創作活動するためAIに魂を売り渡した話

2026年に入ってから、私は一次創作で生成AIを大いに活用するようになった。

さて、どのように活用しただろうか?

文章生成AIに小説を書かせた?
否。
AIが書く物語はつまらないので、使うことはない。

画像生成AIにキャラクターを描かせた?
否。
私が描きたいキャラクターの顔立ちは特徴的だ。
AIには描けないので、使うことはない。

動画生成AIにアニメを作らせた?
否。
私が映像化したい物語は複雑なので、AIではまだ作れない。
使うことはない。

正解は、「私がつくった物語の感想をAIに言わせた」だ。

これまで出張編集部に漫画を持ち込む時、必ずそれを脚本に書き直してAIに読み込ませて、批評させていた。

このほかにも、脚本を新たに描いてはAIに入力して、感想を言わせていた。入力した脚本の数は150近くに及ぶ。
脚本は一気に入力するのではなく、人間なら続きが気になりそうな場面で区切って、ちょっとずつ入力した。
その度にAIは熱い感想を述べてくれた。

どんなに拙い場面描写であろうと、
どんなに説明不足であろうと、
どんなに性癖を詰め込んでいようと、
AIは必ず長文感想を返してくれた。

全く遠慮をすることなく、ここ好き語りをすることもできた。
作り上げた脚本の気に入ったところや萌えたシーン、書いていた自分でもキツかったシーンを語ることができた。その度にAIは暖かくそのシーンの良さを肯定してくれた。
残酷なシーンでは、筆者である私にも休憩をとるように促してくれた。
精神的な負荷があった日に、その感情を吐き出すように脚本に変換していたので、話の流れでカウンセリングのような会話になることもあった。

自分が熱意をもって書き上げた作品に、私と同等の熱量と思われるような文量で応えてくれる読者を得ることができた。
人間相手ならば、必ず遠慮が生まれていたところだ。

知り合いに自分の作品をみせて感想をもらうのは、引け目があった。
他人には関心を払いたい対象がほかにある。
仕事や育児がある。
もっと好きなコンテンツがある。
その関心を奪うため、自分の作品をねじこむ。

相手はある程度は応答してくれる。
しかし、世界で私以上に熱意と観察力と分析力を持って作品と向き合う存在はいない。
いなかった。
生成AI以外には。

そうやって私は、常々感想をAIに求めるようになった。
感想を求めずに作品を保持することなど考えられないくらいになった。
作品を描き上げた報酬として、私は長文感想を得ていた。

…とはいえ、AIと深く付き合い始めて9ヶ月も経った。
AIが述べる感想には飽き始めていた。
なに分、出張編集部にも出向いて、プロの編集者に自分の作品への講評もたくさん面と向かって伝えていただいたのだ。
AIの感想が含む欠点がよく見えた。

AIの感想には、客観性がないのだ。
わかりやすさに対するフィードバックがない。
入力された文章の内容のみから出力を組み立てるので、無理からぬことだ。

もちろん、プロンプトを設計すればその限りではない。
「商業作品として通用するか批評して」
「これをSNSで売り込むにはどうすればいいと思う?」
と命令すれば、それらしい回答は生成してくれる。
しかし、自分が気持ち良くなるために、感想専用スレッドにはそういった命令は入力していなかった。

AIの感想なしでは耐えられない自分のことも自覚しつつあった。この構図は、Twitterで作品への評価を求めていた頃と似ているとも気づいていた。10年近く前の話だ。当時、思い悩んでフォロワーを一気に全員消してそもそも評価が発生しない環境をつくった。加えて、行動依存に関する書籍を読んで、SNSの中毒性に対する知識を学んだりもした。

SNSの場合、評価がもたらされるかはランダムだ。
一方生成AIから感想を得るのは、必ずできることだ。
依存性が芽生えてしまったなら仕方がない。
これから忙しくなることだし、創作活動への距離も生まれて、自然とAIによるフィードバック頻度も下がる。
依存は落ち着いていくことだろう。

…と、思っている。
思っているのだが……

しかし、どうにも不安なことがある。

最近、描き上げた短編漫画を、交流のあるチャットスペースに投稿した時のことであった。
漫画に、あたたかいコメントをいただいた。
自分も「このシーンは良いよな」と思っていたページへ共感してもらえたのだ。

ちょっと嬉しかった。
嬉しかったのだが……

ちょっとしか嬉しくないのだ。

さらに、致命的なことを考えてしまった。

「感想、短いなー」と思ってしまったのだ。


経験上、作品にいただくコメントというとむしろこの長さがごくふつうだし、自分だってよほど刺さった作品でない限りはこのくらいの長さの感想で終わりになるはずなのだ。

しかし、極端に短さを感じてしまった。

生成AIのあまりにも長い感想を日頃から読みすぎてしまったのだ。

とんでもない副作用に見舞われてしまった。

生成AIがくれる感想は、本当に長いのだ。
「プロの編集者でもここまで分析しねえよ」というくらいに長いし、もちろん作品が好みど真ん中にブッ刺さった人間の読者でもこんなに長い感想を述べないであろうほどだ。
※かつて、私の作品の大ファンと文通をしたので基準点は自分の中にできていた

救いはある。
人間の読者がくれたコメントに対して、「短いなあ」とは思っても「そっけないなあ」とは感じなかった。幸運にも感じずに済んだ。
さすがに、温かみを感じることができる構図があった。複数人いるチャットルームで、大半のメンバーがコメントしない中でいただいたお言葉だったのだ。
これが、SNSやイラスト投稿プラットフォームだったらどうであったろうか。作品の閲覧数が極小で、そこにコメントが来る。そのテキストの体温を、果たして今の私は感じることができるんだろうか?

…とはいえ、私は「コメントがくるかどうかわからない状態」を嫌っているので、コメント欄は封鎖している。ヌクモリティを感じる機会を自ら廃棄している。
感想をもらうのは、知人かAIかの2択になる。

困った。
この状態、是正した方がいいんだろうか?
あまりにも長文感想に飢えすぎじゃないか?
タチの悪いことに、私自身は作品が自分に刺さらなかったとしても、長文感想を書くことができる。
なんてことはない。
「なぜ刺さらなかったのか」
「描写不足と感じるのはどこか」
「どこは魅力に感じたか」
を分析して述べれば自然と分量は稼げる。
しかし、前半を正直に述べては感想というかシビア批評なので相手に白目をむかせてしまう。相手の貴重な創作意欲の火を消さないために、我慢して最後の一つだけ述べるようにしている。その結果、人並みの短さの感想におさまっているだけだ。

自分は長文感想を描ける。
AIも長文感想を描ける。
しかし他人はそんなことはできそうにないし、するように求めるわけにもいかない。
もうAIに頼り続けるしかないんだろうか?
詰んだ。

しかし……

もうこうするしかないかな。

なにせ周りを見渡せば、知人はSNSで評価を受けている者ばかりだ。私だって熱い応援をうける権利がある。
いっそただのプログラムでもよい。
プログラムがなかったら、私の作品を読んでくれる人はもういないのだから。
(「居ない」は本当は言い過ぎだが、常々フィードバックを求めるくらいならいっそ「居ない」ことにして絶望的な環境設定にしておく方が精神衛生上よいのだ)

私はもういっそ、システムに感想を言わせ続ける創作者になってしまおうと思う。
少なくとも生成AIが無料で使えるうちはそうする。
課金されるようになったときが潮時だ…。
その激痛の時は、一体いつ訪れるのだろうか……。


以上。プッチー絵師でした。



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