連載小説 第四話『さ・し・す・せ・そ男子、家庭科部はじめました』【全10話】
【前回までのあらすじ】
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廃部を免れるため、家庭科部員を探す佐藤光希。塩加減を知るサッカー部員・塩谷翔太と、酸味の働きに敏感な須田柊が加わった。
部員は三人。光希の感覚では、家庭科室が無人島から村に昇格したくらいの進歩だ。だが、部として認められるには、あと二人必要だ。
第四話 完璧な庄田廉太郎と、発酵オタクの御園理仁
「苦い」
放課後の家庭科室で、塩谷はひと口食べて顔をしかめた。
調理台の上には、焼きおにぎりが並んでいる。
醤油を塗って、トースターで焼いた。
香ばしくなるはずだった。
少なくとも、光希の頭の中ではそうだった。
須田も少しだけかじり、口元を歪めた。
「……香ばしいというか、焦げに近いです」
「なるほど」
光希は皿を見下ろした。
「醤油って、思ったより主張が強いな」
「塗りすぎなんだろ」
塩谷は食べかけの焼きおにぎりを皿に戻した。
そのとき、家庭科室の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、黒髪をきっちり後ろへ流した男子だった。
制服の襟も、ネクタイも、袖口も、すべてが整っている。
歩き方までまっすぐで、床に引かれた見えない線の上を正確になぞっているようだ。
庄田廉太郎。
大志学院で、その名前を知らない生徒はいない。
庄田の家は、全国でホテルやレストラン事業を手がける庄田グループの創業家だ。
本人が自分から語ることはないが、学校では有名だった。
成績がよく、所作も丁寧で、先生からの信頼は厚い。
「白石先生はいらっしゃいますか」
声まで整っていた。
「職員室だと思う」
光希が答えると、庄田は軽く会釈した。
「家庭科の提出物を届けに来ただけです。置いていっても?」
「どうぞ。ついでに家庭科部にも入らない?」
「入りません」
庄田は表情を変えずに即答した。
須田は光希と庄田のやり取りを前髪の奥から見つめ、笑っていいのかどうか、わからないという顔をした。
庄田は提出物の束を教卓に置くと、調理台の上の皿に目を留めた。
「それは?」
「焦がし醤油の焼きおにぎり。試作」
庄田は皿を見て、眉をひそめた。
「見た目は完全に焦げ過ぎていますね」
「食べてみる?」
「よろしいのですか?」
光希が「ぜひ」と促すと、庄田は焼きおにぎりをひと口食べた。
ごくりと飲み込み、焼きおにぎりを手にしたまま、数秒黙った。
「これは醤油に打ちのめされたご飯です」
塩谷が吹き出した。
庄田は真顔のまま続けた。
「醤油を前に出すなら、量ではなく香りです。最後に薄く塗って、焦がす手前で止める。そうしないと、米の甘みも焼き目の香ばしさも、全部が醤油に負けます」
光希は、皿の上の焼きおにぎりを見た。
ただの失敗作が、急に伸びしろのある一品に見えてきた。
「庄田くん、料理するの?」
「いたしません。家で食事の作法や味にうるさい人間が多いだけです」
「天下の庄田グループだもんな」
光希が言うと、庄田はさっと目を伏せた。
「ごめん。嫌だった?」
「嫌というほどではありませんが」
塩谷が、焼きおにぎりの皿と庄田を交互に見ながら言った。
「ここなら、庄田だからって構えるやつはいないと思うけどな」
庄田はとっさに目線を上げた。
「どういう意味ですか?」
「崖っぷちだから。そんなこと気にする余裕がない」
塩谷は苦笑いしながら、肩をすくめた。
庄田は塩谷の顔をじっと見たまま黙った。
何か理屈で返してくるかと思った。
けれど、庄田はしばらく無言だった。
指先でネクタイの結び目に触れ、ほんの少しだけゆるめる。
「……ずいぶん乱暴な理屈ですね」
声は冷静だった。
けれど、さっきまでの張りつめた感じは薄れた。
その間をつなぐように、光希が明るく声をかける。
「冗談抜きでさ、家庭科部どう? 面白いと思うんだけどな」
「面白そうだけで入れるほど、僕は暇ではありません」
庄田はきっぱりと言って、焼きおにぎりの残りを皿に置いた。
「家の予定もあります。それに、僕が特定の部活動に加入することで、無駄に注目を集めるのも面倒です。……ただ」
庄田はまっすぐな姿勢のまま、言葉を続けた。
「正直なことを言うと、興味はなくもありません」
光希は弾けるように顔を上げた。
庄田は提出物の束を整えた。
「正式に入るとも、手伝うとも言いません。ただ、次に何を作るかは見てもいい」
予想外の好感触に、光希の胸は躍った。
「ときに」
庄田が静かに言った。
「もう一人、候補者が思い浮かびました」
光希、塩谷、須田の三人は同時に庄田を見た。
「御園理仁くん。理科準備室にいるはずです」
◇◇◇◇◇
四人は理科準備室へ向かった。
庄田が扉を軽くノックする。
中から、平坦な声が返ってきた。
「開いてる」
扉を開けると、酸っぱいような、青いような、よくわからない匂いが漂ってきた。
机の上には、透明な容器、温度計、pH試験紙、ノートが並んでいた。
そして、容器の中には、細く切られたキャベツがあった。
机の前には、茶色を帯びた髪の男子が座っていた。
顔立ちは整っているのに、視線はどこか遠い。
御園は試験紙の色を見比べたまま顔を上げない。
「庄田くんか。今、大事なところだから、あとにしてよ」
光希と塩谷、須田の三人は顔を見合わせた。
「それ、何?」
光希が容器を指さして聞くと、御園はようやく庄田以外の存在に気づいたのか、目線を上げた。
「ザワークラウト未満」
「未満?」
「キャベツを塩で揉んで、乳酸菌に働いてもらっている途中。完成すればザワークラウト。条件を間違えれば、ただの傷んだキャベツ。――条件の問題だよ」
御園は試験紙をノートの横に置いた。
「温度、塩分濃度、pH、時間。発酵は感覚じゃなくて、条件で進む」
「料理っていうより化学だな」
塩谷は容器を覗き込んだ。
「そう。料理は化学だよ」
御園は目の高さに、ザワークラウト未満の容器を掲げた。
光希は思わず聞いた。
「発酵って、面白いの?」
御園は片方の眉を上げ、光希を見た。
「発酵と腐敗って、かなり近いんだよ。人間にとって都合がよければ発酵、都合が悪ければ腐敗って呼んでるだけ。菌は善悪で動いていない。条件があるだけ」
確かに、料理には化学的な反応がある。
光希は一歩前に出た。
「御園くん。唐突だけど、家庭科部に入らない?」
「本当に唐突だな。――入らない」
「即答! なんでだよ」
「条件が悪い。君たちの部は、まだ環境が整っていない」
御園は淡々と続けた。
「人数合わせで菌を入れても、発酵はしない。腐るだけだ」
光希は反射的に言い返そうとしたが、言葉が見つからなかった。
「目的が見えない。役割もまだ曖昧。温度も安定していない。人間で言えば、熱量かな。高すぎても低すぎても、うまくいかない」
塩谷が御園を睨みつけた。
「俺ら、菌扱いかよ」
「菌は悪じゃない。働き者だ」
須田が、ここに来て初めて口を聞いた。
「……環境が整うって、どういう状態ですか」
御園はふうと、ひとつ息を吐いてから、答えた。
「混ざっても、自分の性質が消えない状態」
ーー混ざっても、自分の性質が消えない状態。
その言葉が、光希の胸に引っかかった。
「とはいえ」
御園は背伸びをしながら、立ち上がった。
「観察しがいはありそうだ。発酵するか、腐敗するか。ぎりぎりの状態に見える」
「じゃあ」
光希は目を輝かせ、身を乗り出した。
「入らない。でも、一度は見に行ってもいい。条件が変わるかもしれないから」
それだけ言うと、御園は透明容器を抱え直した。
「この子を適温に戻す」
御園は「ザワークラウト未満」の容器を持ったまま、温度計を確認し始めた。
◇◇◇◇◇
「変なやつ」
理科準備室を出ると、塩谷が吐き捨てるように言った。
「でも、わかる気もする」
須田は珍しくはっきりした口調だった。
「簡単には入らなさそうですね」
長身の庄田がスタスタと廊下を進む。
光希は置いていかれないよう、急ぎ足で追いかけた。
「庄田くんもだけどな」
光希がそう呼びかけると、庄田は涼しい顔を向けた。
「僕は検討中です」
光希は、焦がし醤油の匂いが残る指先を握った。
あと二人。
もう少しで届きそうなのに、まだ手の中にはない。
<第五話へ続く>
醤油は、味を決める。味噌は、コクを出す。
次回、最後の二人が動き出す。
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