祖母のコップを、人形の右側に置いた
棚の奥から、花柄のコップが出てきた。
少し重かった。
手に持つと、底のざらつきが指に残った。
ふちの金色は、ところどころ薄くなっていた。
高いものではないと思う。
商店街のどこかで買ったのかもしれない。
それでも私は、すぐには箱に入れられなかった。
流しの横に置いた。
何をするでもなく、しばらく見ていた。
祖母はそのコップで、よく麦茶を飲んでいた。
夏の昼。
冷蔵庫には麦茶のポットが入っている。
祖母は、麦茶をいつも半分くらいだけ注いだ。
いっぱいにはしなかった。
氷を入れる音がする。
コップの中で、からん、と鳴る。
テーブルには新聞と老眼鏡がある。
テレビでは昼のニュースが流れている。
横には、カリカリ梅があった。
祖母はそれを、麦茶と一緒に食べていた。
飲んでいるのか、食べているのか、よくわからない時間だった。
その場面が、コップの傷から戻ってきた。
あとから追いついてくるもの
祖母がいなくなった日は、頭の中が妙に静かだった。
病院の白い廊下。
消毒液の匂い。
閉まりかけたエレベーター。
自動販売機の前に立っていた。
何を買うわけでもなかった。
喪服は、前の晩から用意してあった。
式場の時間も、受付の順番も決まっていた。
やることがあると、人は少しだけ助かるのかもしれない。
その場にいるのに、少し遅れている感じがした。
自分のことなのに、自分の少し外側で起きているようだった。
片づけの日は違った。
誰も急かさない。
時計の音だけがする。
物だけが残っている。
湯のみ。
輪ゴム。
古い封筒。
使いかけの石けん。
ひとつずつ手に取るたび、祖母の暮らしの端が出てくる。
人は、いなくなってから細部で戻ってくる。
声よりも、癖で戻ってくる。
写真よりも、物の置き方で戻ってくる。
私はその日、祖母を何度も見つけた。
もういない人を、何度も。
物が待っている
笑った日のことは覚えている。
誰といたか。
どこにいたか。
楽しかったこと。
その場が明るくなったこと。
でも、何に笑ったのかは、案外忘れている。
残るものは、もう少し小さい。
台所でコップを洗っているとき。
古い紙袋を捨てようとしたとき。
誰かが座っていた椅子を見たとき。
何でもない日に、ふっと戻る。
葬儀の日は、朝からもう分かっていた。
今日はそういう日だと、みんなが知っていた。
だから涙にも、置き場所があったのだと思う。
でも、祖母のコップはそうではなかった。
棚の奥で、何日も何も言わずに待っていた。
ただそこにあった。
今日も。
明日も。
不意に手に取ったとき、こちらには何の用意もなかった。
作品が置いていくもの
何年も前に観た映画を、筋ではなく、窓の音で覚えていることがある。
誰かが黙って窓を閉める。
部屋の灯りが少し揺れる。
そのあと、何を話したのかは忘れている。
小説でも、そういうことがある。
食卓にひとつだけ残った茶碗。
脱いだままの靴。
封の切られていない手紙。
話の流れよりも、そういうもののほうが残っている。
音楽が止まったあと、拍手までに少しだけ間が空く。
その短い時間だけを、あとから何度も思い出す。
作品は、出来事を語るふりをして、物を置いていく。
コップ。
椅子。
封筒。
靴。
灯りの消えた部屋。
見た人は、そこに自分の記憶を少し入れる。
病院の廊下かもしれない。
駅のホームかもしれない。
夕方のスーパーかもしれない。
意味より先に、手触りだけが残る。
言葉にするより前に、景色だけが戻ってくる。
私はたぶん、そういうものを忘れられない。
棚の奥
祖母のコップは、結局、箱に入れた。
捨てる箱ではなく、持ち帰る箱に入れた。
使うかどうかはわからなかった。
たぶん、あまり使わないとも思った。
それでも、すぐには手放せなかった。
台所に置けば、ただの古いコップになる。
でも、ときどき目に入る。
そのたびに、祖母の手つきや、麦茶の音や、夏の昼の台所が戻ってくる。
残っているものは、いつも少し小さい。
輪ゴム。
封筒。
沈黙。
言えなかった一言。
どれも小さい。
どれも、静かにそこにある。
私はまだ、あのコップを使っていない。
今は、日本人形のケースの中に置いている。
人形の右側に、少しだけ離して。
半分だけ麦茶を注ぐには、ちょうどいい大きさに見える。
人形さんが喉が渇いたときに、飲めるように。
そう言いながら置いたけれど、たぶん違う。
それは、人形よりも小さい祖母のようだった。
あなたにも、なぜか忘れられない景色や言葉はありますか。
よければ、そっとコメントに置いていってください。
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