noteに、風の猫の需要はあるのだろうか
今日は何か投稿しようと思った。
完成しているエッセイもある。
続きを待っている物語もある。
軽い日常エッセイも書けそうだった。
けれど、どれも妙にピンとこなかった。
そのうち私は、
「そもそもnoteに、風の猫の需要はあるのだろうか」
と考え始めた。
そんなとき、ガルシア右京さんの記事が目に留まった。
同じ人が書いた記事なのに、ビューとスキがまったく違う。
では、「伸びた記事」や「うまくいった記事」とは何なのか。
そんな問いを読みながら、私は今日、どんな記事を開きたくなったのかを考えた。
物語の続きを、ゆっくり追いかけること。
書かれている問いについて、立ち止まって考えること。
どちらも、普段なら大好物だ。
けれど今日は、そこへ入っていく気力が少し足りなかった。
そんな日でも、noteを書いている人の悩みには、指が止まった。
読まれる記事と、読まれない記事。
ビューとスキの違い。
何をもって「うまくいった」と考えるのか。
今の私が考えていたことと重なり、続きを読みたくなった。
そこで、ふと思った。
読みたい記事は、その人の好みだけで決まるわけではないのかもしれない。
昨日は物語に浸りたかった人が、今日は軽いエッセイを読みたいかもしれない。
普段はじっくり考える記事が好きな人も、疲れた夜には、カブトムシを拾っただけの話で笑いたいかもしれない。
記事と読者の間には、相性だけでなく、
「今日」
がある。
だとすれば、あまり読まれなかった記事は、需要がなかったのではなく、誰かの「今日」と出会えなかっただけなのかもしれない。
もちろん、数字が気にならなくなったわけではない。
投稿すれば、ビューを見る。
スキが増えれば嬉しい。
コメントが届けば、何度も読み返す。
そういえば、
「この世界観が好きです」
「続きが気になります」
と言ってくれた人もいる。
風の猫を待ってくれている人は、たしかにいる。
それでも数字を眺めていると、ときどき不安になる。
求められているものは何なのか。
次に何を書けば、また読んでもらえるのか。
けれど、どの記事が誰の「今日」と重なるのかは、投稿する前には分からない。
長い物語を読みたい夜もある。
少し立ち止まって考えたい日もある。
何も考えず笑いたい日もある。
だから私は、物語も、心に引っかかったことも、何でもない日常も書いているのかもしれない。
結局、noteで何を書けば一番読んでもらえるのかは分からなかった。
ただ今日は、物語を書く風の猫よりも、
noteの数字を眺めながら、
「私の需要とは?」
と首を傾げている風の猫の方が、
少なくとも私には需要があった。
