《官能小説》『畳を上げた七日間』第3話|物置で旧姓を呼ばれた妻が、電球の下で全部見せた
今夜は先に言うと決めて、真澄は誰もいない物置で直人の手首をつかんで引き止めた。
三畳の物置には、二人ぶんの隙間しかなかった。
「なんだよ」
「先に言っておきたいことがある」
「なに」
「今夜は、電気を消さないで」
直人の指が、わたしの手のなかで止まった。
「聞こえた?」
「聞こえた」
「返事は」
「……あとで言う」
「逃げた」
「逃げてない」

朝に四畳半の畳が上がった
「今朝の音、すごかったね」
「畳を上げる音か」
「びり、って鳴った」
「縁の糸が板から離れる音だ」
「一昨日の客間も、同じ音だった」
「同じ家だからな」
「畳屋さん、早かった」
「四畳半は狭いからな。六畳より早い」
「九時にはもう板だった」
「そんなもんだ」
板が白かった
「あの部屋の板、白かった」
「湿気てるんだと」
「かび?」
「まだ大丈夫って言ってた」
「まだ、って言われると気になる」
「あと十年は平気らしい」
「十年」
「そう言ってた」
「畳が十年で、板もあと十年」
「そうなるな」
「わたしたちは?」
「知らねえよ、そんなの」
「聞いてみただけ」
「三十年くらいはあるだろ」
「長いね」
「長いか」
「長い。でも、短い」
今夜は物置で寝ると決めた
寝る場所は、昼のうちに決めてあった。
「客間は?」
「畳が入ったばかりだ。まだ入るなって言われてる」
「四畳半は板だけ」
「寝室は最後まで残す」
「じゃあ、台所か物置」
「台所は硬いぞ」
「物置も硬いでしょ」
「物置は狭い」
「狭いほうがいい」
「なんでだよ」
「くっつくから」
「……物置にするか」
「そう言うと思った」

段ボールを十四箱ぜんぶ出す
夕方から、二人で段ボールを廊下に出した。
十四箱あった。
「多いな」
「中身が分かってるの、四箱だけ」
「あとの十箱は」
「知らない」
「十八年、知らずに積んでたのか」
「積んだのはあなたでしょ」
「俺か」
「引っ越しのとき、そこに置いたのはあなた」
「覚えてない」
「わたしは覚えてる」
一箱目は、娘の教科書だった。
二箱目は、扇風機の箱。中身は入っていない。
三箱目は、正月にしか出さない食器。
「箱だけ取っといたのか」
「捨てられなかった」
「また捨てないのか」
「捨てない」
「わかった」
四箱目に茶色い封筒が入っていた
四箱目の蓋を開けたのは、直人だった。
「なんだこれ」
「手紙?」
「らしいな」
茶色い封筒が、輪ゴムでまとめてあった。
輪ゴムは、触った瞬間に切れた。
「切れた」
「乾いてたんだろ」
「何年ぶん乾いてたら、こうなるの」
「十八年だろ」
「じゃあ、この手紙も十八年」
「もっと前だ」

宛名がわたしの旧姓だった
封筒の表を、電球の下に持っていった。
〈桐生 真澄 様〉
「桐生」
「そっちの名字だな」
「十八年、この名前で呼ばれてない」
「そうか」
「役所にもない。病院にもない。学校の連絡網にもなかった」
「なくなったな」
「なくなったんじゃなくて、しまったの」
「しまうの得意だもんな、あんた」
「うるさい」
裏を返すと、差出人の名前があった。
直人だった。
埃が舞って二人でくしゃみをした
箱を動かすたびに、埃が舞った。
裸電球の光のなかで、細かい粒が斜めに流れていく。
「くしゃみ出そう」
「出せよ」
二人とも、続けて二回くしゃみをした。
「うつった」
「うつってない。埃だ」
腕にも顔にも、灰色の粉がついていた。
汗をかいているところだけ、粉が縞になっていた。
「顔、汚れてる」
「そっちもだ」
「拭いて」
直人が、シャツの裾でわたしの頬を拭いた。
木綿がぬるかった。

一通目を読んだ
封筒は、ぜんぶで七通あった。
いちばん古いのが、直人が十九のとき。わたしは十七だった。
いちばん新しいのが、結婚式の三か月前。
「順番に並んでる」
「並べたんだろ、俺が」
「几帳面」
「昔はな」
一通目を開けた。
字が、今より丸かった。
〈明日、駅の東口で七時。遅れたら先に入ってて〉
二行しか書いていない。
「短い」
「用件だからな」
「用件だけで、切手貼って出したの」
「電話がなかった」
「うちの親が出るから、かけにくかったんだ」
「そうだった」
「毎回、あんたの親父が出た」
「怖かった?」
「怖かったよ」
二通目と三通目を読んだ
二通目は、少し長かった。
〈仕事が決まった。三年は転勤ないらしい。だから、話がある〉
「話がある、って」
「そういうことだろ」
「言えばいいのに」
「手紙じゃ言えないだろ、そんなの」
「かわいい」
「やめろ」
「かわいい」
「やめろって」
裸電球の下で、三十八の男の耳が赤くなっていた。
三日目にして、この言い合いが決まりごとになってきた。
三通目から、字が変わっていた。
丸みが減って、少し急いでいる。
〈来週、うちの親に会ってほしい。真澄の都合のいい日を教えてくれ〉
「急いでる字」
「急いでたんだろ」
「なんで」
「腹が大きくなる前に会わせたかった」
「言い方」
「事実だろ」
「事実だけど」

四通目は便箋が三枚あった
四通目が、いちばん長かった。
便箋が三枚も入っていた。
「三枚」
「書いたな」
「二十の男が、三枚も」
〈式のことは全部そっちに任せる。俺は、そのあとの二十年のことを考えてる〉
わたしは、そこで手が止まった。
「二十年って書いてある」
「書いたな」
「二十年、考えてたの」
「考えてた」
「考えて、それで、十八年しゃべらなかったの」
「……そうだな」
「ひどい」
「ひどいな」
「もっと言って」
「なにを」
「考えてたこと」
「今はしゃべってるだろ」
「三日前からね」
五通目にこの家の住所が書いてあった
五通目の便箋には、住所が書いてあった。
これから住む家の住所だ。この家の。
〈来月から、ここが二人の住所になる〉
「ここのこと」
「ここだな」
「まだ建ってなかったのに」
「建つ予定だった」
「予定の住所を、先に書いたんだ」
「書いた」
「馬鹿じゃないの」
「馬鹿だな」
わたしは、その便箋を膝に置いた。
十八年住んだ家の住所を、十八年前の男が、まだ無い家に向かって書いている。

「桐生さん」と呼ばれた
直人が、封筒の宛名をもう一度見た。
それから、わたしを見た。
「桐生さん」
体のどこかが、跳ねた。
「……はい」
答えてしまってから、耳が熱くなった。
「返事した」
「した」
「十八年ぶりだな」
「言わないで」
「桐生さん」
「やめて」
「やめるのか」
「……やめないで」
三十六の妻が、十八年前の名前に返事をしている。
その名前の女は、もうどこにもいない。
いないのに、呼ばれると返事が出る。
「もう一回」
「桐生さん」
「もう一回」
「しつこいな」
「いいから」
「桐生さん」
三回呼ばれて、太ももの内側が締まった。
段ボールを廊下に出して場所を作った
七箱出したところで、三畳の半分が空いた。
「片づいたな」
「あと二箱、廊下に出して」
「今から?」
「今から」
二箱どかすと、部屋がだいぶ広くなった。
「広い」
「三畳だぞ」
「三畳あるって、はじめて思った」
「そりゃそうだ。物置だからな」
「物置じゃなくて、部屋だった」
「同じだろ」
「違う。窓がある。電球もある」
「言われてみればな」
「十八年、物を積んでたから、部屋だと思わなくなってた」
「数え間違えてたな」
「数え間違えたもの、この家にいくつあるんだろう」
「部屋の数と、押し入れと」
「あと?」
「……あんたのことだろ」

板の上に毛布を二枚敷いた
板の上に、毛布を二枚敷いた。
その上に、昨日の布団を一組。
「一組な」
「一組」
「三日連続だ」
「数えてる?」
「数えてる」
わたしは、布団の端に座った。
板が硬い。毛布二枚では足りない。
「硬い」
「板だからな」
「腰、やられる」
「やられてもいいって言ったのは、そっちだろ」
「言った」
「じゃあ、やられろ」
「ひどい」
電球を消そうとした手が止まった
直人が、紐に手を伸ばした。
物置の電球は、もともと裸電球だ。畳屋のせいではない。十八年、ここだけずっと裸電球だった。
紐に指がかかって、そこで止まった。
「消さないの」
「……消していいのか」
「消さないでって、さっき言った」
「聞いた」
「じゃあ、なんで手を伸ばしたの」
「癖だ」
「癖」
「十八年ぶんの癖」
「じゃあ、やめて」
直人が、紐から手を離した。
「見たい」と言われた
「なんで消さないでほしいんだ」
「先に、そっちが言って」
「なにを」
「さっき、あとで言うって言った」
直人が、少し黙った。
黙って、それから短く言った。
「見たい」
「……」
「それだけ言えばいいのか」
「うん」
「じゃあ、言った」
一日目は暗かった。二日目も暗かった。
三日目に、明かりがついている。
「わたしも」
「なんだよ」
「わたしも、見てほしかった」
「十八年か」
「十八年」
「早く言えよ」
「言えるわけない」
「言えたじゃないか、今」
「三日かかった」
聞いてから、明るいまま脱いだ
わたしは、聞いた。
「いい?」
「いいのか、って聞いてんのはこっちだ」
「わたしはいい。自分から言ってる」
「三日連続だな」
「三日連続」
「明るいぞ」
「わかってる」
「ほんとに、わかってるのか」
「わかってる。だから消さないでって言った」
直人の手が、わたしの襟にかかった。
家で着ている木綿のワンピースだ。ボタンが上から五つ。
一つ目が外れた。
二つ目も外れた。
「手、震えてる」
「震えてない」
「震えてる」
「うるさいな」

明るいと隠せない
五つ目まで外れて、肩から布が落ちた。
裸電球の光が、そのまま体に当たった。
明るいと、隠せない。
腹に肉がついているのも、胸が下を向いているのも、全部見える。
わたしは、腕で隠そうとした。
「隠すなよ」
「明るいから」
「明るくしろって言ったのは、そっちだ」
「言った」
「じゃあ、どけろ」
わたしは、腕をどけた。
三十六の体が、三畳の物置の真ん中にあった。
段ボールに囲まれて、電球の下に。
「見てる」
「言わないで」
「言えって言ったのは、そっちだ」
「言ったけど」
「見てる。ずっと見てる」
顔が熱くなった。電球の下だから、赤いのはばれている。
下着に指がかかった
直人の指が、下着の紐にかかった。
紙の粉のついた指だ。さっきまで十八年前の便箋をめくっていた指が、わたしの肩の紐を引いた。
「紙くさい」
「悪いな」
「悪くない」
「二回目だな、それ」
「三回でも言う」
紐が肩から落ちた。
乳房が、電球の下に出た。
「……」
「なんで黙るの」
「言葉が出ない」
「じゃあ、動いて」
この人は、そういう人だ。
言葉が出ないときは、返事をしないで、そのぶん動く。

乳房を揉まれて、舐められた
厚い掌が、下から乳房を持ち上げた。
汗で滑って、指がいったん外れた。
「滑る」
「汗かいてるから」
「暑いんだよ、この部屋」
「窓が小さいからね」
掌が、もう一度乗った。今度は外れなかった。
ゆっくり揉まれると、下腹の奥が縮んだ。
「あ」
「声出た」
「出た」
「三畳だぞ」
「知ってる」
直人が、顔を下ろした。
乳首に、唇が当たった。
そのまま吸われて、腰が浮いた。
「っ、待って」
「待たない」
「強い」
「強いか」
「強い。でも、やめないで」
舌が動いた。乾いた唇と、濡れた舌が、順番に当たる。
その差で、皮膚が立った。
「もう片方も」
「注文が多いな」
「多い。十八年ぶんある」
首すじを舐められた
汗で湿った首すじに、乾いた指が当たった。
さっきまで十八年前の紙をめくっていた指だ。指の腹が、ざらついている。
「ざらざらする」
「紙の粉だ」
「拭いて」
直人が、シャツの裾でわたしの首を拭いた。
木綿がぬるくて、汗といっしょに埃が伸びただけだった。
「余計に汚れた」
「悪いな」
「悪くない」
そのあと、拭いたところを舐められた。
耳の下から、鎖骨まで。
乾いた唇が引っかかって、そのあとを舌が通る。
「っ、そこ」
「ここか」
「そこ、弱い」
「知ってる」
「なんで知ってるの」
「昔、同じ反応してた」
「十八年前?」
「もっと前だ。結婚する前」
「覚えてるんだ」
「今、思い出した」
喉が鳴った。
自分の喉が鳴る音を、こんなに近くで聞いたことがない。
板が冷たくて背中が縮んだ
背中が、毛布についた。
毛布二枚では、板の硬さは消えない。腰骨がごつごつ当たる。
そのうえ、板が冷たかった。
夏なのに冷たい。床下の空気が、板の隙間から上がってくる。
「冷たい」
「床下だからな」
「背中だけ冷たくて、前が熱い」
「そうか」
「変な感じ」
「嫌か」
「嫌じゃない」
汗をかいた背中に、その冷たさが直接届いた。
前は電球で炙られて、後ろは床下で冷やされている。

太ももを開かれて、指を入れられた
掌が、脇腹から太ももに下りた。
膝の内側で止まって、そこから内側へ入ってきた。
「開いて」
「明るいよ」
「明るいまま見せろって、言ったのは俺だ」
「言った」
「じゃあ、開けよ」
わたしは、自分から膝を開いた。
電球の光が、そこまで届いた。
「濡れてる」
「言わないで」
「言うよ」
「恥ずかしい」
「恥ずかしいのに濡れてるのか」
「……そう」
「なんで」
「見られてるから」
指が入ってきた。
乾いた指だ。硬くて、節が太い。
入った瞬間に、喉から声が出た。
「あっ」

「痛いか」
「痛くない」
「じゃあ黙ってろ」
「黙れない」
「黙らなくていい」
三畳は響く
三畳の物置は、よく響いた。
段ボールが七箱減って、壁が近くなっている。
自分の息が、耳のすぐ横で返ってくる。
「うるさい」
「なにが」
「わたしの声」
「聞こえてるよ」
「近所」
「二軒隣まで空き家だ」
「そうだった」
「去年から」
「じゃあ」
「出せよ」
指が二本になった。
奥まで入って、そこで曲がった。
「あ、っ、そこ」
「ここか」
「そこ。動かないで」
「動くぞ」
「あっ」
こっちにも触らせてと言った
「今度はそっち」
「なんだよ」
「わたしにも触らせて」
直人が、少し体を起こした。
わたしは、ズボンの上から掌を当てた。
硬かった。布の上からでも、はっきり分かるくらい硬い。
「硬い」
「言うなよ」
「言う。十八年ぶりに触った」
「そんなに触ってなかったか」
「触ってない。手も繋いでない」
「そうだったな」
わたしは、布を下げた。
電球の下だから、そこもはっきり見えた。
「見てる」
「やめろ」
「さっき、わたしには見てるって言ったでしょ」
「言ったな」
「じゃあ、おあいこ」
「……おあいこだな」
わたしは、顔を下げた。
唇で挟んで、舌を当てた。
汗と、埃と、一日ぶんの匂いがした。
「っ」
「声出た」
「出た」
「三十八でも出るんだ」
「出るよ」
「もっと出して」
「出さねえよ」
「出して」
喉の奥まで入れると、直人の腿に力が入った。
わたしの髪を、掌が押さえた。押さえただけで、動かさない。
「動かさないの」
「……いいのか」
「いいよ」
「聞くのが癖になってきたな」
「聞いて。聞かれるの、好き」

自分から跨った
わたしは、上体を起こした。
直人のTシャツを脱がせた。汗で背中に貼りついていて、途中で引っかかった。
「引っかかった」
「暑いんだよ」
「じっとしてて」
脱がせて、その上に跨った。
自分からだ。三日目にして、自分から乗った。
「乗ったな」
「乗った」
「明るいぞ」
「知ってる」
「全部見えてる」
「見て」
腰を落とすと、繋がった。
十八年、五十センチ空けて寝ていた体が、いま真上と真下にある。
「熱い」
「熱いな」
「動いていい?」
「聞くなよ」
「聞きたい」
「動け」
板が鳴った
腰を振ると、板が鳴った。
古い家の板は、体重が動くたびに軋む。
「鳴ってる」
「板だからな」
「音、すごい」
「毛布二枚じゃ止まらないだろ」
「止めて」
「無理だ」
軋む音と、自分の声が重なった。
段ボールの壁が、それを跳ね返してくる。
直人の掌が、尻をつかんで下に引いた。
「あっ」
「深い?」
「深い。もっと」
「もっとか」
「もっと」
十八年、こんな言い方をしたことがない。
言えたのは、明るいからだと思う。
顔が見えているから、嘘がつけない。

「桐生さん」と呼ばれながら
途中で、直人が言った。
「桐生さん」
腰が止まった。
「……ずるい」
「ずるいか」
「今それ言うの、ずるい」
「呼んでほしいって言ったのは、そっちだ」
「言ったけど」
「桐生さん」
「あっ」
呼ばれるたびに、体が勝手に締まった。
十七の女に戻ったわけではない。
三十六の妻が、十七の名前で呼ばれて、それで濡れている。
「効くな、これ」
「効かない」
「嘘だろ」
「……効く」
「素直だな」
「明るいから」
手紙の上に汗が落ちた
床には、手紙が散っていた。
五通ぶんの便箋が、板の上に広がったままだ。
わたしの汗が、そのうちの一通に落ちた。
紙に、丸い染みができた。
「落ちた」
「なにが」
「手紙、濡れた」
「乾かせばいい」
「十八年前のなのに」
「十八年前のだから、いいんだよ」
「意味わかんない」
「わかんなくていい」
そのまま続けた。
染みは、だんだん広がって、便箋の端まで届いた。
声が止まらなくなった
腰の動きが速くなって、声が続けて出た。
抑えようとして、抑えられなかった。
「もう」
「なんだよ」
「もう、いく」
「言えよ」
「いく」
「言った」
背中が反った。
つま先から順に、力が抜けていくのが分かった。
絶頂のあいだ、板の軋む音が耳のなかで遠くなった。
そのあと、直人の胸に落ちた。
心臓が、下から突き上げてきた。
「速い」
「そりゃな」
「三十八でも速くなるんだ」
「なるよ」
「わたしも速い」
「知ってる」
「なんで」
「腹が動いてる」

もう一回したいと言った
汗が引く前に、わたしは言った。
「もう一回」
「まだやるのか」
「やる」
「三十六だろ」
「三十六だから」
「意味わかんねえよ」
「わかんなくていい」
わたしは、直人の手を取って、自分の胸に当てた。
「まだ硬い」
「触ってるからだろ」
「触ってるから硬いんだ」
「そうだよ」
二回目は、うつ伏せになった。
板の冷たさが、今度は前に当たった。
「冷たい」
「板だからな」
「顔まで冷たい」
「毛布ずれてる」
「直さないで」
うしろから腰をつかまれた。
一回目より深かった。
「あっ」
「痛いか」
「痛くない。奥」
「奥か」
「奥。当たってる」
段ボールに手をついた。
箱がずれて、中の食器がかちゃりと鳴った。
「割れる」
「割れねえよ」
「正月の皿」
「正月まで持つだろ」
二回目は、一回目より長かった。
途中で腕が震えて、肘が落ちた。
顔が毛布に埋まって、そこで声を出した。
毛布が汗を吸って、口のまわりが濡れた。

匂いが三つ重なっていた
汗が引くまで、乗ったままでいた。
物置には、匂いが三つ重なっていた。
いちばん下が、板と埃の匂い。
その上が、段ボールと古い紙の匂い。
いちばん上に、汗の匂いが乗っている。
「くさい?」
「くさくない」
「汗かいた」
「二人ともだろ」
「あなたの汗、昔と違う」
「加齢臭って言えよ」
「言わない」
「言っていいぞ」
「言わない。好きだから」
腕の力が、そこで強くなった。
三日で、好きと二回言った。
十年言わなかったものが、三日で二回出た。
「また書く」と言われた
「あの手紙な」
「うん」
「また書く」
「え」
「桐生真澄宛に、また書く」
わたしは、起き上がって直人の顔を見た。
「うちに届くの?」
「届くだろ、この住所だ」
「郵便屋さん、間違いだと思う」
「思うだろうな」
「わたしの旧姓なんて、誰も知らない」
「俺は知ってる」
「……ずるい」
「三回目だな、それ」
「数えてる?」
「数えてる」
六通目と七通目は封を切らなかった
残りの二通は、封を切らなかった。
「開けないの」
「一日一通にしよう」
「なんで」
「なくなるから」
「なくなるって?」
「全部読んだら、明日の楽しみがなくなる」
「じゃあ、あと二日ぶんだな」
「二日ぶん」
「七日間には足りるな」
「足りる」
わたしは、二通を布団の枕もとに置いた。

夜中の二時に目が覚めた
板の硬さで、二時に目が覚めた。
腰が痛かった。毛布二枚は、やっぱり足りない。
隣で、直人はよく寝ていた。
電球は消えていた。いつ消したのか、覚えていない。
小さい窓から、月が入っていた。
段ボールの角だけが、白く光っている。
「起きてる?」
返事はなかった。
わたしは、その寝顔をしばらく見ていた。
髪から紙の匂いがした
わたしの髪から、紙の匂いがした。
十八年、段ボールのなかで眠っていた紙の匂いだ。
甘くない。埃くさいだけでもない。乾いた、粉っぽい匂い。
寝ている直人が、鼻先をその髪に寄せてきた。
寝たまま、腕が動いた。
乾いた掌が、湿った背中を上から下へ辿った。
「起きてるでしょ」
「……起きてない」
「掌が動いてる」
「寝ぼけてる」
「嘘」
「嘘だな」
手紙を七通ぜんぶ拾った
暗いなかで、散った手紙を拾い集めた。
七通、ぜんぶあった。
一通だけ、汗で濡れて波打っている。
その一通を、いちばん上にして重ねた。
輪ゴムはもう無い。明日、買ってこよう。
そう思ってから、十八年この束を一度も見なかったことを思い出した。
「輪ゴム、買ってくる」
「明日でいいだろ」
「明日買う」
「そう言った」
「言った」
明日は台所の板の間
次の晩は、台所の板の間だ。
そのあとが縁側。最後が、新しい畳の寝室。
四日目、五日目、六日目、七日目。
まだ四日ある。
「明日、どこで寝るの」
「台所だな」
「畳ないよ」
「ないな」
「毛布、三枚にして」
「二枚じゃ足りなかったか」
「足りない。腰が痛い」
「わかった。三枚な」
「約束」
「約束」
三日ぶんを数えた
「数えていい?」
「なにを」
「三日ぶん」
「数えろよ」
「一日目、一回。二日目、一回。三日目、二回」
「増えてるな」
「増えてる」
「明日は?」
「知らない」
「三回か」
「あなたが保つなら」
「保つよ」
「言ったね」
「言った」
「わたし、覚えてるからね」
「覚えとけ」
腕が落ちてきて、どけなかった
直人が、寝返りを打った。
腕が、わたしの上に落ちてきた。
重かった。肋骨が少し圧されて、息が浅くなった。
それでも、どけなかった。
十八年、この腕がここに落ちてきたことはない。
落ちてきたら、どければいいと思っていた。
どけたくないとは、思ったことがなかった。
「重い」
「……」
「重いけど、いい」
「……」
「聞こえてる?」
返事はなかった。
板の下から、床下の冷たい空気がまだ上がってきていた。
背中は冷たくて、上に乗った腕は熱かった。
その二つの温度のあいだで、わたしは目を閉じた。
――――
『畳を上げた七日間』は全6話、ぜんぶ無料で読めます。目次はこちら。
――――
※20歳以上の登場人物によるフィクションです。文章と画像は生成AIで作成しています。
続きの夜は、¥300の短編で
