があった。

そして時代は、さらに進む。

NVIDIAの技術は、ゲームの映像を動かすだけでは終わらなかった。大量の計算を同時にこなす力が、研究やデータセンターで使われ、やがて生成AIの発展を支えるようになる。

1994年、ゲームセンターで『デイトナUSA』に衝撃を受けた男が率いる会社は、いつしかAI時代の中心へと駆け上がっていた。セガが助けた小さな半導体企業は、世界の未来を動かす巨大企業になったのである。

なんという立身出世物語だろう。豊臣秀吉でも、もう少し途中で休む(はず)。けれど、この物語が胸を熱くするのは、NVIDIAが大成功したからだけではない。大きくなったあとも、ジェンスン氏が、あの日に差し伸べられた手を忘れていなかったことだ。

―――それから、およそ30年。

物語の舞台は、再び日本へ戻ってくる。

2026年7月15日。

東京・秋葉原。

NVIDIAとセガの長い歴史を祝うイベントが、GiGO秋葉原3号館で開かれた。そこへ現れたのは、いまや世界的な企業の経営者となったジェンスン・フアン氏。もちろん、いつもの革ジャン姿である。一方、会場には入交昭一郎氏と鈴木裕氏の姿もあった。

約30年前。

まだNVIDIAが小さな会社だったころに、ジェンスン氏と向き合ったふたりである。三人が顔を合わせる。ジェンスン氏は入交氏と鈴木氏に歩み寄り、熱い抱擁を交わした。偉くなった会社のトップ同士が、形式的に握手をする。そういう光景ではない。長いあいだ会えていなかった友人たちが、ようやく再会した。写真からも、そんな空気が伝わってくる。

しかもジェンスン氏は、マイクを持って正式に話し始めるより先に、

「何してたの?」
「新しいバーチャファイターは見た?」

と、入交氏や鈴木氏へ矢継ぎ早に話しかけていたという。世界的企業のCEOである。もう少しこう、威厳を保ちながら、落ち着いた声で、

「本日はお招きいただき、
 誠にありがとうございます」

みたいな感じでもよさそうなものだ。

しかし、久しぶりに会えたのだから仕方がない。偉くなっても、うれしいものはうれしい。そういう人間らしさが、なんともいい。会場では、NVIDIAとセガが歩んできた約30年の歴史が振り返られた。

ジェンスン氏が毎日のように『デイトナUSA』を遊んでいたこと。何としてもセガに会いたいと思い、日本を訪れたこと。次世代ゲーム機のために、ふたつの会社が新しい3D技術へ挑戦したこと。そして、その開発が失敗したこと。

すべては、そこから始まった。

さらに会場では、新しいNVIDIA製チップを搭載したパソコン上で動く、『VIRTUA FIGHTER CROSSROADS』のデモも披露された。

かつて鈴木裕氏たちが作った『バーチャファイター』に衝撃を受け、セガの扉を叩いたジェンスン氏。

その約30年後。

NVIDIAの最新技術で、新しい『バーチャファイター』が動いている。物語が、ひと回りして帰ってきた。こんなものを見せられたら、胸が熱くならないほうが難しい。

セガちゃんよ……。伏線の回収に、30年もかけるんじゃない。長編小説でも、もう少し早めに回収する。そしてイベントの最後。ジェンスン氏は、入交氏へ向けて感謝を語った。

「入交さんのサポートと友情がなければ、
 今日のことはありませんでした。
 日本もセガも、私の心の中に一生残ります」

ここで使われているのは、「投資」という言葉ではない。

「サポートと友情」である。

約500万ドル。およそ5億円。数字だけを見れば、企業から企業へ渡された資金だ。けれど、ジェンスン氏の心に残っていたものは、金額だけではなかった。自分たちの開発が失敗したとき、それでも見捨てずにいてくれたこと。会社が消えかけていたとき、次の挑戦へ進む時間を与えてくれたこと。まだ成功していなかった自分たちを、信じてくれたこと。それらすべてを、彼は「友情」と呼んだのだ。

―――約30年。

NVIDIAは大きくなった。

ゲームの映像を動かし、世界中のコンピューターを支え、やがて生成AIの時代を動かす会社になった。けれど、どれだけ大きくなっても、始まりのころに差し伸べられた手を忘れなかった。これが、なんとも胸にくるではないか。

成功したあとで、

「あのころから才能があると思っていました」

と言うのは簡単だ。

世界的な企業となったNVIDIAと仲よくしたい会社も、いまならいくらでもあるだろう。だが入交氏が手を差し伸べたのは、現在のNVIDIAではない。技術開発に失敗し、明日があるかも分からなかったころのNVIDIAだ。先の見えない誰かを信じる。その難しさは、企業の世界でも、わたしたちの日常でも、きっと変わらない。

結果が出ている人を評価することはできる。成功した人を褒めることもできる。けれど、まだ何者にもなっていない人の中に、未来を見ることができるか。

今回、セガが先取りしていたのは、3D技術でも、半導体でもなかったのかもしれない。人を信じることだった。セガは、未来の製品を作ろうとして失敗した。その代わりに、未来を作る会社を救った。

それから約30年後。救われた会社の創業者は日本へ戻り、かつて自分を助けた人と抱き合い、こう言った。

「日本もセガも、私の心の中に一生残ります」、と。

わたし、西野葵はセガが好きだ。

大企業なのに攻めの姿勢を崩さない。技術力もパない。ユーモアのセンスもある。そしてときどき、驚くほど人情に厚い。セガちゃんよ……。あなたは自分たちのゲーム機に採用できなかった会社へ、約5億円を差し出した。その会社はやがて、ゲームの未来を動かし、AIの未来まで動かす巨大企業になった。

「セガはいつも10年早い」

そう言い続けてきたけれど、今回ばかりは少し訂正しなければならないのかもしれない。セガはいつも10年早い。

ただし、人を見る目に関しては―――

約30年早かった。

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