なぜ広告制作は「多重下請け」になるのか?
優秀な人材を「作業」に使わないための分業
広告制作の現場には、典型的な商流がある。大手企業から販促物の制作を受注した広告会社が、自社では制作せず別の制作会社へ発注する。その制作会社が、さらに別のDTP会社へ発注する。
発注企業
↓
元請け広告会社
↓
制作会社
↓
DTP会社
↓
DTPオペレーター
という構造である。会社が一つ入るたびにマージンが発生する。だったら元請け広告会社が自分たちで作ればいいのではないか。特に、写真も原稿もテンプレートも用意されていて、決められた場所へ商品名や価格を入れていくような仕事なら、なおさらそう思える。しかし、この多重下請けには経営上の合理性がある。そしてその合理性を考えると、広告制作会社がこれからAIを導入する理由も見えてくる。
元請けが外注したいのは「難しい仕事」とは限らない
外注というと、「自社ではできない専門的な仕事を専門会社へ頼む」というイメージがある。しかし広告制作では、むしろ逆の場合がある。自社でもできる仕事だからこそ外へ出す。
写真を差し替える。商品名を流し込む。価格を変更する。決められた位置にロゴを置く。規定のサイズへ変換する。ファイル名を付ける。指定された解像度で画像を書き出す。PDFを作る。
こうした仕事に高度な企画力は必ずしも必要ない。
むしろ、仕様書を正確に読み、決められた手順を守り、間違えず大量に処理する能力が求められる。
以前の記事で私はこれを「制約充足型デザインワーク」と呼んだ。実際、大手小売業の店頭媒体では、媒体サイズごとに写真、商品コピー、価格、ロゴなどの位置やサイズが細かく定義され、書体についても原則変更禁止というような厳密なガイドラインが存在する。つまり「好きにデザインしてください」という仕事ではない。正解の範囲がかなり狭い仕事なのである。
優秀な人材を「単純作業」に固定しない
ここに、元請けがこの仕事を自社でやらない大きな理由がある。元請け広告会社に、アートディレクターがいたとする。ブランドについて深く理解し、クライアントと話ができ、企画を考え、プレゼンテーションができる。
その人が一日8時間、写真を差し替える。商品名を流し込む。価格を変更する。100ppiでPNGを書き出す。ファイル名を変更する。という作業をしていたらどうだろう。もちろん本人にはできる。おそらくDTPにも習熟しているので、かなり速くできるだろう。しかし経営的には、「できるかどうか」と「やらせるべきかどうか」は別問題である。その8時間を、クライアントへの提案。新しい販促企画。キャンペーン設計。売上データの分析。ブランド戦略。DX提案。新規顧客獲得。といった仕事へ使えば、会社にもたらす価値ははるかに大きくなる。
元請けにとって重要なのは、「自社で制作できる能力を持つこと」ではなく、「自社の優秀な人間をどこに配置するか」なのである。
これは「時間の粗利」の問題でもある
この問題は「人件費が高いから安い会社へ外注する」という説明だけでは足りない。重要なのは、同じ一時間が生み出す価値が違うことである。
熟練した社員が1時間かけて10点の販促物を作ったとする。それによって会社に数千円、数万円の粗利が生まれるかもしれない。しかし同じ社員が1時間クライアントと打ち合わせをして、新しいキャンペーンを提案し、数百万円の案件を受注する可能性もある。
だったら、制作は外注して、その社員には提案をさせたほうがいい。これはデザイナーを軽視しているという話ではない。能力の高い人間ほど、再現可能な作業ではなく、その人にしかできない判断へ投入したほうがいいという話である。
「上流工程」とは何なのか
広告業界ではよく「上流」「下流」という言葉が使われる。
これを単純に、上流=偉い仕事下流=偉くない仕事と理解すると本質を見失う。経営的には、
上流ほど非定型で、下流ほど定型化しやすい
と考えたほうが分かりやすい。たとえば、「来年度、この商品のブランドをどう育てるか」には正解がない。「この顧客層にどんなキャンペーンが有効か」にも正解がない。「このクライアントが言う『もう少し高級感が欲しい』とは何を意味しているのか」にも明確な正解はない。
しかし、「このロゴは何ミリで配置するか」「この媒体では商品名を何ポイントにするか」「画像を何ppiで書き出すか」には正解がある。
実際のガイドラインでも、ロゴの大きさや媒体ごとの配置は数値で規定されている。つまり、上流では「判断」が必要になり、下流では「ルールへの適合」が必要になる。
元請けは「考える会社」になりたい
ここから、元請け広告会社の経営戦略が見えてくる。会社として価値を高めようとすれば、「Illustratorを使って大量の販促物を作れます」より、「販促戦略を考えます」「顧客データを分析します」「店舗体験を設計します」「デジタルとリアルを統合します」「業務そのものをDXします」「販促業務をBPOとして引き受けます」という方向へ行きたくなる。
こちらのほうが競合との差別化もしやすく、顧客との関係も深くなる。一度限りの制作物を売るのではなく、クライアントの事業プロセスそのものへ入り込むことができるからである。
この意味では、「制約充足型デザインを外注する」という判断は単なるコスト削減ではない。自社をどんな会社にしたいかという経営戦略なのである。
固定費を変動費にするメリットもある
もっと直接的な理由もある。制作量には波がある。ある月は200点。翌月は800点。その次は300点。800点を処理できる人数を社員として抱えれば、200点しかない月にも給与を払わなければならない。
外注なら、200点なら200点分。800点なら800点分。仕事がなければゼロ。にできる。つまり、制作能力を固定費から変動費へ変換できる。しかも制作会社がさらに下請けを使えば、繁忙期だけ人的リソースを増やすこともできる。多重下請けは、ある意味で、大量の人間を社員として雇わずに、大量の制作能力だけを利用する仕組みなのである。
「500点作る」と「500点を管理する」は違う
中間会社が存在する理由もここにある。元請けが500点の販促物を直接500件管理すると、素材が揃っているか。原稿に不備はないか。誰が何を担当しているか。進捗はどうか。修正は反映されたか。仕様違反はないか。締切に間に合うか。納品ファイルは揃ったか。という管理が必要になる。そこで制作会社へ、「この仕様で500点、金曜日までに完成状態で納品してください」と渡す。すると元請けが管理する対象は、500件から1社になる。中間会社が本当に機能しているなら、そのマージンは単なる「中抜き」ではない。
工程管理料、品質保証料、キャパシティ調整料、トラブル対応料、納期リスクの引受料でもある。
上流ほど「判断と責任」を売り、下流ほど「時間」を売る
こうして多重下請けを眺めると、非常に重要な構造が見えてくる。上流企業が売っているのは、企画。顧客との関係。提案。判断。予算管理。プロジェクト管理。そして責任。
一方、下流へ行くほど、写真を切り抜く。画像を配置する。文字を流し込む。価格を変更する。ファイル名を付ける。PNGを書き出す。PDFを書き出す。という具体的な作業が増える。
つまり、上流ほど「判断と責任」を売り、下流ほど「作業時間」を売っている。そして、ここにAIが入ってくる。
AIは「優秀な人を作業から解放する」という思想と相性がいい
AIによる自動化というと、「人間の仕事を奪う」という話になりがちである。しかし元請け企業の側から見ると、少し違った景色になる。元請けはすでに、「価値の低い反復作業から、価値の高い人材を解放したい」と考えている。だからDTP作業を外注してきた。AIはその考え方の延長線上にある。従来は、
優秀な社員に単純作業をさせない→ 下請け企業の人間にやってもらうだった。これがAI時代には、
優秀な社員に単純作業をさせない→ コンピュータにやらせるへ変る。
下請け企業は「AIと競争する」のではない
ここで、下流の制作会社にとって少し厳しい問題が生じる。彼らが競争する相手は、AIではない。AIを導入した元請け企業なのである。これまでは500点の販促物を作るために20人必要だった。元請けが20人を社員として抱えるのは非効率だった。だから外注した。ところが、
商品データ>自動レイアウト>AI画像処理>自動校正>自動書き出し>人間による例外確認
というシステムができて、20人必要だった仕事を2人で処理できるようになったらどうなるだろう。元請けは考える。「2人なら自社で持てるのではないか?」ここで、外注の経済合理性が逆転する。
外注費を安くするだけでは対抗できない
これは下請け会社にとって重要な問題である。AIによって制作コストが半分になったとする。そこで、「うちも価格を半分にします」と対応しても、本質的な解決にならない。なぜなら元請けが欲しいのは単に「もっと安い制作会社」ではないからだ。元請けが目指しているのは、そもそも人間が大量に作業しなくても回る仕組みだからである。1点500円の外注先と競争するのではない。「1,000点生成しても追加人件費がほとんど増えないシステム」と競争することになる。これは価格競争ではかなり厳しい。
では、下請け制作会社はどうすればいいのか
答えは、「上流企業と同じことをする」ではないと思う。小さなDTP会社が突然ブランド戦略会社になる必要はない。むしろ、長年の制作経験そのものを別の商品に変えるべきだ。どんな原稿で事故が起こるか。どんな商品名がレイアウトを壊すか。どんな画像が使えないか。どこで価格間違いが起きるか。どんなファイル名が問題になるか。どんな例外案件が頻繁に発生するか。どのルールなら自動化してよいか。どのルールは人間が確認すべきか。これは単なるIllustratorの操作能力ではない。商業制作がどう壊れるかについての知識である。ならば、その知識を使って、自動レイアウトを設計する。商品データベースを整備する。チェックシステムを作る。AIに処理させるルールを作る。異常を自動検出する。例外だけ熟練者が処理する。という方向へ進める。500点を500回手作業する会社ではなく、500点のうち490点を自動生成し、残った10点を確実に処理できる会社になるのである。
「作る人」から「作らせる人」へ
ここまで考えると、AI時代の広告制作で起きる変化は、単純な「デザイナー不要論」ではないことが分かる。むしろ、人間の能力をどこに使うのかという問題なのである。写真を配置する能力より、写真がおかしいと気づく能力。価格を入力する能力より、二つの原稿に書かれた価格が違うと気づく能力。PDFを書き出す能力より、どういうPDFなら事故が起きないかを設計する能力。仕様書を守る能力より、なぜその仕様が存在するのかを理解する能力。そして、自分で100枚作る能力より、100枚を正しく自動生成させる能力。こちらへ価値が移っていく。
「人を外注する」時代から「処理を自動化する」時代へ
多重下請けという仕組みは、決して意味なく生まれたものではない。それは大量の制作労働を必要なときだけ調達する、合理的な仕組みだった。元請け企業は、制作要員を大量に抱える代わりに外注する。そのことで、自社の優秀な人材を、企画・提案・判断・顧客との関係構築といった、より付加価値の高い仕事へ集中させることができた。この視点から見ると、AIは突然現れた異物ではない。むしろ外注とAIには共通する思想がある。「人間にしかできない仕事へ、人間の時間を使いたい」という思想である。これまでは、そのために単純作業を別の会社の人間へ移してきた。これからは、その単純作業そのものを機械へ移せる。AIが変えるのは、DTPオペレーターの作業方法だけではない。「元請けが上流工程に集中し、定型制作を多重下請けへ流す」という、広告制作業界が長年作ってきた分業構造そのものを変える可能性がある。そして下流の制作会社にとって本当に問われているのは、「Illustratorをもっと速く操作できるか」ではない。「人間がIllustratorを操作しなくても大量の制作物が完成する時代に、自分たちは何を売る会社なのか」なのだと思う。
