連載小説 第一話『さ・し・す・せ・そ男子、家庭科部はじめました』【全10話】
《あらすじ》
調味料の「さしすせそ」を男子高校生に擬人化した、青春料理エンタメ小説。
砂糖、塩、酢、醤油、味噌を思わせる名前と個性を持つ男子が、廃部寸前の家庭科部に集まった。
目指すのは、地域の飲食店と連携して新メニューを開発する『高校生TOKYOフードグランプリ』。
甘すぎる料理しか作れない佐藤光希は、実家の洋食屋『キッチン佐藤』を協力店舗に選び、個性の強い仲間たちとともに一皿の料理づくりに挑む。
けれど、光希には、仲間にまだ話していない思いがあった。
違う味が混ざり合い、ひとつの料理になるのか。
強い個性がまとまり、ひとつのチームになれるのか。五つの味と五人の個性がぶつかり合う。
第一話 佐藤光希、甘すぎる見通し
佐藤光希は家庭科室の大鍋の前で、膝から崩れ落ちそうになった。
いや、実際に膝はついてはいない。
この家庭科室で床に膝と手でもつこうものなら、顧問の白石先生に「床、さっき拭いたばかりです」とモップを渡される。
私立大志学院は、中高一貫の男子校だ。
質実剛健、友愛、自主自律。立派な校訓を掲げているが、この家庭科室では、生徒の絶望より衛生が優先される。
だから光希は、かろうじて踏みとどまった。
「佐藤くん」
顔を上げると、白石先生が菩薩のような微笑みを浮かべながら立っていた。なのに、放たれたのは阿修羅のような一言だった。
「このままでは、家庭科部は廃部です」
大鍋の中には、大量のナポリタンから間の抜けた湯気が立っていた。ケチャップのツンとした匂いより先に、砂糖を入れすぎた甘ったるい匂いが鼻先に届いた。
三十分前まで、光希は自分のことを、家庭科部の未来を背負う男だと信じて疑わなかった。
◇◇◇◇◇
その日、家庭科室では三年生を送る会が開かれていた。
テーブルにはミニハンバーグ、ポテトサラダ、焼き菓子が並び、大鍋には光希特製のナポリタンがたっぷりあった。
「先輩たち、今までありがとうございました! あとは俺たちが、責任を持って盛り上げます!」
光希がコーラ入りの紙コップを掲げて宣言すると、先輩たちが笑った。
「さとみつ、まずはどんな料理も甘くする癖を直せ」
「塩をちゃんと使え。隠し味が隠れてないんだよ」
甘さは、人を安心させる。だから光希は、ナポリタンにも、ソースにも、会話にも、つい甘さを足したくなる。
「はい! 善処します!」
敬礼でごまかすと、また笑いが起きた。
男子校にも家庭科の授業はあるし、家庭科室もある。かなり小規模ではあるが、家庭科部だってある。
運動部のようには目立たない。吹奏楽部や軽音部のような華やかさもない。けれど、調理台を囲んで仲間と料理する時間が、光希は好きだった。
和やかな笑いのなかで、「あのさ、光希」と、同級生の部員が申し訳なさそうに手を挙げた。
「言いづらいんだけど、俺、高二から塾の日を増やすことになって」
「何曜日? その日は早く上がる?」
「えっと……、部活を続けるの厳しくて」
光希は、頬ばっていたハンバーグをごくりと飲み下した。
高二になれば大学受験という言葉が背後から足音を立て始める。それはわかる。
すると今度は、中三の後輩が、おずおずと口を開いた。
「あの、俺、高校に上がったら、別の部活……バスケ部に入りたいと思ってて」
「そっち!? 急に跳ぶじゃん」
光希はおどけたが、周りの笑いは薄かった。
さらに、もうひとりの中学生部員も上目づかいで光希を見た。
「僕、期末でかなり成績が下がって。親に、部活は一回整理しなさいって言われて」
光希は、紙コップを持ったまま固まった。
視界の端で、先輩たちが顔を見合わせている。
白石先生は何も言わず、調理台の端で静かに紙皿を片づけていた。
光希は最後の希望にすがるように、隣に立つ相川遥斗を見た。
「ま、まあ、ハルがいるしな。あと何人か勧誘すればいける!」
遥斗は中学から家庭科部で一緒だった同級生だ。
調味料の分量をきっちり量り、光希が「目分量でいける」と言うたびに、「目は計量器じゃない」と冷静に返してくる男である。
ハルがいれば大丈夫。光希は、そう思っていた。
けれど遥斗は、世界一気まずい顔をした。
「光希。俺、イタリアに行く」
「……は? 旅行?」
「留学」
「りゅうがく……?」
「学校の国際交流プログラムに通った」
光希は事態がうまく飲み込めなかった。
「何週間? あ、何カ月単位になるのか」
「一年」
「年で数えるやつ!」
光希の声が裏返った。
遥斗は申し訳なさそうに頭を下げた。
「向こうで食文化とかも見られるし。戻ったら、また家庭科部やるつもりだから」
光希は、ぽかんと口を開けたまま、目の前の人数を数えた。
「これって、もしかして」
光希はおそるおそる、白石先生を振り返った。
「本校の部活動として認められる基準は、部員五名以上。新年度の時点で、家庭科部に残る見込みの生徒は、佐藤くん、あなた一人です」
「つまり……?」
白石先生は医師のように、極めて冷静に宣告した。
「このままでは、家庭科部は廃部、もしくは同好会への降格になります」
そこで、冒頭に戻る。
佐藤光希は大鍋の前で、膝から崩れ落ちそうになった。
実際には踏みとどまったが、気持ちは完全に床まで落ちていた。
「俺ひとり家庭科部。ワンオペ家庭科部……」
光希はかすれた声で、ぶつぶつと独り言を言った。
「飲食店の現場でも、避けたい状態だな」
先輩がもっともらしく頷いた。
その後の送る会は気まずく、けれど最後は無理やり明るく終わった。
先輩たちは「さとみつなら、なんとかするだろ」と肩をたたき、後輩たちは何度も「すみません」と頭を下げた。
遥斗は最後まで眉を下げ、申し訳なさそうな顔をしていた。
◇◇◇◇◇
帰り道、光希と遥斗は駅まで並んで歩いた。
三月の夕方。桜のつぼみは開きかけていたが、風は冷たかった。
「悪いな」
遥斗がぽつりと言った。
「謝ることじゃないだろ。イタリアだぞ、イタリア。美食の国。家庭科部員としては、むしろ正しい行き先だ」
虚勢を張ると、遥斗は乾いた声で笑った。
それきり、会話が続かない。
いつもなら、次に何を作るかで一駅分は喋れるのに。
しばらくして、光希は鞄から一枚のチラシを出した。
何度も折りたたんだせいで、端が少し丸くなっていた。
「実はさ。これに出たいと思ってたんだ」
『第一回 高校生TOKYOフードグランプリ』
「地域の飲食店と連携して、実際に店で提供できる新メニューを開発する。……へえ、面白そうだな」
遥斗の目が、応募条件の欄で止まった。
「学校公認の食関連部活動。チーム五名以上……」
くぐもった声に気づき、光希は慌ててチラシを畳んだ。
「大丈夫。家庭科部は俺が守る」
「頼むよ」
その一言が耳に残った。
遥斗は「じゃあ」と別の階段へ消えた。
光希は、その背中に手を振った。
◇◇◇◇◇
最寄り駅の改札を出たら、空は薄暗くなっていた。
商店街の電灯がぽつぽつと灯り、惣菜屋から揚げ物の匂いが流れてくる。
一本奥の路地に入ったところに、『キッチン佐藤』はある。
端が破れた赤いひさしと、古びた食品サンプルが目立つ。
昭和レトロというような、洒落た印象はない。
光希は窓に貼られた手書きのおすすめメニューを横目でちらりと見て、扉を開けた。
「ただいま」
扉を開けると、いつもの匂いがした。
デミグラスソースと、炒め玉ねぎと、少し焦げたバターの匂いだ。
厨房では父が、ぐつぐつと煮立つ鍋を見ていた。母はホールでコップを拭いている。
「おかえり、光希」
母の声に重なるように、カウンターからも声がした。
座っていたのは、中村乙羽だった。
他のテーブルは空いていた。空いた席は、いつもより広く見えた。
「乙羽、またオムライス食ってんのかよ」
「これから塾だもん。腹ごしらえしないと」
「おまえも塾か」
光希は人知れずため息をついた。
乙羽は保育園からの幼馴染だ。両親が忙しく、小さい頃から週に何度かはキッチン佐藤で晩御飯を食べていた。
客というより、店にいるのが当たり前の人間に近い。
「……なんかあった?」
乙羽はじっと光希の顔を見上げた。
「別に。今日のナポリタンが甘すぎたくらい」
「いつもじゃん」
「いつもより甘かった」
光希はそれだけ言って、店の奥の階段へ向かおうとした。
そのとき、カウンターの端に置かれた紙が目に入った。母が印刷したらしいグルメサイトのページだった。
「お父さん、こういうの、少し見たほうがいいんじゃない?」
母が言うと、父は鍋を見たまま短く返した。
「ネットの宣伝なんて、あてにならん」
「でも、若い人は見るみたいよ」
「うまけりゃ来る。料理屋は料理で勝負するもんだ」
光希は、言葉を飲み込んだ。
けれど、空いたテーブルを見ると、父の言葉はどこか頼りなく聞こえた。
自室に入って鞄を放り投げ、ベッドに倒れ込んだ。
今日一日を思い返して、ふう、と息を漏らす。
かさりと音がしたことに気づき、ポケットからフードグランプリのチラシを取り出した。
あと四人。
四人集めれば、家庭科部は残る。
フードグランプリにも出られる。
そして、キッチン佐藤にも――。
そこまで考えて、光希は首を振った。
「大丈夫」
自分に言い聞かせるようにして、チラシの端を指で弾いた。
< 第二話へ続く >
甘さだけでは、料理は完成しない。
次回、部員探しの最初の相手は、「塩」の男。
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