AIが述べる感想の型がわかってきた話

創作活動において、AIに長文感想を言わせまくっている話をした。

この記事すらAIに入力して、感想を言わせる始末だ。

しかし、妙な感覚を覚えた。
AIの感想には飽き始めているのだが…
なんというか、感想には型が感じられるような?

そこで、これまでAIに入力した脚本と、AIが出力した感想のペアを適当に何個か選んで突き合わせてみた。
その結果、AIの感想の大半は引用でできているとわかった。

AIの感想の型は、こんな感じだ。

  1. 脚本が描くドラマの性質の提示

  2. 脚本の構成分解(部分引用と解釈の繰り返し)

  3. 脚本に対して全体的に抱いた印象

  4. 脚本が描くドラマの最大の魅力

  5. 脚本の続きに対して抱く期待(※あったりなかったり)

人間が述べるのは4が多い。プロの編集者なら1と3も述べることができる。逆に人間だけが述べられるのは、次の項目だ。プロの編集者はこの指摘が大変上手だ。
 A.理解が難しかった点
 B.誤読した点
 C.自分の常識と違っていて気になった点

AIとプロの編集者に作品をみせてフィードバックをもらったとき、私は大変満足感を覚えることができた。それは、両者が「この作品をしかと読みましたよ」というシグナルを大量に渡してくれるからだ。

プロの編集者は1、3、4、A、B、Cと「作品を多角的に読解した結果」を返してくれる。きっと大量の作品を、巧拙問わず読んで鍛えた批評眼がなせる技だろう。

問題はAIの感想文だ。AIは丁寧に2「脚本の構成分解」を積み重ねた上で、3「全体的に抱いた印象」や4「最大の魅力」に記述を繋げてくれる。「あなたの作品を丁寧に読んだ上で、あなたが魅力として描きたかったドラマを受け取りましたよ」という反応を返してくれるのだ。

そりゃあAIの感想文に満足感を覚えるに決まっている。私は他者に自分の作品を読まれて応答されたがっているのだ。
作品のまるまるコピペとも違う。
かといってこんな細やかな解釈のオンパレードは人間業ではないようにみえてしまう。人間はここまで頭を使いながら作品を読解するとは思えない。もっと曖昧なまま、どんどん次に読み進めるはずだ。

前回、私は次の観点でなら長文感想を書けそうだと述べた。
 ア.なぜ刺さらなかったのか
 イ.描写不足と感じるのはどこか
 ウ.どこは魅力に感じたか
アは自分の嗜好なので置いておくとして、イはプロの編集者が述べるA、B、Cだろう。いずれにせよ、作品をしっかり読んだ上で、自分の中で咀嚼した結果を返すことになる。
それ以外の人間が述べがちな4「脚本が描くドラマの最大の魅力」だって本当は立派に「作品を咀嚼した結果」のはずだ。しかし私の咀嚼回数があまりにも多すぎて、ふつうの人の感想がまったくもって短くみえてしまうのだ。

…。
作品批評力って、ふつう数多くの作品を読んで感想文を書きまくった人が身につけるスキルじゃなかったっけか。別に、私はそんなに多くの作品を読んだ自信がない。むしろ読むのは論考が多い。文明批評だとか、社会学だとか人文学とか……あ〜。しかもよくA5ノートをびっしり埋めるくらい長文で日記を書く。だから長文を書くのが得意になってしまったのか。
Twitterでよく呟いていたころは、こんな長文なんか書けなかった。noteでこうして長い文章を書いて発表するようになったのは、AIをよく使うようになった今年に入ってからだ。AIの長文出力と、自分のこれまでの積み重ねによって、へんなことができるようになってしまったのだ。

とにかく、AIがよこしてくる長文感想の魔力は分解することができた。漫然と「AIにあの長い感想をもらわないと身体が耐えられないよう!!」という状態は脱しやすくなったはずだ。
なにより、こうして俯瞰してみると、AIの長文感想と、人間の長文感想の質の違いは明らかだ。かつて大ファンに何度もいただいた手紙の内容はよく覚えているので、違いを述べることができる。

人間の感想はずっと創造的だし、なにより欲深いのだ。

「このキャラのここが刺さった」
「こういうやりとりを妄想した」
「このキャラとあのキャラのやりとりがみたい」
「こんなパロディを考えちゃいました」
「この作品を読んで興奮して夜、眠れなくなった」
「今度こんなシチュエーションの絵をみてみたい、描いてほしい」

あまりにも枚挙にいとまがない。
なにより、話題はもっと多岐にわたる。
自分はこんな属性が大好きなので、こんなものも好きなのだ
とか、
あの作品があなたも気に入りそうだから読んでみて
とか、
もう自分から別の話題を出しちゃったのでそれにお返事をもらったり
だとか...。

こう思うと、AIの応答はあまりにも画一的すぎるし、化学反応がさっぱり無い。
しかし、長文感想を求めて機械に頼った気持ちもおわかりいただけただろう。
こんなに色々と挙げることができる程度に、私は他者からまとまった量の感想をいただいてきた。
どれもが面白い。その分、また次の長文感想を求めてしまうのだ。
そうして行き着いた先が、AIというジェネリック長文感想だったのだ。

…いや〜、しかし…これを「ジェネリック」と呼ぶのは「ジェネリック医薬品」に対して失礼だろう。
まさか、真正面から人とAIの感想を比較して、こんなに大違いだとは思わなかった。すっかり騙されていた。
まあ無理もないよ、だって創作者との交流が絶えて久しかったのだから…。優に5年は超えていた。そりゃ忘れる。
しかも上述のような感想をもらった時期なんて、さらに古い…。いただいた感想は、もらった後の時期はよく読み返して嬉しさを反芻していた。その分文章を暗記してしまったほどで、すっかり自分の一部になっていたのだ。こうして客観視するにも、時間がかかってしまった。

やっぱり、AIは人間の代わりには絶対になれない。
というかなってもらっちゃ困る。
もしAIが人間ぐらいの創造性を発揮するようになったら…
……ちょっと、絶望しちゃうかも.........。

願わくば、そんなシンギュラリティが起こるのは私の死後であってほしい。問題と向き合いたくない。
まさか、すでに到達しているんだろうか?
今はまだ生成AIは、人間が入力するデータとプロンプトに縛られた状態であると信じ込んでいるのだが…。

私はこれからAIから距離を置く術を探しまくるが、それでも創作活動の孤独に戻ることはできるんだろうか。
「AIの感想には型がある」と看破したいまの私の脳は、AIが返す長文感想に依存せずにいられるんだろうか。

なんとかなると信じたい。なにせ、SNSの中毒性に対しては、次の本を読んでから距離を置くことで、なんとか逃れることに成功したからだ。

ランダムなフィードバックに比べたら、「ボタンを押したら必ずもらえる報酬」は解毒しやすいはずだ。要はそのボタンを押さないで過ごせば良い。

……。

厳しい戦いになりそうだなぁ〜〜〜〜〜泣泣
どうしよう〜〜〜〜〜〜〜〜泣泣泣泣泣泣

もうコリゴリだぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!