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連載小説 第三話『さ・し・す・せ・そ男子、家庭科部はじめました』【全10話】

【前回までのあらすじ】
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廃部を免れるため、あと四人の家庭科部員を探す佐藤光希みつき。最初に声をかけたのは、自作弁当の卵焼きが美しく、味も絶妙な、サッカー部員・塩谷しおたに翔太だった。塩加減を知る仲間を得た光希は、今度は話題のパンを黙々と食べる前髪男子に目を留める。


第三話 須田しゅうは、酸味にこだわる

前髪の長い男子生徒は、昼休みの教室で誰とも目を合わせず、背中を丸めてパンをかじっていた。

光希は、身を乗り出した。

「それ、ASAMAベーカリーのパンだよな」

前髪男子の肩が、ぴくっと揺れた。
こっちを見たような気がしたけれど、前髪が目にかかっていて、表情はよくわからない。

「今すごく話題のやつだろ。何時間も並ばないと買えないって、幼馴染が騒いでた」

男子は、パンを持ったまま固まっている。
光希は勢いよく続けた。

「須田だっけ?」

「……はい」

「同じクラスになったの初めてだよな」

「……たぶん」

「たぶんって、なんだよ」

横から塩谷がぼそっと言った。
須田の肩が、また小さく跳ねた。

「塩谷、圧が強い」

光希は塩谷を制した。

須田は紙袋の上にパンを置いて、うつむいた。
食べかけのパンには、くるみとドライいちじくが練り込まれているようだった。

「パン、好きなの?」

光希が聞くと、須田は視線を落としたまま言った。

「……別に」

「別にで、何時間も並ぶか?」

塩谷の声が一段と低くなった。
光希は「やめろって」と目で合図を送る。

「……昨日、並びました。学校終わったあと。どうせ、暇だし」

最後の言葉は消えそうで、ひとり言のようだった。

「そっか。うまいものが好きなんだな」

須田は答えなかった。
ただ、袋の端だけを指先で折りたたんだ。
折り目に几帳面さが滲んでいた。

「どんな味?」

光希が聞くと、須田はほんの少しだけ顔を上げた。

「……酸味が、いいです」

光希と塩谷は黙って耳を傾ける。

「天然酵母の……少しヨーグルトみたいな酸味があって。あと、いちじくの甘酸っぱさもあるから、ただ甘いだけじゃなくて、後味がちょっと複雑なんです」

須田は、そこまで言って、はっとしたように口を閉じた。
光希は須田の顔をじっと見た。無口なのに、味を語るときは饒舌になる。

「酸味があるから、後味が複雑になる、か」

「味覚、鋭いんだな」

その言い方は、塩谷にしてはかなり素直だった。
須田は、困ったように前髪の奥でまばたきをした。
そして、笑おうとして唇の端が引きつり、また黙ってしまった。

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

◇◇◇◇◇

放課後、光希は下駄箱の前で、須田を見つけた。
須田は、靴を履き替える動作まで静かだった。
誰にも気づかれないように、そっと帰ろうとしているように見えた。

「須田っち」

須田の肩が、昼休みより大きく跳ねた。

「……すだっち?」

「須田だから、須田っち。あと、すだちっぽいし」

「すだちっぽいって、なんですか」

「嫌?」

「嫌です」

「じゃあ、須田」

「……はい」

塩谷が横でため息をついた。

「距離の詰め方が雑なんだよ」

須田は二人を交互に見た。
どうして自分がこの二人に話しかけられているのか、理解できない。そんな顔だった。

光希は須田に笑顔を向けた。

「須田は、帰りこっち?」

「……地下鉄のほうの駅です」

「俺らも。一緒に帰ろうぜ」

須田は困ったように靴箱の扉を閉めたが、はっきり断る言葉も出ないらしかった。

結局、三人で校門を出ることになった。

学校の近くには、こじんまりとした商店街がある。
駅へ向かう途中、光希は惣菜屋の前で足を止めた。

店先のケースに、紙カップに入った鶏の南蛮漬けが並んでいた。
揚げた鶏肉に、細切りの玉ねぎとにんじん、ピーマンがのっている。
透明な甘酢が、夕陽を受けてきらりと光った。

光希は「うまそう」と言うなり小走りで駆け寄って、紙カップを一つ買った。

「よく食うな」

塩谷は鼻で笑った。

「家庭科部の未来を考えるには、食べながらが一番。一口食う?」

塩谷に差し出すと、塩谷は「またかよ」と言いながら一切れつまんだ。
光希はそのまま、須田にも紙カップを差し出す。

「須田も」

「……いいです」

「うまいよ」

須田は、手の中の紙カップを見つめた。
しばらく迷ってから、須田は小さく一切れ取った。

「酢が効いてる」

声は小さかったが、口調ははっきりしていた。

「揚げ物って重いじゃないですか。でも、酢の酸味があると、油っぽさが切れる。甘酢だと、酸っぱすぎないし、野菜のにおいもやわらぐ」

言いながら、須田の声は落ち着いていった。

「南蛮漬けとか、マリネとか、ピクルスとか……酢って、尖ってるけど、ちゃんと使うと全体が軽くなるんです。あと、時間が経つと、味がなじむというか」

須田はそこまで言って、慌てて口を閉じた。

「……すみません。急に」

縮こまる須田を横目に、塩谷がもぐもぐと口を動かしながら言った。

「確かに、油っぽくても酸味があると食いやすいな」

須田は、ただ食べるのが好きなだけではない。
わずかな酸味が、料理全体をどう変えるのかまで見ている。

光希は、軽く咳払いして姿勢を正した。

「須田っち」

「……その呼び方、やめてくださいって言いました」

「わるい。須田」

光希は言い直してから、まっすぐ須田を見た。

「家庭科部に入らない?」

須田は、紙カップを落としそうになった。

「僕? なんで?」

「なんでって……。須田の言葉が、料理に必要だと思ったから」

須田は黙った。

商店街を通る自転車のベルが、遠くで鳴った。
須田は紙カップを両手で持ったまま、下を向いている。

「僕、料理できないですよ」

「今すぐできなくてもいい」

「人と話すの、得意じゃないし」

「それは、わかる」

「おい」

塩谷が軽く制した。
光希は慌てて続けた。

「でも、味のことはちゃんとわかってる」

須田の前髪が、わずかに揺れた。

「……僕でいいんですか」

声があまりにも小さくて、光希は一瞬、聞き返しそうになった。

「いい」

光希は言った。

「須田がいい」

前髪の奥で、須田がせわしなく瞬きをした。

やけにハイテンションな商店街のテーマソングが光希の耳に届いた。

やがて、須田は微かにうなずいた。

「……見てるだけでもいいなら」

「最初はそれでいいよ」

「運動するわけじゃ、ないですし。……ちょっとだけなら」

「やった」

光希は声を上げかけると、須田が軽くのけぞったので、慌てて声を抑えた。

「ごめん。須田っち」

「……だから、その呼び方」

須田は小声で抗議した。けれど、さっきほど強くは拒まなかった。
光希は胸の前で拳を小さく握った。

「三人目だ」

須田は前髪の奥で、笑ったように見えた。
けれど、その表情は、すぐに隠れてしまった。

須田が入ると、きっといい味がつくれる。
光希は、そう思った。

第四話へつづく
酸っぱさは、料理の輪郭を変える。
次回、現れるのは、和をまとった「醤油」の男と、発酵を愛する「味噌」の男。


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