あんたは日本人ちゃうで韓国人やねん!#2
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片親で育った私は他の家とも環境が違う。
そして国籍も同級生達と違う。
自分は何者なのか?
人と違う環境の違和感を補うためにも
自分のルーツである韓国と言う国
そして同胞の韓国人との接点を探していました。
京都にも同胞在日はたくさん住んでいましたので
10代〜20代の在日朝鮮人、韓国人会などの集まりを知るようになり
私もそのコミュニティーに参加してみたりもしました。
同じ同胞在日と言っても
家庭環境はさまざまで
私が進まなかった北朝鮮系の学校に在籍、卒業した人も多く
やはり価値観、考え方が日本っぽくないと言うか
言葉は悪いのだけど、
北朝鮮の教育で洗脳⁈されいる様に感じる人もいて
あまり親密になりたいとは思いませんでした。
その頃は友人達も日本人ばかりですし、
日本も教育文化に触れて育っていましたので
同胞の人たちと会っても
どこか他人の感覚を覚えていました。
私は一体何人なんだ?
10代の頃はそのスッキリしない感覚を常に感じ
モヤモヤしていました。
当時の親しい日本人の友人に
その悩みを相談してみました。
友人は「森ちゃんは日本人やで!」と言いました。
全力で私をフォローする気持ち。そして仲間だよ!と受け入れてくれている
気持ちで、そう言ってくれたのだと思います。
しかし、私は日本人ではない。
そして、韓国人とも言い切れない。
どちらにも居場所がない不安定感がとても嫌でした。
私ども在日外国人(韓国のみならずどの国籍でも)は
日本に住んでいても選挙権がありません。
しかし、国民の義務の納税は必須です。
日本国内においても
日本人扱いなのか外国人扱いなのか…
全く矛盾ばかりでした。
30歳の頃、私はリフォームの会社に勤めており
転勤を機に京都を離れ東京に移り住む事になります。
実際には東京は家賃が高かったので
埼玉県に住み都内まで通勤で通っていました。
関東に住み始めて半年ほどの時、
勤めていたリフォーム会社が不渡りを出してしまい倒産してしまいました。
母一人子一人の家庭で30歳まで母と同居でしたので
母の事は心配ではありましたが
早く家を出て独り立ちしたかった私は
東京の転勤を心より喜んだので
倒産はとてもショックでした。
半年の東京での暮らしを終え京都に戻るか
このまま東京に居続けるのか
悩みましたが京都には戻らず
倒産後は突然の無職のまま
関東に残る事にしました。
私も母に似て隠し事は苦手でしたので
会社が倒産した事はすぐに伝えましたが
「京都に戻っておいで」とは言いませんでした。
母も心配ではあったと思いますが
親離れ子離れには
家を出る事が重要なのを感じていたのだと思います。
その後の東京での暮らしはなかなか大変で…
それまで勤めていた京都のリフォーム屋は
こじんまりとした会社で社長とも距離感が近く
気も合いましたので私の事をとても信頼してくれていましたし
私のやりたい様に仕事をさせてくれてとても融通のきく
居心地の良い会社でした。
東京での再就職はとても困難で
希望の職場がなかなか見つからす。
とりあえずは派遣に登録をして
3ヶ月ごとの契約社員の仕事を転々としながら
過ごしていました。
関東に住むようになった私はLGBTのゲイですので
プライベートでは新宿2丁目にも足を運ぶようになっていました。
よく飲みに行っていたBarのママから
ある日「タカちゃん、近くの韓国料理店で人を募集しているけど興味ある?」と連絡が入りました。
そちらのママにも在日韓国人であることは話していたので
私に連絡を下さいました。
派遣業も継続して仕事はあるわけでもなく
ちょうど次の派遣先も決まらない宙に浮いた時期でしたので
すぐに面接の段取りを組んでもらいました。
そちらのお店は
新宿2丁目に程近いところにある韓国料理店で
店主さんは生まれは韓国で数年前に日本で商売をするために
来日したと言う事でした。
日本語も全く問題なく話せる方でした。
私といったら、在日韓国人と言っても日本の教育で育って
韓国語を習得しなかったので韓国語を話せまん。
母国語の習得に関しては、興味はあったものの
覚えるタイミングがなかった⁈と言うか
勉強嫌いなところもあったので後回しにしてしまっていました。
母は韓国語を話せるので、一度母に「韓国語を教えて!」と頼んでみたのですが、「私の韓国語は済州島の訛りが強いから覚えない方が良い」と言っていました。
私が20代の頃はインターネットもまだ出始めの頃で
電話回線の時代でしたのでコンテンツも充実していませんでしたし
今のDuolingoの様なアプリで語学習得が簡単な時代ではなく
本やNHKなどの教育番組で独学か語学学校などに通う様な時代でしたので
私は重い腰が上がらなかったのです。
さて、その韓国料理店ですが
店主さんも私が在日韓国人であることを喜んでくれ
勤めさせていただける事になりました。
そして店主さんもゲイでしたので。
韓国人でさらにゲイ。と言う
私にとっては国籍もセクシャリティも同じ
まさに仲間に出会えた!そんな気持ちで
とても嬉しかったのを覚えています。
前職のリフォーム業界に入る前は
アルバイトもたくさんやりましたので
飲食も経験がありました。
韓国料理店は店主さんは厨房で調理を担当され
私はホールを担当しておりました。
他にもスタッフさんがいて
とても和気藹々とした雰囲気でとても好きな職場でした。
場所柄、他にもゲイのスタッフもいましたし
朝まで営業していたので2丁目帰りのゲイのお客さんも多く
私としては国籍の悩みとセクシャリティの悩みが一気になくなった様な
仲間がたくさんいる安堵感のようなものを感じていました。
仕事もホールの仕事は慣れていたので
店主さんに怒られるような失敗も特になかったですし
仲良くなりましたので、
店主さんと他のゲイのスタッフと共に
2丁目に飲みに出たりもするようになっていました。
本当に楽しい職場だったんです。
そちらにお勤めしだして2ヶ月経った頃です。
店主さんから
「タカちゃんは明日からもう来ないで良いよ。」と
突然言われたんです。
